茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

『12人の優しい日本人』オンライン

12人の優しい日本人を読む会 - 12人の優しい日本人を読む会

 ツイッターで情報をみかけた。「え、うそ、ほんとに??」
 舞台はみたことがない。世代的に行けたのかも知れないが、ぼんやりしたこどもだった。映画はたしか映画館に観に行った。その後何度か観る機会はあったが、だいたいはテレビかな。

 zoomはつい最近オンライン飲み会をやって、なんとなく雰囲気はしっている。「読む会」だし、タイムラグがある朗読会になるのかしら、と思いきや…、始まってみれば、舞台寄り。もともとの内容が、密室であり、会話や議論であるので、zoomにむいているのは間違いない。
 演じ手の環境は様々だ。比較的画質や音質がいい人もいるが、ぎりぎりな人もいる。だがしかし、予想していたほどのタイムラグはほとんどないのが、序盤の驚きだった。それぞれ回線速度やマシンスペックの違いはあるだろうに、なぜこんなにあうのか。いったいどれくらい練習したのか?? 練習してなんとかなるのものなのか?(NHKのリモートドラマの収録をみると、土日はうまくいったが月曜日になるとだめになったという話があったので、休みの日にやったのはよかったかもしれない。)
 何度か観ているから話は当然知っているし、なぜか覚えている説明も多い。なのに、それなのに観てしまう。いやもうどあたまから、すぅ〜〜と引き込まれてしまった…。


 この引き込まれは、やがて独特の得たいのしれない興奮のるつぼにつながっていく。前半見終わった時点は、熱中しすぎて疲れた。どのように画面をみるべきか、きくべきかを、こちらなりに試行錯誤していたかもしれない。区切ってくれてよかった。後半の前半はすこしながらになってしまったが、終盤ははりついた。高まっていく物語と登場人物たちの感情と、見ている自身の感情の渦。あの渦のさなかの、おそるべきピザ屋。2号さんの涙。
 脚本すごい、役者さんすごい…。すごいすごいとツイートしてたら、bot扱いされてとめられてた。
 終わったあとは、まるで本当の舞台を観に行ったあとのような興奮を味わっていて、そのことにもまた興奮した。


「うまい台本とうまい役者がいれば、なんとかなる」というおそろしい現実も垣間見てしまったが、これはかつての名演をほぼ当時の人たちが、また集って演じるということも、謎パワーを持ってしまった理由だろう。観ているほうも、初見よりはなんども観ているひとがおそらく多くて、舞台の興奮も思い出したり、映画の興奮を思い出しながらみる。そりゃもう感動は深くなる。
 でも、始まるそのときまでは、そこまでならないだろうなと思っていた。もっと朗読ぽいものだったり、タイムラグとか音声や映像の不良で、ぐだぐだだったりを、もう少し落ち着いたテンションで生ぬるくみるようなものを想像していた。
 ところがどっこい。
 冒頭の「飲みものだけですよ」注文をとる時点でもうおかしい。笑ってしまった時点でもう舞台に引き込まれていたのだろう。
 脚本とzoomの相性がよかったといえる。はじめてあった見知らぬ人同士、最初はちょっと会話に遠慮がでているのが当然だ。タイムラグがあるのが自然。だから後半になって議論がにつまっていくところは、どうなるのかしらと緊張感が増した。しかしそもそも芝居というのは、台詞がかぶることはあんまりないんだろうな。うまくできてる。


 芝居はやはり、生がいい。収録なら一発で。映像の編集や加工は要らない。
 リモートであることにシチュエーションとしてこだわる必要がないことは、今回示してくれた。向き不向きはあるだろう。人物の多少の入れ替わりはできることもわかった。リモートなのに受け渡しもできる。小道具はシンプルに抽象化していい。
 もしあればいいなと思ったのは、ワイヤレスマイクだろうか。そんな商品あるのか? 多少カメラから役者が遠のいても、音声が一定だったらいいなあと思った。それができれば、後ろに広い空間があれば、引いたりよったりもできる。離れたときはしゃべらないでも、いいかも。それはカメラの性能にもよってくるので、じゃあ回線の太さとか機材とかいいだすと、ハードルが上がって面倒くさくなる。


 なにがあればいいのか。いい台本といい役者か。
 むっずかしー!
 演出もだいじだと思うけど、それがすごくさりげなさすぎた。今回の裏方さんたちのインタビュー記事、でないかなあ…。


 自分はもともと西村まさ彦さんが好きだったり、ツイッターは2号の相島さんをフォローしている。相島さんは映画版でも2号を演じている、非常に重要なキャラクターだ。他にもよくテレビでおみかけする人が多すぎるわ!の豪華版だったが、つくづく世の中のテレビドラマは、こういう人たちに支えられているのだなと思う。2号については語りだすとキリがない。今回西村さんの9号がみられてうれしかったけど、若いときは若いんだよねえ。映画版の9号はいまの西村さんぐらいのイメージだが、若いときはどうだったんだろう。観ることはかなわないけど想像するのも楽しい。Wikipediaの情報もありがとう。

FF7Rのヒーローでヒロインはクラウドで

 FF7Rのヒーローでヒロインはクラウドだ。もっとも美しくもっともかっこよくもっともかわいくどうも様子が変でかっこつけでモテるのに非モテである。
 その絶妙な奇妙奇天烈なバランスを、絵や光や動きや声、すべてにおいて全力で表現されており、宝塚のトップスターのごとく光を集め照らされて自ら輝き、それだけで、いや、それこそが、FF7を再度作ることの極みであり、かなりの高レベルにおいて実現されているところが、とにかくすごい。櫻井さんはあとからのキャスティングだというけれど、高い技術、表現力がエンジン全開で惜しげもなく?絞りきれるだけ表出されており、これを要求しつづける制作陣と、まさにプロのなんでも屋ご本人に深く感謝したい。声の芝居については、クラウドだけではない。バレットもティファもエアリスもすごい。圧倒される。台詞の内容も量も、世界は無限大である。いままでアンチャーテッドメタルギアのものすごい台詞や言葉の量に圧倒されていたけど、それ並ぶ上回る勢い。むろんそれぞれベクトルは違うけど。


 ゲームは意外と語る、言葉の世界でもある。むろんそうでないゲームもあって、どっちが主流か分からないが、殴ったり撃ったりぶっ放したり釣りしたり虫をとったりアクション、動きが中心のゲームもある。と当時に、凄まじい量の言葉があふれて物語を紡ぎ上げるゲームもある。ゲームの世界は広く深い。
 オリジナルのFF7はそぎ落とされた最低限の言葉とアクションであの物語世界を紡ぎ出したところがまったくすごいのだが、今回はそれを無限に盛るぞといわんばかりのエネルギーで、しかも、いまのところ、破綻していないのが、すごい。
 ゲームってすごい、FF7ってすごい、ゲームを作る人たちのエネルギーはすごい、と圧倒されている。そして半日時間単位??で実況プレイするしょこたんもすごい。おそらくたくさんの熱量のすさまじいゲーマーたちの存在もあるから、今のFF7Rも存在するのだ。


 って、完全に観ゲーマーですけど。
 やはり優れたゲームは絢爛豪華なオペラやミュージカルに似ていると私は感じる。色も形も動きも音楽も声も言葉もあらん限りに洗練されながら盛りに盛る。ゲームでは観客は操作する人となり、世界に加わる。まったく贅沢じゃ…

Twitterは一日何時間まで

 Twitterを一日3時間みていた。さすがにやばいと1日1時間にしようとしているが、すぐにこえてしまう。気がつくとじっとみてしまう、何か書いてしまう。書くならブログでもいいはずで、むしろブログのほうがマシだろうと思うが、はてなブログのアプリの入力欄の文字が小さすぎるのも問題だ。こういうところWebも同様にまったくユニバーサルではない。もしかしてフォントサイズ変えられる?

 つくづくはてなはどうやって存続しているのか謎だ。広告収入かにゃまさか。お世話になってるけど。

世界が勝手に変わった

 世界が勝手に変わって、おそらくは異常なライフスタイルがデファクトスタンダードになった。ふしぎだ。自分は何も変わっていないのに。
 世界が変わらないから自分を変えるしかない、とはよく言われることで、だから人はなかなか変われず大変なのだが、世界がこうも勝手に劇的に変わっちゃうときも、たまあにはおこるのである。むろんぜんぜん望むような変化ではないが。


「人と会うな、家にいろ」
 社会的ひきこもりとしては、おーけーまかせろ、いつもとかわらぬ、なのだけど、いやところが案外そうでもない。バスにのってちょっと遠出の買い物ができない、ドトールにいけないのがつまらない。ストレスだ。そのていどのことだが、そのていどのことでバランスをとっていたので、それが侵害されるのははなはだ心外だ。
 だれもわたしの行動を制限するな、おれは常に自由だ、なにものもこのわたしを束縛するんじゃねええ!、となぞの雄叫びをあげる。


 問題は、本当に、こもっていたら生きていける、かどうかである。マスク、トイレットペーパー、ハンドソープ。目立って欠品しがちなのはそこらへんだが、キャベツもずっと消滅している。春キャベツはひとたま298円。君たち、どこへ行ってしまったの。大根もずっと高い。
 きゅうりはちょっと安い。なすはまだはやいのか高い。じゃがいももたまねぎも、すごく高くはないが、安くはない。
 遠くの美容院に通っていたので、行けない。シャンプーとかも買っていたので、じきになくなる。店内を客一人にちしているようなので、近かったら行くのにな。
 いままで「欲しいと思ったときに買いにいけば買えたものが買えない」というすごいストレスと不安。トイレットペーパーは本当に憂鬱だ。でももしかしたら、簡単に手に入る社会は、ずっとずっと戻ってこないかもしれない。


 世界は変わってしまって、もう戻らない。
 戻るようなものは変わったとはいわない。
 はやく元の生活が戻るように、などと望んでいる限りは、望んでいる間は、戻らないのだ。次の世界でいかに快適にいかに楽しくいかに死なないように生きるか、それを考えなければならない。

FF7Rがとにかく楽しい

 FF7Rが我が家にも来た。本当にこんな日が来るとは、現実味がない、いろんな意味で。
 プレイするのは家人なので、毎度いまのところ横でながめているぼんやり子ではあるが。とにかく面白い。
 こんなに面白いなんて想像していなかった、期待していなかった。
 体験版もプレイしたから、クオリティとかはおおすげえええはすでにあったけど、そういう技術的なことより、いろいろ面白い。面白すぎてゲームをする人のとなりでわーきゃーのたうちまわってる。

 ネタバレいちみりもいやなひとはこの先は読まないでね。

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