茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

iPhone15Pro日記:iPhone8は旅立って行った。下取りにだした。

 iPhone15Proを買う時、iPhone8を下取りに出すことにした。ずいぶん古いのに、1万円くらいになるはず。
 物質的愛着はあるが、そうやってとっておいてある過去のものたちが、ホコリをかぶっているというだけのことも、私は知っている。ブツではなく、ブツで何をやったか、やるのかが大事だ、と下取りを決めた。引っ越しや初期化作業後、下取りの手続きをする。iPhone15Proの到着後、一週間以内ぐらいにやらなければならない手続きだろうか。そんで集荷は十日くらい先だった。


 そしてついにクロネコがきた。箱はいらねっていうので、そのまま裸族で渡した。あっけなかった。そりゃそうだ。本人確認は下取りの手続きの時点で済んでいる。(こういう手続きはどんどん変わっていくと思うので2023/10時点の話)
 微妙に色褪せた箱だけが残った。

 さみしーと思うとどんどんさみしくなるけど、それを繰り返して、この狭いうちには、ほぼゴミみたいなガラクタがたくさんあるのだ。
 昔のケータイとか、どうすればいいのかわからない。個人情報とか考えると余計にわからない。歴代のiPhoneよりよほど思い出が詰まっていてよけいに手放しにくい。


 いや、それがいけないんだよ...!!
 断捨離ではない。40代で過去のものに物質的に圧迫されて、この先ずっと生きるのは、それは本望か??と己に問いかけ。「紙切れ一枚からでも捨てる」キャンペーンをしている。ブツは、ガラクタと書いたもの、文集的なものが辛い。書くことが趣味だったから。
 ガラクタは、デジタルガジェットは手続きがめんどい。ノートPCが4台ある。リアルガラクタは、ときどきみることによって、割と捨てられているかもしれない。ケロロ軍曹のガチャでひいたようなおもちゃは、「ねちょ」としはじめていて、いさぎよく処分できた。でもまだ他に箱三つ分くらいある。タロットカードとかどうすりゃいいんだろう。メルカリかな...。
 書いたもの、ノート関連は、大学までの学校関連のものも含むが、箱何個分かわからない。15年以上、引っ越しのときにもってきて、いちども開けていない箱なんて、捨てるべきっすよ。わかっちゃいる。うげえええええ。


 なぜ断捨離ではないかというと、スペースがあれば、取っておきたいものだからだ。本当は手放したくないけど、手放すのだ。手放したいけどなかなか手放せない、じゃないの。スペースが許すなら、ぜんぶ取っておきたい。そんなことが現時点でできていないなら、いったんあきらめないと、このさきもっと悲惨じゃん?、という積極的か消極的かわからない心情だ。
 でも捨てたくないというのも、あまり説明のつかない感情で、もうよくわからなくなっているのも正直なところで。過渡期かな。