茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

”アメトーーク! 女性役やってる芸人”で多様性について考える。

 バズってる記事があるので軽くびんじょう。(あれは完璧でしたから)


 アメトーークにチャンネルをあわセたら、これはぜったいに神回だ!とセンサーが働き録画した。そのままだいたいみちゃったけど録画もした。


 だいたいの感想

  • 多様性について考えた
  • 徳井さんは確かに前の時代の人であり、自分もややそうである
  • 男女の正しいエロさ


 みていて最初に思ったのは、「女性」のイメージに対する多様性だ。むかしは、「コントでの女性」というと、ある種のステレオタイプがあったと思う。それらはみな少し変わった困った女性、だった。しかし、今回紹介されていた人たちは、良くも悪くも本当に本当に存在しそうであり、バリエーション豊かであり、女性へのリスペクトが感じられた。具体的にキャラクターを作り込む、ということが、結果としてそうなるのかもしれない。人格が生じて、大事にしてあげたくなるというか。表現の仕方もいろいろである。プロか??みたいな化粧のひと、すっぴんのまま、小道具をちょっと付け足すだけ。


 ものすごく体の大きい人が、「うわっ絶対にこういう人いる!!」という感覚を味合わせてくれる。
 ものすごく不思議だ。ちょっとイケメンの人が女装すると「女の人に見える」という話は珍しくはないが、外見だけのひとは、動いたらすぐに違和感が生じる。登場している芸人さんたちは、過剰ないわゆる旧来のステレオタイプな女らしさではなく、ほんのちょっとした仕草とかしゃべり方、座り方で、女の人に見せている。(いまは漫画とお笑いに才能が集まる)


 多様性は、自分が、お笑い関係なく、実際の世界で描いている女性、に対しても、非常にバリエーションが少ない、足りていないのでは、とも感じさせられた。圧倒的社会的ひきこもりだ。


 そのなかで、徳井さんがいちおうリーダー席に座っているが、多様性が少ないなと感じた。自分も同レベルなので、責めるほどではない。徳井さんが好む「女子アナ」というふわっとした芸能人かなんだかよくわからない人たちは、実際非常に変な特徴が豊富だし。ただし、そういう「女子アナ」に対するイメージは、前時代的だ。古い。いまそういうものから逃れた人、逃れようとしている人、いやでたまらない人、いろんな人たちがいると思う。ただ一方、まだまだそういった「女子アナ」という人もいるので、そういう点では、かろうじて、過去のトンチキな生き物観察としては、ぎり、徳井さんは成り立つか。
 しかしもう一人、やしろさんも、「昔だからそんなに作り込んでいない」という話からはじまっていたが、徳井さんに比べるとずっと現代的だなと思った。徳井さんはいろんな意味でまじがんばれ。気持ち悪さが面白さだけど、その観察力をもっと違うものに「も」向けて欲しいなどと自分を棚に上げてひとにいうのは簡単。


 そして後半「酔った女性がホテルに誘われたら…」という短いコント。また微妙なネタをやるなあ、などと身構えてしまったが、身構えた自分が完全に時代遅れでした!! 脱帽!
 2本とも最高だった。
 ちゃんとエロいのに、男女の駆け引きもあり、確認もあり、元気もあり。
 2本目はややご愛嬌だけど個人的には好きだし、1本目はもう完全に違う時代だなと思った。めちゃくちゃ健全にエロを完遂する。男女関係なく「いい!」と言っている人が多い様子で、やっぱりそうだよねえ、である。


 いつ生まれ育ったかの年代によって男女観は異なるので、年寄りがすべて新しい感覚に従う必要もない。しかし、旧来の男女の感覚は受け入れ難い人は、どの年代にも、じっさいにはたくさんいると思う。女性はいうまでもなく、男性でも、なんだかいやだなーともやっと思っている人が多いはずだ。だが、実際どうすればいいの、というとわからないのが正直なところだ。変わっていくところは、若い世代をお手本にしていいじゃないか。


 もうひとつおまけのように考えたのは、女性がやる男性役は、これだけ数がそろうのかな、である。多分それなりにあるとは思うのだけど、そもそも女性がほとんどでない番組だ。それはまた別の話。


 芸人さんたちは、他者に対する観察が深くて分析されている。その点は徳井さんも同じで(自分が興味をもったものに対してしか、それが発動しないのだろけど)。
 日常生活で、どれくらい人は人をみているのだろう? どれくらい見たり見ないことが、相手を適切に尊重することになるんだろう。


追記
あれは同意じゃないよ!!という話もあり。昔はもっと匂わせでその上空気読まないとだめ、拒絶できないみたいなところまであったので、やはり全体的には改善してる。それすら過去の話で、もっと明確な話が必要な時代になるかもしれない。