茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

いまそこが面白い小説なら読める

 ちびちび読んでいる小説が、なにがどうとか大きなことは起こらなさそう(わからないが)なのだが、読んでいて面白い。かつ、次このあとどうなるの??というあおりもなく、今読んでいるそこを楽しみながら読める。少しずつ読める。

 漫画でいうなら、ストーリーの上に、そのコマの絵がいいとか、見開きの構成とかも、興味深くて楽しい、というような。(絵が下手だけど好きな漫画はあってもバズるのは許せない)アニメや実写でも同じだ。次どうなるの?の前フリの連続ではなく、そのシーン自体が面白いのが良い作品。ドラマはとくにストーリーは細えこたぁええんだよ、いいシーンをとるんだよ、ぐらいの心意気がいい。

 ウケる小説は、ストーリーは面白い作品は増えているのかもしれない。脳裏に映像を描きつつ、脳裏で映画を観るような気分で読める作品は、その点は優れたものだが。

 前後がなくてそこだけになったとき、前のオチや次のまえふりでしかないなら、それは小説じゃなくて漫画でやればいいなと思ってしまう。それ小説でやる意味ある?。実写化のための原作かいてる?。漫画が描けないから小説を書いている人は案外多そうだが。

 

 真に面白い小説、傑作は、全体も一部も面白い、というのは言うまでもない。そういうものは広く長く読まれて時を超える。

 韻を踏めというわけじゃないが、調子も含めて、読んでいるその瞬間が面白い小説が読みたい、そういうのしか読めない。前後のつながりがそのときはよくわからんけど、読み進められて結果面白い、でも良い。

 

 自分の読書力が、漫画を読むほどはないんだな、と最近気づいて来た。残念。寝食を忘れるほど熱中して読んだりできない。なので、こういうものは読める、について考えてみた。

 驚愕の予想もつかないストーリーとか、少なくとも宣伝文句にはいらない。それはもう読まない。コロンボさんが面白い。作るのはむつかしいのはわかる。

 

 小説として面白い途中が積み重なって面白い小説になったらいい。