茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

視野は欠ける

 視野が欠ける、かもしれない。いや、もう欠けている。どっちだろう。かもしれない。


 40才になる前から、緑内障である。病気というのは千差万別十人十色、患者の数だけ容態と治療がある、のだが、自分は目薬をしている。していても、じりじりちょおっとずつ悪くはなってはいるらしい。


 それを検査するのは、「視野検査」というまんまのものだけど、さて、それが、すごく面倒臭い、すごく嫌だ。毎回、「ちょーいや」と思っているのは、検査結果にどのようにでているのかと、毎回気にはなっているが、たぶん関係無い。それが検査だもの。


 問題は、死ぬまで、視野を、視力を、維持しなければならないということである。ちょっとまって、平均寿命何才? 考えると、ちょっと憂鬱になる。年をとってから視力を失うとか、大変そう。


 しかし、早く気がつけたのはらっきだー。健康診断はだいじだよ。
 なぜならば、「視野が欠けてる!」なんて自覚症状がでたときは、もう完全手遅れ(らしい)だからだ。そこまですすんでいたらなすすべはないという。
 何年も健康診断うけてないわ、なんていう、おっさんおばさんをみるたびに、「ケッ」と軽蔑している。


 緑内障は、状態の病気で、ましな状態を維持するという地味な攻め方しかない。なるべく悪くならないようにする。わかっちゃいるし、目薬なんてそんなにしんどくないけど、定期的に目薬をもらいに診察をうけにいったり、視野検査をうけにいくのが、たいしたことじゃないのに「とても面倒臭くて嫌だなあ」と思ってしまう。いやいや、そんなこといったって、しょうがないけどね。しょうがないけど、めんどくさいものは面倒臭いし、嫌なもんは嫌なんだ。そういいながら、目薬をさしてお医者さんへ通うのだ。


 診察も検査も目薬も、痛くもなんともないっすけどね。世の中いろんな病の人がいるでしょうから、これぐらいのことでガタガタいってんじゃねえ案件ではあります。


 つうかさ、もしかしてさ、世の中もっと緑内障でめんどくせえなーと思いながら目薬しているひと、たくさんいるよね、きっとね。まあさして鬼気迫るものでもないから、患者の会なんていらないけど、「めんどくさいよねー」とたまにちょっとひとりごとでもいってくれたら、あ、自分ひとりじゃねえんだな(ここ重要なのかな、心理状態として)、自分だけじゃないんだなと、ちょっと「おなじめにあってるひとが他にもいる」と思えるから(心が狭い)、いっかなー、なんてな。