茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

『マノン・レスコー』DQNの思考をなぞる魅惑の読書体験

 プレヴォ野崎歓 訳『マノン・レスコー』 をやっと読んだ。


 椿姫を読んだその勢いで、元ネタらしいほうにも手をだしたが、非常に大変だった。
 難解なわけではない、むしろ簡単なはずだが、いやもう大変。ほぼ語り手で主人公のデ・グリューもマノンも要するにいまでいうところの超一級のDQN。ちょうど本を読み出した時期が、闇バイトの事件などがニュースにでたころだったから、すっかりそういう思考をなぞって読んでいるようなところが、大変だった。主人公はどちらかというと育ちがいいほうなのが、なおさら救いがないDQN炸裂。運命の女とか、ロマン主義文学とか、いやそういう話じゃないでしょ??、である。


 非常に短絡的で、視野が狭く、思慮が浅く、自己本位で、自分に都合のいいように、極めて短期的にしか物事を考えられず、想像力が皆無で、計画性も浅く、行き当たりばったり。だがお金はほしい、ラクしていい暮らしをしたい、するものだ、と思い込んでいる人。人は、時代を超えて同じような行動し思考になるのだな〜〜、と読んでいてキツかった。
 むろんそういう「浅い」「短慮」「見栄」「金」というのは、自分のなかにも思い当たる節が盛り盛りにあるから、グサグサ刺さるが、ここまで徹底的に即座に行動かつ理論武装はできないので、圧倒されてうんざりする。
 しかし自分もこの先の人生、いつこういうようなモードになるかわからないのであるから、非常に気をつけなければならない。


 教育や愛情の量や質に関係なく、道を踏み外すとき、スイッチが入ると、人間というのは威勢よく突っ走り続けて止まれない。だから、子育てがうまくいかなくても、落ちこんだり、責めなくていい。まともな支援者や友達がいても役に立たないから。


 その「ふみはずす」原因にされているらしい、彼女のほう、マノン・レスコーについての記述は実は非常に少ない。本人の言葉も少ない。非常にふわっとした存在だ。
 それなのに、そこを、運命の女!!、とかテンション上がってた昔のおっさんたち、ちょっとやばい。ほとんど主人公の独白、主人公の言葉でしかなく、それはそれゆえに人間の文学としての価値があるのだが、この内容でこの女の子について「運命の女」とか騒ぐの、ただの妄想じゃん。その恋は主人公その人にとっては、個人にとっては意味があるけど、第三者のおっさんたちには、関係ないよね。ちょっと恥ずかしい。


 というような憤りは、解説を読めば、まあまあおさまる。いままでの古典は非常に男性寄りの偏ったみかたをされている。古典には、それだけでは語りつくされていない側面、埋もれていることが、まだ半分以上はあるということだ。

 
 ところで、解説によれば、作者自身のエピソードが小説より波瀾万丈なくらいだった。もうどこかで映画などになっていそう。生きてくの大変だっただろうなーとか思った。たった一人ではなかったはずだが、お互いに名乗り出るのも難しいだろう。