茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

バスでものすごい老人がいて怒りで頭がおかしくなりそうだったが

 雨が降り出すかどうか、のような天気のとき、バスに乗っていた。
 途中で老夫婦が乗ってきて、バスの内側をむている優先席に座った。次の停留所で親子連れが乗ってきた。子供は二人、小さくて、二人とも雨ガッパを着ている。
 老夫婦のならびに、二人は座った。
 すると老人の男性のほうが、「雨ガッパは濡れているのではないが、そんなところに座らせていいのか」みたいなことをいった。母親はしっかりした感じの人で、「濡れていませんよ、だいじょうぶです、確かめました」みたいなことを返した。実際、ほとんど降っていなかったので、濡れているわけはない。
 そこで話が終わるかと思ったが、「雨ガッパを脱がせろ」と言ったらしい。もうバスは動き始めている。小さいこどもをいったんたたせて、脱がせろと。(バスの運転手からすれば、老人や子供など、不安定な状態で車内で立っている客をけっこう嫌う。)母親はそこでキレるかと思ったが、キレなかった。二人の子供の雨ガッパを脱がせた。バスに乗っている距離はごくわずかだ。


 少し離れた席で、自分はあまりのことに腹がたって怒りまくっていた。
 駅前でほとんどの人が降りた。
 親子連れには、別の同行者がいた。少し若い女の人二人だ。どういう関係だったのかわからないけど、彼女たちもバスのなかでは、だまって近くでみていた。母親は「言い返そうと思ったけどやめたわ」と二人に話していた。


 どうして子供が、子育てをしている人が、こんなめにあうんだ、と勝手にめちゃくちゃ腹がたった。あまりの怒りにその後の予定もいろいろバグってた。


 もし自分が当事者だったら、どうしていただろう。すごく想像は難しいけど、濡れていないなら別にひかなかったかもしれない。自分はバランス感覚も悪いので、自分がバスの中に立っていて、子供もいちど立たせて脱がせるようなことはできないかもしれない。「すいませんバスがもう動いているので」とかいうんだろうか。そもそも子育てをしている保護者はそんなひ弱ではない気はする。自分はレベルが低い想像しかできない。

 当事者ではないが、もっと近くに座っていたら。
 じっと成り行きにを見守り、ぎりぎりまで口出しはしないかもしれない。保護者の情緒がぶれたり、老人がよりおかしなことをいいだしたら、かってに横から入るかもしれない。何か「やばい、危ない」という線を超えたら、動くのかもしれない。
 でもそのあいだ、保護者は、その老人の理不尽で身勝手で自己中心的で短絡的で他のリスクを上げるような発言に対して、じっとこらえなければならない。たとえ周囲の人が加勢しても、その時は、じっと堪えなければならない。取り乱したりすれば、人の加勢が入ったとしても、それをよしとしない、ぐっと堪える保護者の人は多いだろう。


 なんでそんな世の中になっているんだ?
 変な老人にでくわすたびに、みんなが長生きは全然いいことないな、という思いが強くなっている。長生きする人が少ないなら、ダメな老人でもあしらえるが、数が多いと、いい老人と同様にそうでもない老人も増える。子連れに面倒くさそう中年もげんなりする。少子化で長寿社会は、なにもいいことがない。


 自分はそうなりたくない、と思っても、数十年後のことなどあてにならないし。もし子連れのマナー違反なファミリーに出会うことが重なったら、偏見をもつようになるかもしれない。(でもわざわざ意見をするのは傲慢で尊大としかいえない)


 いまのいまは何をどーすりゃいいんだろう。
 もしまんがいち、今回のようなことが目前で起きた時、冷静に、保護者の出方をみつつ、万一に備える、となんとなくイメージしてるしかないのかな。