茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

夏になると

 夏になると、なぜか書こうかなという気分になる。遠い昔に書き上げたつたない小説のいくつかは、いずれも夏に書き上げたものだ。それは単純に夏休みだったから、だろうか。そうかもしれない。小説を書くには、ありあまるほどの時間が必要。
 なんてことを言っていると、永遠に、なにかを書けるようにはならない。毎日の積み重ねが大事だ。だが、それがすごく下手だ。
 たとえば楽器の練習は、毎日やるのは案外簡単だった。いまはとくに、ものすごく細かいレッスン動画を上げてくださっている先生がいて、その通りにやればいいので、前後の頭を使っていない。とにかく、いまはここ、という練習を、淡々とやる。そのほうが、効果はてきめんである。勝手なことを考えたりしないほうがいい。多少は付け加えても。
 ところが小説は、前後の流れを、書いている立場なのに、あれやこれやすぐに忘れる。それで、毎日わりと、書こうとすると、こういう駄文はへろへろと書けるが、小説となると書けない。
 どういうものが書きたいかというところが、ずっとぶれていて、その間に年をとってまたぶれて、それの繰り返しだからかもしれない。
 ただ書いていたら楽しいのなら、それはそれでいいのかもしれないが、できれば時間を費やしたことで一銭でも稼ぎたいと中途半端に思うところが、良いのか悪いのかわからない。
 ただ書いて楽しいと、書いてストレス発散と、それでそこにそれだけ時間を注ぎ込んで、一円も稼いでいないというのは、どういうことなのか、という、ずっと微妙なストレスが続いて、かつ年をとりつづけている。
 それでも、なんかこう、消えないというか、消え去ってくれない、なにか、はっきりしないもの、欲望や、願望や、憤りが、ずっとくすぶり続ける。