ぶんぶん茶ぶろぐ

人力雑文ブログ

イヤホンの数を増やして快適性をあげる

 いいイヤホンが欲しいなと思っていたが、いろいろあって、とりあえず有線のイヤホンの数を増やしたら、快適だ。

  • カバンの中
  • 昼間の机の周辺
  • 枕

 基本はAppleの歴代の、並行輸入?のゼンハイザーの安いやつ、Type-Cのジャックがついてたりする。
 イヤホンの延長ケーブルも買った。あまり出番がないけど。

 ワイヤレスはある。5,000円くらいだったヘッドホンは夏は暑いし、周りが聞こえにくくなる。えこーぽっずは耳から落ちる。

 有線だと引っ掛けるので不便もあるが。

 Type-Cのジャック、接続ケーブルは、昔はすぐダメになるのですぐ買い替えていたが、いまは丈夫になってる気がする。良かったぬ。

 いい音できく、というのは、ややあきらめている。びんぼーにんか。


 

みんなけっこう見えていないのでは疑惑

 自分が眼科にかかっていたにも関わらず緑内障で視野を欠けさせてから、ある疑いが浮かんできている。

 みんな、わりと見えていないんじゃね?

 である。それは、中高年以降は、を頭につけていたが、だんだんそうでもない気がしてきた。

 子どもでも、若い人でも、本当に見えていない人が、わりといるんじゃね?

 である。

 視力検査ではたいした検査はできていない。視野も色もわからない。そして目だけではなく、神経や脳の問題もある、本当は。でもそんなところの検査はほぼできない。本人の見え方しだい。
 この、本人の見え方、がやっかい。子供のときから、あるいは、やや長い時間をかけて、見る能力が変化していたりしたら、なかなかどうなってるかわからない。それがふつうだと本人は認識して生きているから。

 世の中には、ぼんやりしてるように見える人がいる。気付きにくい人がいる。
 それは本当に見えてない、見えにくい人もけっこういるんじゃね??
という、疑いである。

 そう考えれば、なにかと話が噛み合わないこともよくわかる。

 鼻の良し悪しはわかりやすい。自分は鼻も敏感ではない。それはある意味、幸せだ。敏感な人は大変そうだ。
 でもこれが目の話だったら。
 周りをよく見ろ、ということはよくある。子供も大人もよく言われる。せっかちで、集中力がなくて、熱中したら周りが見えなくなって、などいろいろあるが、それは本当に、見えていないのかもしれない。

 緑内障は目自体の機能はいちおう問題がない。視神経がダメになって、脳に伝わらない、らしい。スマホのカメラは正常なのに、その後の経路がポンコツで、写真は真っ白になって保存されるみたいな感じ?。

 それらは、なぜ目の話で脳の話ではないの?、てな気持ちもある。
 視覚について、どれくらい、眼球と、神経と、脳を、組み合わせた研究は行われているんすかね?
 たぶん、ほとんどやってない、とど素人は思う。

 現代の医療技術の進歩は信じるが、医者は信用するのはその2割以下だ。ワクチンは信用しても、医者は2割以下しかまともな人はいない。どの職業でもその割合は変わらないからだ。その2割に日本の病人全員がかかれるかどうか?、不可能なのである。

 いま隣にいる人と、同じものを見ている、と思っているのは、そもそもまちがいだ。隣にいるということは確かだけど。
 人間の寿命の長さに、医療技術は、アンチエイジングの研究は追いついていない。アラフォーまで生きて、老い切ったあとにだらだら数十年も生きている。バランスが悪い。

23→24年越しのわんえん

 レコーダーのなかを整理していたら、ONE N' ONLYを捕捉していた。
 2年と10ヶ月ぐらい前の、24年の頭のワンエン。

 メンバーはわりと大人なのだが、だいぶ雰囲気が違う。えいくちゃんが意外と一番変わっていないかも?歌がうまい。他の人は顔が違うし、緊張のせいか顔がこわばって笑顔もおかしい。笑ってはいけない。えいくちゃんまじえらい。

 24年はまだ平和だ。25年以降、EBiDANの皆さんは、M!LKだけでなく、もれなく怒涛の日々になる。停滞していたものが、いきなり動き始めるように。
 15周年の準備は規模が大きいので、24年から始まっていたと思うが。
 大願成就まではまだ道半ばだが、追うものの勢いは強い。
 ワンエンの人たちは体格がよい。だからといって頑丈かどうかはまた別の話しだが、みていて安心感がある。深夜の冠バラエティも群抜きで面白い。いまのところM!LKよりイケてる。まだ事実上1話だけど。次も楽しみだ。
 EBiDANは秀才型が多い。ワンエンは音楽ジャンル的にM!LKほどのブレイクはないと思うが、かなり肉薄すると思う。げんじぶともジャンルが棲み分けできてる。
 ワンエンは歌がうまいのに、歌心があり、かつ、元気でにぎやかだ。気さくなのにバチイケの歌とダンス。かっこいい。



 

慈愛と支配の声

 U-NEXTで昔のアニメ映画、「地球へ…」を見る。キャストの豪華さに笑っちゃう。

 すべてを包み込み、癒し、慰めるような声。すべてを圧倒し、思考を許さず支配する声。

 演じている声優さんは、他の作品では慈愛の象徴であり、別の作品では苛烈な支配者になる。
 両方を演じられるから名優なのだ。同時に、一人の声のイメージが、両方を兼ね備えている。というのが面白い。日本に限らず、世界で同じような話なのか。
 現実世界においても、独裁者はあまったるい声で庶民に近づこうとする。現実はたいてい気持ち悪いけどさ。

逆弁論的雑文2

 我ながら、読めない。読めないものをblogにだしても仕方がない。書いてるときは、あまりわかっていなかった。パソコンのキーボードのよくない点だ。あるいは、単純に精神状態がよくないということか。

 トキトケトークで、海外の、欧米の作家は、日本の作家と仕組みが違う話をしていた。出版や作家界隈でのエージェントという言葉は、むかし知らっている、PARMというマンガで知った。詳しくはない。日本とは違うんだな、と思った。

 日本人は多作というのは、音楽も文章も同じらしい。一冊の本を出すため、というのが、理由なのか。
 日本の作家は、歌人も俳人も小説家も、出版社の都合のいい道具なのではないか、使い捨ての奴隷なのではないか、と思うことはよくある。売れている人、直木賞をとった人の話は聞くみたい。芥川賞と直木賞以外は、最低限の敬意を抱いていないのかも。
 欧米では、多作すぎると、枯れている、てきとうなものを世に出しているのではないか、と思われるという。書かない間のお金はどうなっているんだろう。前払いもあるにせよ、それでまかなえるのだろうか。小説は欧米から入ってきたが、出版の仕組みは江戸時代、あの大河ドラマのまま、なのか。

 エンタメの世界の慣習が、古い感覚のまま。小説はとくに、芸能界より遅れているかもしれない。だから読まれないのかもしれない。ドパガキは小説なんか読まねぇよ、などと言ってる場合ではない。それでは小説は消えゆくばかりだ。
 自分が蓮見翔さんのラジオが好きなのは、ライブ感にあるのかな、と思った。演劇はその日そのときの体験だ。毎回違うから何度も見にいっちゃうのよ〜、などというのとは、また別の話だ。ある人のある日のある一定時間を、役者と観客が強制的に共有する。そのときだけの楽しみではなく、それがその先の生活や人生に、優しく深く影響していく。

 本の場合は時差がある。時差を想定しなければならない。いまのSNSは、とってだしだ。とってだし小説??が、TikTokのような小説はできるのだろうか。TikTokもある程度の撮り溜めと、合間に、その日の撮ってだしなどが混ざってるみたい。

 継続された流れと、その日のいきおい、両方がある。もういろいろ計算されてる。そのノウハウはいつ陳腐化するか知らんけど。