茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

アラフォーの筋トレ

 四十代で筋トレして効果はでるのか?


 はじまりは、ツイッターでフォローしているひとが、iPhoneのスクワットアプリを使っていたことだ。無料版があったので、それを使い始めた。それが続いたので、有料版を買った。
 いまは合計で、90回前後できるようになっている。そこらへんでなんとなく停滞しているのは、1セット目に30回以上やるのが大変だからだ。ナマケモノめ。
 ながいあいだ、何十年も、10回のスクワットも息切れしていた。アプリに出会う前は、なんとなく30回ぐらいできるようにはなっていたけど、そこからなんか増えない。そんなふうにただよっていたとき、アプリに出会ったので、タイミングが良かったのだろう。
 筋トレなどあらゆるトレーニングは、10回を1セットで3回、とかいう回数の指示がだいたいあるが、そういうのが達成できなさすぎてイヤで序盤で何も始まらない前にやめてしまうのが、日本の体育教育が置き去りにしてきた運動音痴の日常である。(スロトレは最低5回というのがとてもいい)
 閑話休題
 スクワットをできるようになると、駅の階段を昇るのが楽になる。
 しかし、特に、痩せない。お腹とか。
 それで、スロトレを始めた。スロトレの本はずっと前から家にあって、時々やっていたけど、またやっていない時期が長かったので、それをはじめた。スクワットができるようになっている分、前よりはちょっとできるようになっているような、気がした。

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 もっているのはこのDVDのないバージョン。

 スロトレは10分から20分ぐらいかかる。それでもいいけど、すぐに怠けるので、隙間時間を使えるのは、プランクである。最近腹筋に代わるものとして脚光をあびている??、プランク
 これも10秒ぐらいしかできなかったけど、だんだんのびていったら、いまは1セット目は40秒ぐらい、1分30秒のインターバルをいれて、2,3セット目は20秒ぐらいになっている。
 痩せないけど、からだはかわっているようないないような。
 スロトレのなかで、アームレッグクロスレイズ(手、膝をついて、右手と左足、左手のときは右足、クロスしてあげる)が、特にできなくて、自分には背中の筋肉という概念がないということがわかった。わしに脊柱起立筋群をくれ。これがなかったから、わしは幼稚園のときから猫背だったのだ。姿勢は筋力だ。気合いでは治らない。腕立て伏せは、いまのところももっともまだまだ全然できない。すっごいできない。腕立て伏せに必要な筋肉あたりに力の入れ方がわからないのだ。これもがんばればそのうちできるようになるだろか。


 あらふぉーと名乗るのももうやばい年齢になってきたけど、これからからだはかわるんだろうか。スクワットもプランクも、人生史上もっともできている状態ではあるんだけど。
 なぜいまさら筋トレをするにいたったかというと、「やらないと死ぬ」と思ったからである。アラフォーはガチで死を感じる年齢なのである。みんな白髪を染めたりいろいろやってるけど、それは死の気配の逃亡なのかもしれない。それでまあ、いちどそれを乗り越えると、なんとなくまた生きている感じになる。
 おそらく、老いや死ぬ気配は、死ぬまでに、なんどか波のように押し寄せてくるタイミングがある。男女や個人でもそれは違うけど。
 あと、ふつうに、痩せたい。ウエストとか腰回りとか、これ以上太ると、いよいよ着られる服がなくなる。やっべぇ。

午後ローとは何か、ニコケイとは何者か

 午後ロー、それはテレビ東京の番組名、映画をながしてくれる枠。ただし最近ドラマの再放送が多すぎて辛い枠。


テレビ東京 CINEMA STREET 午後のロードショー:テレビ東京


 最近ほんとにドラマの再放送が多くて、非常に難儀しているのだが。
 基本的には、ちょっと昔の洋画をながしてくれる、とてもすてきな、クールでスイートでガッツのあるクレイジーな枠だ。吹替版の放送であり、時々昔のオリジナル吹替版を、さらっと流してくれたりするので、ちょっと困る。そういうレアもんを放送するときは、もうちょっとアピールして。頼むわよ。

 午後ローに本格的に注目しはじめたは、無職になってから。それは、崇高なる導き手、聖地、友、すべての無職と病欠児童のための、めくるめくわんだふるタイム。
 おっぱいなんてデフォだったし(ただしサメ映画)、真っ昼間からベッドシーン流すし(サメでないなら巧妙におっぱいは映らない)、そして大塚明夫さんの出現頻度が異常に高い。(厳密に集計をしたら違う人がいちばんかもしれない。てきとう)その理由のひとつが、ニコケイの映画がしょっちゅう放送されるからだ。
 ニコケイとは、ニコラス・ケイジのことである。有名俳優であり、ヒットした映画は多い。日本の知名度も、まあまあ、このご時世でもあるほうだ。
 と思う。
 明夫さんが吹き替えている俳優は、たっくさん、いるが、ニコケイもそのひとりなのである。
 ニコケイがどれくらい演技がうまい人なのか、すぐれた俳優なのか、ぶっちゃけ正直なところワシにはわからん。しかし明夫さんが吹き替えればもうオッケーなんである。オッケー、オッケー、かなり問題ないどころか、むしろ優れた部類に入る。たとえ明夫さんが吹き替えても、「これは……」とソッとチャンネルを変えてしまう他の俳優のシリーズもないことはないので、そうするとニコケイは仕事するスターであるといえるかもしれない。
 大塚明夫というと、いまの若い人は(手垢のついたフレーズ)渋い役柄や声のイメージが強いかもしれない。自分が勝手に、このひとまじほんとすげえ!!、と『紅の豚』である。四半世紀ぶりに声優さんを意識していろいろみるようになってから気付いたので、わりと最近知った配役だけど。軽さも十分にあるから、渋いのもかっこいいのである。
 ニコケイは、その明夫さんの軽さを楽しめる。ナショナル・トレジャーとかファミリー向けぽい映画だと顕著である。他にもいろんな映画あるけどさ。ナショトレはニコケイがやたらとぺらぺらしゃべる役なので(知識が多いから)、明夫さんのしゃべりも堪能できる。
 ニコケイはアクション映画も多い。もちろん明夫さんもアクション映画もいっぱいいっぱいやっている。かっこいいにきまっている。どうみてもニコケイ本人よりかっこよく見える…!!


 さあ、ニコケイとはなんなのか。実在するのか、いまもいてはる人なのか?、という揺らぎが生じることさえある。大塚明夫氏の吹替がうますぎる、かっこよすぎる故だ。午後ローで吹替ばかりを流し見しているから、こんなことになる。おそらくはこの先も、かなりのことがなければ、大画面で、劇場のスクリーンでニコラス・ケイジを見ることはないだろう。そうなれば当分のあいだ、フワフワしっぱなしである。
 午後ローはそもそも、幽玄的な体験をさせてくれる時間体である。シュワちゃん吹替版に熱くなる正統派の楽しみ方もあれば、見終わったあとに、「時間かえせゴルァアアアア!!」と自分の怠惰を棚にあげて叫ぶ楽しみもある。サメにお尻を噛まれるキャッキャウフフな怪しい若いカップル達をみたり、主人公たちの後を横切るでくのぼーのようなおそろしいエキストラを大爆笑したり、どうみてもハリボテのサメやワニを愛くるしいと思ったり、チェーンソーとサメが戦うのを応援したり。と、油断していたら、本気で怖いやつもたまにでてきたり、本当に面白いちゃんとした映画も、たまああに、放送されたり。


 いまはいろんな配信サービスができて、いろんな映画をみられるようになっているが、それはすべて、自分でジャンルを指定したりタイトルをキーワードにして、探しにいかなければならない。そんな世界においては、本屋を廻遊して面白い本に出会えるような偶然、ぼんやり惰性でチャンネルをあわせてB級だがツボにはまる映画との出会いは、なくなっているのである。
 実に残念。
 日テレはバカの一つ覚えのように、ジブリとハリポタをエンドレス再生するだけの末期的状況だし。頼みの綱は、テレ東だけ、午後ローだけなのだ。(吹替でこそテレビでの映画放送の醍醐味であるという大前提。)
 しかし午後ローもここのところ、自社の二時間ドラマの再放送にしょっちゅうのっとられているという危機的状況。これはもしかして、BSのほうで、午後ローとそっくりなラインナップというか、そこへ移動してしまったかのような番組をやっていて、そういった大人の事情か制作上の都合などが……。
 BSのほうはそれはそれでよい。夜にみられるのは、都合がいいというひとが多いかもしれない。

 だが、平日真っ昼間に、

「いったい俺は何をみたんだ……2時間何をしていたんだ……」

と、愕然とするような、そのリスクの高い冒険を、体験したいのである。明るい午後の陽射しの下で。


 というわけで、テレビ東京さんは、午後ローの枠は、びしっとばりっとシャシャっときちっと、主に洋画を、できればオリジナルの吹替版を、流し続けてほしいのである。そしてそういう吹替版を放送するときは、ちゃんと告知をしっかりするよおに。


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新しいエアコンと

 エアコンを買い換えて二十日ほどになる。とても快適だ。空気が綺麗で部屋がよく冷える。リビングから続きのキッチンで、コンロをみっつ燃やしても暑くない。揚げ物をしてもへいちゃらよ。風がふわんと遠くまで届くのだ。信じられん。どんな仕組みなのか、まじで。
 室外機は巨大で、ベランダにおけるややギリギリだったけど、音は前より静かで、吹き出してくる温度は以前より明らかに低い。ただでさえ猛暑でおかしなことになっていたベランダは、一命を取り留めた。
 大きなファンが大きく静かにふわんふわん回っている。どんな速度なのかはよく見えないけど、ふあんふわんと心地よくたゆたうような心地さえあるのが不思議なところ。
 ダイキンのサイトをみるとAIの自動運転がオススメで、売り場の人や取扱説明書によるとフィルター掃除はエアコンにまかせろとのこと。内部クリーン運転を切るたびにはさすがにあれだけど、二、三日おきにはするようにしている。フィルター掃除はかってにしてくれる。
 むろん、全部の部屋に同じようなフラッグシップモデルにちかい機種は買えない。でもリビングとキッチンを含むエリアには、よい選択だった。同じ予算が確保できる前提ではなしたばあい、選択には正解はない。フィルターは自分で掃除してはやめに買い換えるという人もいる。メーカー的にはどっちがいいんだろ?
 でもよく考えれば、いちばん酷使していたのは、寝室のエアコンかもしれない。なぜなら過去10数年のうち前半は、平日昼間は家は無人だったからだ。寝室のエアコンは、夏の頃は、毎日ぶんぶんがんばっていただろう。いまはかなりウンスンカタカタうなることが多い。こちらも、もう買い換えなければならない。洗濯機はとっくに限界をすぎている、冷蔵庫もやばい、電子レンジは時々反応しない。給湯器も取り替えなければならない。
 生きるとは、家電を買い換えることで、家電はお金がかかる。そういうのもいわゆるライフイベントにいれるべきじゃないかね? スマホやPCの買い換えもね。
 なーんか、豊かな物質に押しつぶされそうな日々である気もするけど、まあ記憶の途中から電子レンジがある世代だし……。

体験を語り継ぐこと

 昨晩のラジオで、被爆体験を語り継ぐことを話題にしていた、と思う。なんとなく途中を聞き流していたので、曖昧。
 被爆者本人が語り、その家族が語り継ぐ…。
 本人が体験を語ってくれることは、すごく貴重で重要だと思う。本人にとっても、社会にとっても。いまの時代なら、ぜんぶすべて録音録画して残しておくべきだ。
 でも、こういった体験を語り継ぐ人を「本人」とか「家族」だけに求めているとしたら、そういうったものしか聴くに値しない、語るに値しないと思っている人が多いなら、変な話である。
 ラジオでは最近は語り方もかわってきたという話題もしていたようだ。他者が語り継ぐこともはじめられているのだろうか。


 こどものときから、いろんな戦争の話をきいた。広島、長崎の原爆、沖縄、東京大空襲、地元の空襲など。いまは見聞きしておいてよかったと思う。でもとある原爆記録映画をみにいったときは、ずっと目をハンカチでおおって、画面をみなかった。気持ち悪くなるからだ。それを親はとがめるようなことはしなかったし、そのときの自分がそうしたことは、よかったと思う。


 原爆や空襲などの出来事を見聞きするときに避けて通れない、「気持ち悪い」こと。いまとなっては、その本人の性質、受け止め方、あるいはそもそも体調とか、いろいろ個人差や場合があって、無理矢理、凄惨なものをみることが必ずしもよいことではないことは、だいぶわかってきている。だが、あるていどについてはその「気持ち悪さ」をこえて知らなければならないことがある。
 あと、「唐突さ」問題。昨夜のラジオでもすこし話題になっていて、こうの史代さんの作品がとても自分に響いた理由がわかった。


 のんきに生きているこどもには(過酷な条件下のこどもがいるが)、日常が唐突に分断される残酷さが、正直そんなにわからない。とくに昔は、爆弾がおちて、焼夷弾がおちて、というところからたいてい話がスタートするから、火とか焼け野原とかそれによって、やけどをしたりケガをしたり死んだりしてしまう、ということが、直接的な「怖い」「してはいけないこと」の対象となる。
 その感覚は長いこと、大人になってもつづいていて、極端なはなし、こうの史代さんのマンガを読むまで続いていた。いろんな映画やドラマもアニメもみただろうけれど、ここまで伝わってくるものは、ひとつもなかった。


 小中学校でうけた教育が間違っていたわけではなく、ちょっと足りなかった。原爆や空襲という凄惨なことをダイレクトに伝えることも必要だし、それ以外の部分も必要だった。
 そこはいま現代社会が突入しようとしているかもしれない、暗黒面についてだ。結局はそこを避けているから、直接的な暴力だけ教育するから、「自分がその対象にならなければ関係ない」という傲慢さも、ずっと同時に教育してしまっている。
 どんな戦争をしていたのか、なぜ戦争をするにいたったのか、それを教育していない。自分もいまだにたいして分かっていない。ただなんとなく、永続的な権威が欲しい、階級が欲しいという層が、同じようなことをしようとしているのかな〜〜という感覚はしている。だが感覚が弱いから、知識や教養が弱いから、そのゲスい人たちを適切にあぶり出して冷静に指摘することができないんだろう。ある意味、戦後の教育は適切だ。


 閑話休題(どこから??)
 何かを「継ぐ」ということについて、日本人は血とか家とかにこだわるけど、それはぜんぶ無駄だし、「継ぐ」ことの障害でしかない。あらゆる「継ぐ」ことについて、性別、国籍、人種は不問だ。継ぐ内容を会得するために、その土地にある程度留まることは重要である。それが何日なのか、何年なのか。フランス料理を学ぶためにフランスに行くのは、必然であり自然である。継ぐために、継ぐものが生まれ育つ必要はないが、その内容によって、その土地に、ある程度の時間は、生活する、生きなければならないところはある。継ぐに値するものは、たいてい水や風土と密接に関わっているし、その支配をうけているからだ。


 原爆の体験について、遠くの国の人が適切に知識を得て、遠くの国でも語り継ぐようになることを、目指さないのかなあ、と、不思議になる。当事者が語ることももちろん大事だけど、時が経たらぜったいにいなくなってしまうのだ。伝播していく途中で、あれこれ創作が入ってしまうのは、仕組み的に避けるべきだけど、日本人はそういう仕組みを作るのはすごく下手かも。

ZARAで商品管理タグがとれなくて買えなかった話

 ZARAに買い物にいったら、レジまでもっていって買おうとしたもののうちの一つが、どうしてもどうしても商品管理タグがとれなくて、買えなかった。とても残念だった。
 店員さんは、店内から代えの商品をさがしてきてくれたけど、それは糸がほつれていて、すでに回避したものだった。倉庫には在庫があるけど、遠いところにあるので15分くらいかかるという。アプリでネットにも在庫があって、送料無料で買うことはできます、ここのショッピングモールのポイントはつかないけど…、とかいろいろ説明をしてくれたけど、とりあえずほかの商品だけ買って店を去る。
 以前から、そこのZARAのレジは、不審な動きがあった。盗難防止用の商品管理タグをとるとき、タグを、

 ぐりぐりぐり〜〜

と、思い切りおしつけて、ゴソゴソするのだが、それがなんとも、衣服を痛めつけている感じがする。そもそもZARAは高くない。だから多少のあらっぽいことはしょうがないのだが、ええかげん、あのシステム、リニューアルしませんかの? ユニ○ロみたいに、ばさっとしゅっとかに、しませんかの?
 買えなかった商品のタグは、店員さんは別のやり方で一応はずしていたが、もう売り物にはできなかった。大きなネジのような針で、穴があいていた。1600円がどこかにきえた瞬間をみてしまった。


 990円のTシャツを目当てにいったのだ。その価格帯はなくなっていて、1190円になっていたけど、それでも安い。ベーシックな安いTシャツを3枚買うつもりでいった。6枚試着した。1つは入らなくて、2つは全然にあわなかった。3つはよかった。白についてはちょっと薄くて紙みたいなのが目立つので、1600円くらいのを買おうとした。それが、買えなかった。
 990円を3枚買うつもりで店にいって、黒が1190円、白が1600円、グリーンは2000円を完全に見間違えていて、レジでひそかにあわてていた。なので、白が買えなかったのは、良かったのか悪かったのか。