茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

フジテレビにも真面目に働いている人がいる?

 フジテレビの社員にもまじめに働いてる人がいるだろう、かわいそう、というのは変な話。だいぶ前からおかしいので、まともな人は離れているはずだし、若い人も見る目がないと言わざるを得ない。その人の価値観にあっていて、その人の人生に都合がいいから、そこにいる。
 苦労して、あるいは、それしかなくて入るところではなく、わざわざ選んで、物好きが行くようなところだ。
 年齢やキャリア関係なく、雰囲気がおかしいことから目を逸らし、過去の栄光に引きずられてそこにいた人たち、みんな一人残らず反省するしかない。この人は良心、みたいな人はもう存在しないぐらいの、時間が経っている。
 何か力を持っているとか、特別ではない、ただのテレビ局になればいいだけだ。それだけなのに、それができないなら、つぶれるしかない。

存続していることが悪になる。

 入ったばかりの新入社員など、とっとと転職すべきだ、他の業種に。みんな優秀だし、いまなんて初任給がバカ高い、どこへでもいけるはずだ。

 

 

 

自分の書く文章の気持ち悪さについてなんとなく

 自分の書く文章の気持ち悪さについて、なんとなく、「あ、これじゃね?」というものの、しっぽの先っちょをつかんだような感覚があった。言っている内容ではなく(内容がおかしいのはまあまあしょうがない)、書き方とか作文能力でもなく、なんか気持ち悪いな〜〜、と自分で思っていた。
 その気持ち悪さの糸口をうっすらつかんだような気がする。
 それを踏まえて、書いてみる。


 パソコンを、MacBook Airを開き、はてなブログの画面を開いて、キーボードをたたいている。ブラインドタッチではない、右手と左手が、アンバランスに、それぞれ偏った指が、キーを叩いている。自分の書く文章の気持ち悪さについて、少し発見できた気分になって、それについて、書いている。書いている、ここの箇所は、書いている本人は、ちょっとうれしい。ちょっと気が楽だ。ここの箇所については、読み直して、推敲ができる。気持ち悪い文章は、読み直すことも、推敲も、しにくい。


 というあんばい。
 自分以外の人がみて、差があるようにみえるかどうか、わからない。
 自分が書いていて楽しいほうに、進め、進め。

田舎の閉塞感は中3でもなんとなく

 自分はもともとその土地の人ではなく、いつかは出ていく人だった。親が企業城下町の企業に勤めている人だから、数年はそこにいるが、必ずでていく。それがいつかはわからない。
 中学3年の夏の終わり「あと3年間はここにいるんだな」と自転車を漕ぎながら夕暮れの街を見ていた。高校に入ったら、大学は地元にないから、九州か関西にはいく。もともと親が関西の大学だから。なんとなく勝手にそう思っていた(いまふりかえれば、なぜ九大に入れると思っていたんだろう、怖い)
 たそがれて一ヶ月もしないうちに、親の転勤が告げられ、急きょ東京の高校を受験することになった。そして4月からは都立高校の生徒になっていた。


「あと3年間はここにいるんだな」と思ったとき、そのときはまだ、どれくらいそこが田舎かわかっていなかったが、閉塞感のようなものはあった。陸の孤島、海とすぐ山。日本のありふれた海岸沿いの小さい都市のはしっこ。田舎だが、美しい自然豊かな田舎はない、田舎の街。

 引っ越してから、一度もそこへは行っていない。親戚もいないし、つきあいが続いている人もいない。唯一、いまは東京に住んでいる人とのやりとりは、年賀状だけだ(それでもすごい貴重だ)。

 こんなに少子化が進み、人口が進むと、人々はある程度密集して暮らさざるをえない。そこは企業城下町なので、簡単にはなくならない、周辺から人が集まるところになるかもしれないが。

 東京は人が多すぎるけど、人がどんどん減るばかりの、人がいない営業していない商店街とか、ホラーである。8番出口みたいなやつ。田舎の都市バージョンでやれるね。こわい。


画力がエクストリームな少女マンガ

 Kindle Unlimitedで楠桂サーカス・ワンダー

 読切を集めた単行本。
 少女マンガやそのストーリーさえも、圧倒的凌駕する過剰とも言える画力で、いま読んでも見入ってしまった。超絶画力のコメディもいいけど、ホラーファンタジーは1ページ、見開きなどの絵の力が強すぎる。少女マンガなのに、黒が多いのも特徴的。

 マンガの話題作は画力より、ストーリーやキャラクター、設定で牽引するものも多い。そんなにスカスカの絵なら小説で描けよ、と思わされる作品もたまにある。
 当時の楠桂には、少女マンガならではの繊細さもある。生原稿なんて美麗だったんだろうな……。繊細さは、アナログとデジタルの違いもあるのかもしれない。
 少女マンガの読み切りと、少年漫画の連載を、同じように比べることも、できないが。読み切りや、単行本5冊以内。ガツっとぎゅっとした作品を、何回も読む、というのも、ものすごい幸せで、影響を受ける。大長編よりも、何度も、繰り返し、その作品世界にのめり込めて、記憶に刷り込まれる。
 長編は、小説も漫画もアニメもドラマも、のちのち残る古典になるかというと、なかなか問題だ。映画は4時間とかあっても、わりと残ってるような。

 ジャンプラはいろんなジャンルや形式で公開しる。リスク分散、分散投資、なんでもやっててずるいわw。


 楠桂の昔の漫画は、何冊かKindle Unlimitedにある。いまの作品を読めよ!!、といわれそうだけど、子供時代にトラウマぎりぎりの感じを植え付けられた作品というのは、ちょっと別格なんだよ〜ぃ。


 いまの漫画もちら見。相変わらず絵がうまくて怖い血みどろもうまいけど、黒ベタの量は減ってるな〜〜。デジタルのほうが黒ベタよさそう???なのに。紙だとべったり感があったむかし。

ヒートショックはベランダに出る時も起きるのか

 ヒートショックはベランダに出る時も起きるのか。無防備に窓を開けると、体がびっくりする気がする。洗濯物を取り込むときは、深呼吸する。それがあってるのかわからんけど。

 

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