茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

黒歴史ではないが黒歴史を処分する

 お道具箱にまとまっていた手紙をいっきにシュレッダーにかけた。1時間近くかかった。
 封筒を開いて、シュレッダーにかけ、中身の便箋をひらいて、シュレッダーにかける。紙を開くのが大変だったので、明日は指がつっているかもしれない。


 時代は90年を挟む2年弱だと思われる。九州の片田舎で、メンバーを全国からつのって、オリジナルの同人誌を作るサークルをやっていた。自分でも信じられないほど記憶が薄くて、忘れてしまっているので、実際どれくらい何をやっていたのかわからないほどだ。何かの雑誌に連絡先が掲載され(もちろん自分で送った)、全国から全く見知らぬ人たちが集まってくれた。身近な友達と、トータルで10人を超えていたようだ。
 実際に何冊かコピー冊子をだしたのだが、途中で自分が高校に進学するタイミングで東京に引越しとなり、自分がいろいろ変わってしまった。東京転勤は中3の9月か10月に言われた。東京にいってからも続けていたようだが、記憶がほとんどない。やがて、一緒にやりはじめた身近な友達に、ほぼ丸投げしてしまった。
 やがて、その友達は、いろんな事情で続けられなくなった。それはひとつも全然、本人のせいではない。だが、遠くにいる会員の人たちに、それを伝えることはできなかった。


 高校の自分は、振り返れば、それはもういっぱいいっぱいで毎日をすごしていた。それも、それはそれで無理もないのだ。地方の田舎から東京で、都内随一の名門校で、中学校までとは全然違う人々が集まるで、流されるまま四苦八苦していた。
 そして全部忘れていった。


 そしていまさら、手元にあった当時の手紙を処分した。個人情報パンパンだからだ。中途半端に作業を途中で止めたらやばい気がした。
 今頃になったのは、30年以上たっているのは、その当時のことを忘れるほど時間がたたなければ、その過去の事実に、向き合えなかったから、だと、いまは思う。
 この年になってようやく、しょうがない、無理もない、遠くの見知らぬ誰かを怒らせたり迷惑をかけたが、それもしょうがない、と完全に思えるようになった。会員は中学生や高校生だった。自分より年上の人もいれば、年下の人もいた。


 少女たちは、勉強もそっちのけで、手紙も書き、絵も描き、冊子に掲載する原稿も書いていた。じっさいは、ちゃんとかけている人は少なかった。だが、大量の手紙をシュレッダーにかけたら、その猛烈な文字の量に驚いた。便箋2、3枚はざらで、絵でも1、2枚は必ず入っている。
 なにもかもそっちのけで、文字を書き、手紙をしたため、絵を描いていたのだろうか。自分も含めて、みんなあまり上手な人はいなかった。


 のちのちの人生で、自分は、ものすごいラッキーなことに結婚はできた、家族は増えなかった。自由度の高い毎日を理由にして、どこかですべき精算をしないまま生きているようだ。手紙を処分したからといって何かが終わるわけではないのだが。手元にはまだそのサークルでだした冊子がある。その他、また膨大な、交換日記や、手書きでノートに書き上げた、書き上げなかった小説が、信じられないほどの量がある。こどもの落書きだ、すべて。


 これらをどうしたらいいのか、いまだ決めきれてない。いくらか残して処分すべきだと思う。この先どうするか、とっておいてそれをこの先人生でやることに活かせるのか、それがはっきりしないからだ。だが「いくらか残す」がとても難しいのは確かだ。未完のものは捨てていいかもしれない。
 すると、同人誌はとても捨てにくい。自分がその後の人生ですごく苦手になった、形になっている、完成品だからだ。一冊の本を作ることの意味は大きい。なにかの試合や発表会の日も意義は大きい。人生でそういうことをできてよかった。ただし、人生の序盤、少女の頃までにほとんど集中している。
 高校、大学、社会人、実質的ひきもり。
自分はどんどん、外界をおそれる井の中の蛙となって、びくびくけろけろしているだけの人生なんだろうか。現時点ではその通りだ。


 段ボール箱が5つと引き出しが1つあって、まずは半分くらいに減らそうと思っている。小中高大。幼稚園で作ったあれやこれやの神作品もあるが、それはサイズがまた違うので(もっと大きい)。


 現在からこの先、何をするか、どうするか。いつだってそれが大事なはずなんや。がんばれ自分。