茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

『アンパンマン』は原色ギラギラではない

 『アンパンマン』を原色がきついアニメ、みたいな雑な批判をどこかでみかけて、それがずっとひっかかっている。素人さんでも、少しでもイラストを描くような人だったから、なおさら。そういう人じゃなかったら、まあそうかもしれないわなとスルーできたけど、ちょっとでも線を描き色をぬる人がそんなことをいうのか?、となんだかずっと気になっている。
 自分は絵はほんとうに下手の横好きで、ともすれば画伯の落書きをするだけだが、『アンパンマン』のすごさはわかる。原作をみたらなおさらすぐにわかるので、もしかしたらそのひとは、原作絵本をみたことがないのかもしれないが、だとしたら、ちょっと不幸かもしれない。
アンパンマン』は明るくいつも元気、宿敵ばいきんまんと終わりのないお約束パターンの毎日をおくっている、わけではない。そればかりじゃないから、ずっと続いているのだ。おそらく視聴者が気付かない範囲でのルールもたくさんあるだろう。必ずやること、絶対にやらないこと。作品も期間が長いので、時代で少しずつ変わってはいるけれど、少なくとも、組み立てたりカードを用意したりするゲームのような色彩であったことは一度もない(それにはそれらの利点があるけれど)。つねに、一貫した色調であり、物語によってもそれはコントロールされている。だから、面白いし、幼児の心をほとんどいちどつかんでしまうのだ。
 28日の放送はとくに、優しさとふしぎなさみしさがあらわれる二本立てだった。(この年の瀬にどうしてこの二本立てなのか)

  • 『ビクビクちゃんとドクダミふじん』
  • 『フランケンロボくんとポッポちゃん』

 タイトルだけみると、なんだそりゃ??ばかりであるが。ドクダミふじんは圧倒的ホラーだし、フランケンロボは毎度涙腺をぐいぐいついてきた(でも今日はポッポちゃんがいたせいか、やや明るめで)。
 底抜けに明るいばかりのストーリーのときもあるが、ハッピーエンドなのに、妙に寂しく切ないこともある。アンパンマンそのものが、ずっとそういうキャラクターなのだ。さみしさや悲しさを内包しつつ、しかし太陽のように明るく、空を飛ぶ。色も形もすべてそうである。すべてでその世界を作っている。
 こども向けだから、という先入観で、その魅力に気付いていないとしたら、とても損をする。こども向けだからこそ、おとなになるとみえてくるものは多い。

『はたらく細胞』のおもしろさ

 また思いたって『はたらく細胞』をみている。放送中も配信でみていて、今回もまた配信でみている。楽しい理由はいろいろあるが、OPが内容にあわせたれっきとしたアニメソング! しかも歌っているのはキャラクターたち! という点も、すごく気に入っている。これだけで好感度が爆上がりする。本編が始まる前に楽しい気分になる。


 作品は、「人体の細胞たちの擬人化」というアイデアがもちろんだいぶすごいけど、そればかりではない。作品を気軽にみていると、台詞がどこかで聞き覚えのあるかんじ、王道、ベタがてんこ盛りなのに気付いた。午後ローをみてる感覚。アニメとか、映画とかで、こういうベタシチュエーションに決め台詞あるある〜〜! 声優さんもとてもいいお仕事をしている。ベタはうまくなければ陳腐になるから、うまくなければだめなのだ。医学的要素をのぞいたところのストーリーも、むかしの少女マンガ、なつかしのテレビドラマみたいなノリがある。ドジだけど愛嬌あるヒロイン、正義感が強いヒーロー(このふたりが安直に恋におちたりしないところは今日的)、パンを加えて走り出すとか、ぶっきらぼうに手をかすとか、王道も王道、りぼんを読むようなちいさなときめきにきゅんきゅん遭遇する。そのほかにも、普段は役立たずにみえてもそれぞれの役割では力を発揮する、的なベタ展開。

  • 「ちょっとあれみて」ひそひそ陰口
  • どうせ自分なんか
  • 特殊な敵
  • ああ、もうだめだ!
  • いや、自分にならできる!

 ヒロイック・ファンタジーだ。他にも幼なじみ萌えもあり、圧倒的敵キャラだけど影があり、とかコテコテな要素をたくさんつかいこなしている。
「細胞の擬人化」という一見したところ不可能にみえるようなことを、王道なキャラ設定、台詞、展開を、絶妙に医学的なストーリーとして成立させている。すごい。プロなお仕事。
 そもそもマンガとして、絵が上手い。きちんとびっしり描かれている。細胞や敵の決めポーズは特撮の設定集をみているような緻密さとわくわくさがある。アニメもかなり出来はいいほうだが、マンガはもっとすごい。キャラクターに加えて、たくさんの細胞たちが体内で働いているところが本当にすごい。人体の広大さ、複雑さ、奥行きを感じさせ、それらにともなう興奮をおぼえる。


 なのでともかく、具体的な長所が多い。だからスピンオフもあんなにできるのだろうか。いったいどうやって描いているんだろう?? うまい言い方じゃないけど、すごい偏差値高い人なのか。欠点があるならば、長いストーリーは作りにくそう。成長物語とか、あるわけじゃないからなあ。医療マンガってそもそもそうですけど。作画的に劇場版などあればいいのにな。アクションね。あそこまでやるなら極めて欲しいAKIRAりすぺくと。医学的にはネタは無限だと思うので期待。
 一度みただけでぜんぶが頭に入ってくるわけがないので、何回もみる。何度も入る解説は最初のうちは、講義を受けていて眠くなるモードが発動したけど、二、三回目以降になるとだいぶ聞きやすくなってきた。自分が慣れたこともあるし、複数回の視聴に耐える作りであることがうれしい。

 もうすぐ風邪の回があるらしいですけど…、まじ、最近すごい信じられないひどい風邪で、急性気管支炎で、本当に死にそうなので観る。

保湿リップを最後まで使い切る方法

 保湿リップを最後まで使い切るのは難しい。すぐ無くす、すぐどっかいってしまう。次のを買ったらでてくる。買ったら前のがでてくる。どっちを使うか迷う。こちらを使おうと決めたら、それを無くす、前のはと思ったら、それはもうどこかへ姿をくらませている。
 そんなことを自分も当たり前のようにくり返していた。
 だがある時期から、以下のような運用で、毎回ぜんぶ使い切っている

  • 高いもの、いいものを買う(1000円くらい)
  • 二本買う。使う場所の数だけ用意しておく。
  • 置き場所からもっていかない

 ずっと使っているのは、ユリアージュの無香料。一本だいたい1000円ぐらい。お高いぜ。ちゃんと効果がある。これを使う以前は、リップをぬってもぬっても乾燥しるし、何度も塗るのがすごく面倒臭かった。ユリアージュは潤うし長持ちする。それでもあまり怠慢だと意味がないけど。
 これを使い始めたとき、おお、すごい便利だけど、出し入れするのが面倒くさい、と思った。この「出し入れ」とは、持ち歩く化粧ポーチからの出し入れである。化粧は朝、家を出る前に、洗面台の前でする。そのときにいちいち化粧ポーチを通勤カバンから出してくるのが面倒臭い、いや、なによりも、そのまま家に置き忘れてしまうという大きな危険がある。それに家でも使いたいことはしばしばある。それもまた化粧ポーチからだすのは面倒臭い。
 ということは、もう一つあればいいのではないか、と考えついた。
 それで、お高いですけど、二本運用体制となった。
 これが、めずらしく大当たり。
 一本は自宅用、一本は化粧ポーチに常駐させ、そこからは出さない。そうすれば、外出したときに必ずリップがある。忘れない。自宅でも、適宜リップを使うことができる。
 我が家は狭いので、自宅用は一本だけど、おうちが百㎡以上とかある方は、増やしてもいいかもしれませんね、知らんけど。
 会社にいってたころは、ポーチのなかのリップがだいぶ早く減るので、なくなったら自宅用をシフトさせてきて、新しいものを自宅においた。いまはだいたい減る速度が同じくらいかもしれない。でも二個で運用。それがいちばんなくさないし、使いたいときにすぐ使えるからだ。
 どちらも、「置き場所を決める」という鉄則が守られている、数少ないケースである。自分はおおむねあけたらあけっぱなし、だしたらだしっぱなし、という最低パターンのやつだが、いくつか例外もあって、これはそれ。
 値段が高いものを買うのは、最後まで使い切る、というプレッシャーもかねるし、頻繁にぬらなくていいのが、なにより。
 とはいえ、プレッシャーをかけても、口紅は無くしたことがある。ハワイの旅行で無くした唯一のブツよ…しくしく。


ユリアージュ モイストリップ<無香料>
SATO PHARMACEUTICAL
売り上げランキング: 2,253

『シン・ゴジラ』の面白さ

 テレビ放送があった。これからも何度もテレビで観ることになるのだろうと思うと、じんわりうれしさがこみあげてくる。みるたびに新しい発見や、そのときの自分が感じるところがあるだろう。


シン・ゴジラ』の面白さは、個人的にも特別だ。御社も弊社でもなく、その前段階で踏みつぶされ地域に住んでいるからだ。当時は、まったく知らずに映画館にいったから、驚きと興奮はすごいものだった。
 よく、「どうせ自分は、にげまどって怪獣に踏みつぶされる、その他おおぜいのひとりだ…」なんて、自分のわびしい人生のたとえによくいわれるが、ほとんどの人にとって、踏みつぶされる機会もない。ゴジラや怪獣たちが来る地域とは縁もゆかりもないのだ。
 それが、いきなりこれである。自分が、映画のなかのその他おおぜいになった!、と言ってしまいたいほどの衝撃と喜びがあった。
 お住まいの地域が映像作品になっている人たちは、いつもこんな興奮を味わってるんだなあ、と思った。聖地巡礼、あの場所にいったんだ!、とはわけがちがう。いったことがある、とも違う。


シン・ゴジラ』は海外ではあたらなかったと言われているが、それは完全吹替版を作ったのか?、とまず確認しなければならない。日本語の演技を十分にくみ取った吹替版なのか? そんな技術が英語圏にあるわけがないし、他の国でもそうはない、日本でも厳しいだろう。
 及第点をとれるような吹替版を作った上で、かつ日本と日本のサブカルチャーについてある程度の文脈を把握していなければ、わかるはずもない。だから詳細な解説本もあればいいけど、それはもう現代日本の研究になってしまう。娯楽大作だからこそハイレベルだ。それでもいつかは『シン・ゴジラ』に世界が追いつくと思ってる。追いついた先がお利口かどうか知らんけど。

BLCDと配信

 ※ヤマもオチもない


 BLCDと配信の相性は、そんなによくなさそうである。そりゃあ、なぜって、配信は買った履歴が残るからだ。お店にいって現金払いでブツを手に入れるのとは、わけがちがう。そんなのとても無理だろう。定額聞き放題は多少いけるかもしれない。サービスを提供する側がどれくらい履歴を保存するかは、わからないけど。(無論、性別・年齢・何をきいたぐらいのビッグデータは商売が続く限り残る。)BLCDを聞く人は、実物の保存にけっこうあたまを悩ませているらしい。もし、販売される、されきた、すべての作品が、聞き放題でお手軽にきけたら、素晴らしいサービスじゃないですかね?


 自分は、BLCDをまともに聞いたことがない。売っているところもみたことがないし、どこにいったら買えるのかも、曖昧にしかわからない。池袋? 池袋のなんていうお店? こんなに言葉を知っているのに、買うのが難しいなんて、麻薬かな。でもこのインターネットの時代、ちょっと探せばネットにあがっているものもある。かなり長尺でアップされているものもあれば、部分的な切り貼り詰め合わせなどの動画がある。とはいえ、やたらめったな無法地帯ではない。もう廃盤とか、中古でもないとか、すごくむかしのやつとか、な雰囲気。絵とかキャストでわかる。
 そういうものをちょっときいてみると、笑う。
 部分的でシチュエーションがわからない、時代がだいぶかわっている、キャストの声が若すぎてむずがゆい、などいろんな理由はあるけれど、とにかくおかしくて「わははははははは」と笑う。中身については、「えっ、こんなのでドキドキキャーキャーするの?!」とリアルおばはんが驚いてしまう。と同時に、もしうら若き乙女のころにこんなのをきいていたら、戻って来れなかっただろうなとも思う。子どもの頃になくて良かったインターネットとBLCD。最新のとか、もっとハードなやつとか、は、どんなんか知りませんけど。知るよしもない。視聴という仕組みが基本的に存在しないらしいから。


 BLCDの歴史はけっこう古いので、もうそれはそのなかで熟成されつついることがいろいろあるのだろう。データベースなどをみて驚いたのは、人気声優さんの作品の多さだ。そりゃ、人気が頷ける、ではなく、実力がうなずける、である。うまいひとがBLもうまいのだ。その人たちは、いっぱい作品をこなすから、ますます上達するし、普通のアニメの作品、吹替、ナレーションなどなど、仕事の種類も広くなる。


 BLCDは、声優さんの声の演技にどっぷりつかれるという点で、めちゃくちゃうらやましい。だから聞いてみたいというのがあるのだ。すじゃす、それしかないのが、おかしい。BLじゃない、ふつうの声のドラマ、音声ドラマ、がもっと増えて欲しい。イギリスのBBCラジオみたいに、朗読やドラマなどをもっと充実させてほしい!  5分ずつ毎日とか、ラジオの連ドラがあればいいのに…。
 しかしそもそも「コンテンツがない!」という問題が立ちはだかる。脚色技術が、あまりにもなぜか乏しい日本全般。
 となると、めぐりめぐって、台本や脚本、文字の段階を作るひとが根本的に不足しているのではないのだろうか。でも小説とか脚本を書きたがっているひとって、ものすごくたくさんいるイメージなのに。職人的技術が若い段階でちゃんと教育されたらいいのにな。となると、学校の国語教育の…?!