茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

原稿用紙から

 原稿用紙の四角いマス目を埋めるのは楽しい。いかにも書いているという感じがあってとても楽しいのだが、そこだけに悦楽を見いだしていると、長い文章は書けなくなる、もとい、いつまでも書けない。
 ある程度の長さを書くとき、起承転結とか、話のオチのようなものを考えてる。そのような形式にとらわれているのは、実はとても不自由で不機嫌で非効率的ではないかと疑うこともあるのだが、完全に忘れてしまうのもむずかしい。と同時に、うまくヤマやオチを作れるわけでもなく、ましてや、たいていの書いているもの意味などないしありがたみもない。
 たくさんの絵を描く人が、とにかく描くように、文章を書く人も、たくさん書けばいいのになと思う。なぜ文章ばかりが、情報とか意味とか面白さとか、何かを求められるのだろう。「この人の描く絵はなんとなく好き」というような感覚の、文章もあればいいのになと思う。