茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

20年ぶりくらいにバイオリンを弾く話

 小学校のとき5,6年ほどまでと、高校のとき半年か1年ほど先生にならった。高校のとき管弦楽部。大学から社会人のはじめのころ、計3回ぐらいオケの演奏会。おおむね社会人生活と両立できなくてやめていた。大学で、合唱団に入ったことは後悔はしていないけど、オケにはいらなかったことは、ずっとちょっと後悔している。むつかしい。人生は選択しなきゃならないのだけど。
 20年ぶりくらいにバイオリンを弾く。
 あまりにも、あまりにもギコギゴ雑音だらけで、音がでないので、弓の毛替えに突撃。するとすごい音が変わったのでちょっとホッとした。毛替えした直後は粉がでるくらい松ヤニをぬるのだけど、松ヤニの使用期限はあるのかな? 20年まえのやつ、つかっていいのかな? 軽くググったら、「割れたから買い換える」が圧倒的多数のよう。15分ぐらいぬってぬってやっと少し音がでて、まだまだ追加でぬる。まんべんなくぬるのがむつかしい。どんだけ塗っても粉がふかないし。新鮮な松ヤニなら、はやくさっさとぬれるのだろうか。
 さびかかってたG線も張り替えたが、ペグがつるつる回る。滑り止めをもっていたのでぬってみたけど、それも20年ぐらい前のやつ。


 もともとそんなに弾けたほうじゃない。とにかく腕や指が動かないのは想像の範囲内だが、左手が恐ろしいほどにおさえられない。1stポジションでの音程が悪すぎて混乱する。何をやっているかわからなくなる。人差し指をおさえながら、薬指、小指を正しい位置でおさえられない。いろんな低下もさることながら、どうも物理的におかしい気がして、もしやいまさら手が小さいかもしれないと気付いた。小指がとくにダメそうなので、小指を鍛えようと思い、いろいろ検索したら、楽器のほかスポーツでも小指を鍛える話(ボルダリング)があって面白い。普段の生活から気をつけたら、二の腕や上半身が痩せるって? マジスカ?
 弦をおさえるとき、人差し指、中指がきちんとたてておさえられていれば、中指や小指を押さえるる力というか支えになるようだ。なので結局は、基礎練習、あるいは指と指の間が開くか、手のひらがでかくなれば…。
 昔とちがって、ググればいろいろ基本的な情報がでてくるし、Youtubeに有名な曲の映像はうなるほどあるし、古典は譜面もネットにあるらしい。スゴイ時代である。


 いまほしいなと考えているもの

  • 松ヤニ(割れてないけど買うかも知れない)
  • 譜面台。軽いやつ(ごせんえんくらい…なやましい)
  • バイオリンケース(いまのに謎の染みがあるから。でも万単位なので壊れないかぎり買えないわ)


 ほら、もう毛替え 5000円 もしたし、弦も 1500円くらいも買った。すぐにどんどんお金がかかるんだよな…。
 ネットでしらべると、バイオリンなんてホビーのいちジャンルのようで。なるほどねー、なのである。


 一ヶ月や二ヶ月で、どれくらい弾けるようになるんだろ。

はてなハイクは何が違ったのか考えた

 終わってしまった「はてなハイク」。
 はてなハイクは、自分にとっては、逃げ場所であり、休憩場所であり、ほっとする場所であり、ハッとする場所であった。なんでそんな場所になっていたのか。自分は何から逃げて、何から休憩しようとしていたのか、ちょっと考えた。それで、ツイッターのほうを整理して、自分のタイムラインを「ハイク化」することにした。
 もともと、「はてなハイク」は、自分が投稿する分にはほとんどツイッターと同じだった。気の利いたことを投稿できないから、お題に対する優れた投稿を、いいなぁ、すごいなあ、と指をくわえてみていた。


はてなハイクツイッターのちがい

  • はてなハイクは、全体数が少ないが故に、メインがパブリックタイムラインになっていた。お気に入りのひとしかみない使い方をしていた人もいたようだが、私は、パブリックタイムラインこそが、タイムラインだった。ツイッターではいまとなってはとうていできないことである。
  • はてなハイクには、リツイートがなかった。いま思えばこれはすごく大きい。ぶっちゃけその人個人の発言より、リツイートはたいていつまらないのだ。
  • はてなハイクには、公式アプリがなかった。自分も作ったりしたけど。最後まで、ブラウザで「観に行く場所」だった
  • はてなハイクには、スターがある。色もつけられる、数も自由自在。
  • はてなハイクの表示は、文章と画像がまさにミニブログだった
  • はてなハイクには、文字制限はなかった。ながいと折り曲げられていた(だいぶ長いと、だけど)
  • はてなハイクには、偉大なお絵描き機能があった
  • はてなハイクは、そもそもキーワードが主になっていた。自由でいいはずなのに、キーワードに集まるから、時差があって観に行ってもおもしろかった。(それもアクティブユーザー数の少なさの故といえば…)


 ツイッターは、情報を得るツールになっていたけど、そもそもは、個人の他愛のないつぶやきを垣間見るツールだった。はてなハイクとそこは同じだった。でもいまは、個人のことをツイートするひとは減っていて、リツイートが多くなっていた。好きなものについて語る人は多いけど、情報とか、ツイッター芸人のような文章ばかりになりつつあった。
 はてなハイクみたいに、ふつうのひとの、よかったわるかったがっかりしたちょっとおこったほっこりした、そんなことがみたいのだ、と思った。そういう人もツイッターにいるけど、少数派になっていたし、自分がツイッターではあまりそれらに関心をもたなくなっていた。はてなハイクにはわざわざそれをみにいくのに。


 だからタイムラインを整理中である。公式や有名なアカウントははずして、リストでみる。話題になっているからという理由だけでフォローしているものを外す。ながめていれば情報が入ってくるタイムラインとはおさらばだ。いろんなひとのふつうの、ぼんやりしたつぶやきをながめられるタイムラインにする。
 うまくいくか、続くかはわからないけど。
 ささいなこと、かわいいこと、別れ、季節の巡り、らくがき。はてなハイクで得たこと、教えてもらったことを、なるべく忘れずにもっていきたい。

スポーツの熱狂とエンタメの熱狂

 スポーツとエンタメ。世の中的なカテゴリーはいっしょくたで、以前はなんでいっしょにされるんだよと悪態をついていたけど、まあいっしょだよなと、近頃ようやく思っていた。が、熱狂の度合いとかタイプがぜんぜんちがう、と世界選手権を観に行って思った。


 簡潔にいえば、(個人の感想です)

「スポーツのほうがより直感的で幅が大きく、瞬間度が高く、ある程度期待されていても、不確定性の高い熱狂がいきなりくる。」

なのデス。
 音楽は特に、オープニングからだんだんテンションをあげていく演出があったとしても、だいたい2時間から4時間??のあいだは、演出や曲順は緩急がつくのが普通で、かつ、1曲のなかでも、だんだんもりあがっていく〜〜みたいなところがある。
 お芝居もイントロからいきなり「どん」と熱狂をえるようなことは、あんまりない、というか、無理です。積み重ねて行って、やがて決めのところでの、緊張感の続く場というのはあれども、それは観ながら「おおおお!」とか叫んじゃうようなもんではない。手に汗握るようなすごくはりつめた状態がぐぐっと続くようなイメージ。


 スポーツは、もしやサッカーや野球など、試合開始いきなり得点を得たりしたら、もうスタジアムは興奮のるつぼと化す。音楽でもるつぼはないことはないが、「ぶちっ」とキレるような瞬間的な熱狂よりも、ある程度継続的な熱狂となる。スポーツはそこがちがう。平均的に「いい競技」をして観客を楽しませてくれるのがプロのスポーツだけど、そうでないスポーツは熱狂が発生する確率は低い。プロでないならスポーツする側も、客を喜ばせなければならない義務はない、たぶん。だからこそよけいに、熱狂がおきたときのそれは、おそろしいものになる。
 しかも、応える義理がないのに、期待にこたえてやってしまう、おきてしまうところが、上位の選手や大会の恐ろしさだ。


 まじ「怖い」と、会場で何度も思った。
 それは3グループがはじまってからだ。選手のレベルも高くなると、急激に会場のボルテージがあがる。その予兆は6分間練習。まるで観客達もアップをしはじめるがごとく、練習でくるくるじゃあんぷをする選手にあわせて、声をだし拍手をする。それはまだわかる。実際にそこで見事なジャンプをきめるのだから、それに反応して声をだす。そして、そのテンションのまま試合にはいる。それまで「ぜんぜんなんにもきこえなかった」客席から、選手へのかけ声がとびはじめた。
 その前の2グループまでは、良い演技のときやごひいきの選手のときは、演技の終了後に、スタオベとか声をかけるのはあった。はじまるまえの声がけは、ほとんどなかった。きこえたのは、おそらくは選手と同じ国の人の声ばかり。
 しかし、3グループになると声がとびはじめる。いままでなにしていたんですか、いたんですか??、というくらいそこらじゅうから声ががんがん飛ぶ。けっこうふつうのおとなの女の人の、しかしちょっとドスのきいた声。黄色い声援とはいえないし、いままであんなの耳にしたことがない。
 それらのテンションが、一瞬で、一気に、100%を超えたのが、宮原知子選手のとき。わたしは新参者も甚だしいので、この選手がどれくらいすごくて偉大なのか、あんまりしらない。名前は知っていたので、知らないひとに名前を知られているということは十分にすごかろうの検討はつくけど、どれくらいすごいのだろうかということは、会場の恐ろしい声量、勢いですぐに分かった。


 それがめちゃくちゃ怖い。宮原選手がびしっと決めれば(じっさいすごかった)

 ゴヲッ

 と空気が動くような声がする。それがちょっと門外漢には気持ち悪いくらいのタイミング。ジャンプを正しく認識しているせいだろうけど、ジャンプが決まったわ〜と(特に運動神経の悪い伝達と反応に遅延が発生気味の)素人が認知認識するまえに、

 ドオッ

 となるので、それがめちゃくちゃ怖いのだ。


 観客がほとんど女性による、女性の選手の会場でこれである。男子の競技だとどうなるか、考えただけでもおそろしいし、あるいは、欧米のサッカーなど、男性ばっかりのところでこの

 ト゛ヲ゛ッ゛

 が起きるのは、想像しただけで恐怖だ。


 その興奮はわかる。本当に直感的にすごいのだ。選手の動きのすばらしさは素人でもわかる。説明はぜんぜんできないけど、本能的に目をうばわれるし、胸がすくような爽快さがある。興奮と気持ちよさはセットだ。恐ろしい。(だから「ハマる」ということが発生するのだろう。)
 素人が「おー」と驚いている間に、ちゃんとしたファンはもうジャンプとほぼ同じタイミングで声をだすのだ。


 怖かった。


 男子の試合より、正気を保っている観客は多いだろう。みるからにおかしいひとなどはいない、いっけん普通のひとがほとんどだ、みためは。でも、声をだすタイミングや快感を知っている人がほとんどなのである。フィギュアスケートファンには気をつけろ…!


 どんな場合でも、ひとは見た目によらぬもの。
 アニメとか漫画のオタクは、以前ほどではないにせよ、見るからに感があり癖があるように言われるけど、スポーツの熱狂的なファンというのは、そのスポーツにおいて、完全にジャンキーなのだ。外見ふつうで中身それ。よほど危険じゃないか!(見るからに変なひともいるにはいる)


 と、誰に向かってなんの言い訳と防御を張ろうとしているのか。


 なんとなく、スポーツ好きなひとって、健全健康なイメージがあったけど、ぜんぜん違う。興奮の仕方がちがうだけで、酔っぱらい度や依存度はサブカルヲタとまったく同じだ。

フィギュアスケート世界選手権を観に行って思ったこと

 フィギュアスケート世界選手権の、アイスダンス(リズムダンス)と、女子フリーを観に行った。行くまでの準備とか現地でのあれこれとかネタはいろいろあるけれど、とりあえず。


 予定では、12時から16時までがアイスダンス、17時半から22時までが女子フリーなのだが。そんなに長丁場、さすがにいきなり初心者が観られるわけははないだろうと、のんびりでかける。うろうろしてから席についたら、ちょうど2度目の製氷が終わったぐらいだった。アイスダンスは15時ぐらいからみた。リズムダンスはシングルでいうショート。15時からは、世界ランクが上位の人たちのグループの時間帯だった。
 はじめて生でみるアイスダンスは、本当に夢のようだった。銀色の盤上をくるくると舞い踊る美しいお人形さんたちのような、まさに少女の頃に夢に描いたような、あのくるくる踊るオルゴールのような、非現実的世界である。どのグループも「すげー」「ほわー」とまぬけな声をあげるばかりであるが、最終滑走、パパダキスとシゼロン組(もちろん名前なんてあとで調べたていど)が、軍抜き段違いですごかった。滑り始めた瞬間に、「あ」となる。音楽との一体感、パートナー同士の一体感、なめらかさ、すべて超越的な光景だった。素人でも分かるすごさ。
 16時すぎて、次の女子フリーまで休憩。館内をうろうろ歩いたり、女子トイレの個室の数を数えたり。
 17時半から、女子フリーが開始。

  • 4グループにわかれており、1グループ6人。1グループほぼ1時間弱。
  • グループのあたまで、6分間練習(6人が自由に6分間滑る)、選手の紹介もある
  • 2グループが終わったら、15分の製氷作業がある。実質の休憩

 ショートの成績でうえから24人が、成績順に4つのグループにわけられ、グループの中の滑る順番は、くじ引き?らしい。全体で、観ているとだんだんうまいひとになるので、1,2グループは点数が低い人たちではあるが、とはいえ世界選手権である。国や地域の代表の代表なので、下手なわけがない。みんなすごいぜんぜんうまい。ジャンプの失敗とかスタミナ切れとか、なるほど確かにみてわかるけれども、レベルが高い。
 演技がおわると、そんなに悪そうにみえなくても、本人はしょぼんとしていたり、泣きそうですごく落ち込んでいる選手もいる。あるいは、明るい笑顔や、感極まって泣きそうになっている選手もいる。どちらも、ものすごいファイティングスピリッツを感じたし、感動的だった。


 フィギュアスケートは、自分と戦う、自分に勝つしかない競技なのだ。
 自分がその時点でできる最適最高のプログラムを組み、それを本番でやりぬく。そもそも設定しているプログラムに差がある相手には、絶対勝てないのである。だからそこはあまり問題がない。自分がそこでそのときそれをやりぬくかでしかない。
 だから傍からみたら、けっこういいじゃないのとみえても、本人が不満があれば悔し泣きだし、限りなくミスがなかったり、たとえジャンプでこけたりしても、いい出来ならばはちきれるような笑顔だったり、感激の涙である。シーズンベストの更新が多かったけど、それでも本人は納得がいかない表情だったりして。厳しいのだ。点数が発表されるときは、会場に2箇所ある大型モニタに、選手やコーチがうつっているので、表情がよくみえる。演技中も映像がでているけど、リンクをみているので、あんまりみない。


 実際にみて、テレビとの劇的な違いは、スケートなので「滑る」「移動する」ということがよくわかるということ。常に全身を観ていられるということ。テレビで高画質になって選手をきれいにおっかけられるようになったのはいいけど、それでも十分ではない。ひろいリンクを十分につかって行われている競技だ。だが現時点で、その魅力をつたえてきっているとは言い難い。カメラで追うということそのものが、阻害しているから。
 アイスダンスでは、ときどきカメラがひくけれど、それはアイスダンスは「移動する」とくに見所になるからだ。リンクをたてにすいすいすいと優雅にすべってくるのなんて、もっともぞくぞくする。
 スケートの魅力は滑ること、移動、スピンなど、氷についているところにおいてである。ジャンプが四回転だとかいっても、本当に次の世代が、よい競技者になれるかなんて、まだわからないのだ。(順番としては、ジャンプが先であと、細かいところを上達していくんだろうし、結局できるようになっちゃうんだろうけど…)


 チケットは2万円。当たらないと思っていたのに2人分あたってしまったときはくらくらしたけど、いってみれば内容としては高くはなかった(設備や運営については怒髪天、選手への賞金を調べてさらに)。世界選手権なら5,6年に一度しか日本でもないし。座席の狭さは拷問なので、次はもっといい会場ないのかな。
 夜遅くに家にたどり着いたら、一週間月に行って帰ってきたような感覚だった。


 

動物園で春一番

 唐突に動物園にいった。以前は年パスを持っていた時期もあったが、最近はご無沙汰していた。子パンダも初。動物園の入り口も混んでいるし、入ってすぐのパンダはもちろん長蛇である。しかし待ち時間は40分以上ということなので、まずは並んでみた。

 冬の終わりの昼下がりで、寒くはない。それどころか、春のはじめの強烈な紫外線が、デコにささる。行列はうねうね広く蛇行しており、場所によっては、木々の近くでひんやりするが、メインで待つところは、ひらけた場所でがんがんに陽が照りつける、暑いほど。ぶんぶんに吹く風は、のちに春一番と知る。

 じっさいは30分ほどの待ち時間で、ついにお目見え。だが、知ってる、たいていみんな、わかってる、やつは寝ている。

 しかしさすがに子パンダであるので、木の上で寝ていた。不安定そうな枝の上で、絶妙に安定して、身動きせず溶けそうなまんじゅうのように寝ている。

  母親はアクティブだったが、手前と裏側の運動場と部屋の出入り口あたりを、しきりにうろうろしているばかりで、忙しい足とお尻しかみえない。

 父親は仕事を全うするがごとく、手前ではないが、ぐるぐる歩いたり、時には木の幹にしがみついて立ち上がってくれた。

 基本的に奴らは寝てる、しかも土に汚れたお尻をむけて寝ている。よって、まったくラッキーであった。

 

 子ゴリラをひやかす。小さい。見れば見るほど人間のようで不思議。真っ黒なので、母親らしきゴリラとくっつくと、なにもみえなくなる。よく動く小さいものには、子どもも大人もテンション上がるらしい。黒山の人だかりでうるさい。パンダは静かにしろと注意があったけど、ゴリラたちは平気なのだろう。

 ワライカセミは、バランスが悪いのに美しいふしぎな鳥である。どんなふうに笑うかは知らない。

 ニホンザルたちは、傾き始めた陽を背に浴びて、ぽそぽそなにかを食べている。まったりしている。

 

 プレーリードッグが、まだ冬のせいか、みんなもこもこに膨らんでまあるくて、ハムスターのよう。もぐもぐタイムに、必死というわけではないだろうが、各々高速で細い草を食む。
 そのとちゅう、体をプレーリードッグらしく伸ばして、
「キ゛ュウ!」
と、奇声をあげる。何度も、ではなく、それぞれバラバラのタイミングで、ときどき、たまに。みんな、おどろくわけでもない。何かの合図でもないらしい。
 もしかして食べる途中に必要な行動だったのか。飲み込むために立ち上がり、奇声はげっぷだったのか?

 うしろには、他から引越してきたはずのバイソンたちが、もくもくゆっくり食べていた。彼らは正面や後ろからみると、うっすい。横からみると山もありけっこう大きい。

 プレーリー仲間で、そこに集まったらしい。

 

 園内はもりもり工事中。これからどんなふうに変わるのだろう。パンダは中華圏のひとも見に来ていた。