茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

「自分に刺さるコンテンツ」が現在にないならば

「自分に刺さるコンテンツ」が現在にないならば、過去へ行けばいいじゃない、なんて後ろ向きな提案をしてみる。


 新しいアニメもぽつぽつみつつも、昔のアニメをHuluやAmazonプライムでのんきに消費してる。
 アニメとか映画とかドラマとか、映像コンテンツ系は、配信サービスで過去の作品をみるのは、わりと手堅い。
 音楽もたくさんむかしのが聞けるサービスあるし。
 漫画も昔よりいろいろ読めるようになっている。(読みにくくなってるのはちょっと前の現代小説ばかり?)


 昔のをたどって再度摂取する、あるいは、はじめて観るのは、後ろ向きな行為にきこえるかもしれないが、新たな発見と良くも悪くも驚きがある。
 テンションあがれば、最新作に接する元気もわいてくるかも知れない。


 そもそも毎クール毎シーズン毎年傑作なんてあるわけないのだ。数年に一度あたりがあればいい。どの世界もそんなものだ。

 

書くことのちょっとメモ 表計算

文章で書いていたが、どうにもまとまらないので表計算ソフトで5W1Hでネタを整理し始めたら、ぽちぽい埋められて、すすむような錯覚になるのはいいんだけど、心境としては仕様書を書いていた時と似ていてとてもツライ。でもそのあとそこから文章を書くと夢のように効率はいいかんじはした。

なにを書かなければならないか、書きもらしたら行けないかがわかりやすくなるという利点。伏線じゃないけど、ある時の登場人物の行動や台詞がどうしてそうなったのかある程度の説明や流れがないと、唐突でさっぱりわからんことになるから。

 

アニメ『バナナフィッシュ』をみていない

 初回はみた。本編がはじまるまえのCMで、これから放送するその回のネタバレは笑ったし、そもそも始まる前から誠意がないなとは思った。
 初回はみて、思ったほど悪くないじゃん、という率直な感想。でも続きは見る気になっていない。良いも悪いも感想をみかけないからだ。ちらほらみかけるのは、とってつけたような提灯記事や、アクセス数稼ぎのようなタイトルばかり。すごく悪くて叩かれていたら、見る気になったかもしれない。絶賛されていたら、自分の曖昧な感想は棚に上げ、あぁ面白いね、いいなじゃない、とか、無意味に上から目線で、視聴を続けていたかもしれない。
 もう二度とみたくない、わけではない。それなりに気になるから、いつかみようかな、ブランカがでてきたら見るかもな、とか、てきとうなことは考えている。(森川さんだから期待していたのだけど、『コラテラル』のトム・クルーズの吹替をみたらだいぶすごい満足してしまった)
 アニメ雑誌の表紙になったり、コラボがあったり(ミニオンはマダー?)、いろいろにぎやかだし、のじまさんは中の人だし、リツイートしたりしらせてくれる。アッシュの声もうまいと思う。周りのキャストもてっぱん安全牌。
 何か不満が?
 スマホをもっていることとか?


 あの漫画をアニメ化することは、いろいろ難しい点が多い。ひとつはもちろん内容の濃さ故だ。時代を変えてしまったことで、そこはもうスッカスカにスルーされてしまった。これは資本主義の商業主義のあるいは能力が不足する故の悲しみなのか罪なのか何なのかよくわからない。できるひとがいないものはできない、作る能力がない人には作れない、じゃあなんのために創るのか。
 もう一つは、原作自体が、最初と最後で絵の雰囲気がずいぶん変わっていることだ。最初のほうは、「少女漫画か??」とつぶやかずにはいられないほとんどAKIRAの絵だった。それが次第に少しずつシュッとして、さいごはしすぎてしまった。よって中間が親しみやすいといえばそうなる。読者のなかには、どのようなアッシュのイメージが強く色濃くあるのだろう。


 いつか見る。Amazonで配信されているあいだはいつか見る。と思ってる。配信停止の知らせがきたら、あわててみるかもしれない。
 とはいえ、アニメ「化」といっても、漫画を原作にしている別の作品なのだ。義理立てして無理して見ることはない。文句をつけるためにみるのも嫌な話だ。
 それでも積ん読みたいな気持はある。そして忘れたころに、作品をみて、「めちゃくちゃおもしろいよ、はやくみればよかった〜〜」なんて調子のいいことをいっていたら、幸せなんじゃないかと思う。

暑い暑い夏の日に放送大学の試験を受けにいったがその前後の話

 予想最高気温が35度くらいの日。
 放送大学の試験を、二教科目を受けに行くために、昼過ぎの、一番熱くなる頃に、家をでてバスを待つ。5分以上バスは来なくて、あっというまに汗でびひょびひょになった。
 駅について電車を待つ間にまたひと汗、品川についたら、「山手線が止まっている」という情報が流れていた。浜松町でお客様を救護だなんだの。頭が朦朧としたまま、地下鉄とか他のルートをさがさねば、とりあえず降りなきゃと降りた。頻繁に電車にのっていたころは、自分が往き来するあたりの大ざっぱな路線図は頭に入っていたが、いまはとくに何も浮かばない。路線図ももっていない。混乱しながら、気づいた。降りてから、そのまま乗って新橋までいって地下鉄に乗らなければならないのだと。
 それでまた、京浜東北線の乗り場で待ったが、またしたたりおちるような汗をかいていた。二度目の京浜東北線にのって、よくよく案内をみると、山手線は内回りが止まっているということだった。内回り?、内回りってどっちだ?? 混乱しながらiPhoneで調べると、渋谷へいく方、外回りは動いているようだった。頭が余計にカーっと熱くなる。そのまま品川で乗り換えて外回りに乗れていたのだ。
 だがしかし、次の田町で山手線に乗り換えればいいのだと冷静なふりをして頭をきりかえた。田町の乗り換えで、またドチョパーと汗をかいていた。幸い山手線はすいていて、乗ったら吸われた、座ることができた。渋谷までいくあいだ、電車のなかは快適だった、と思ったら、そうでもなかった。扉が開くたびに、猛烈に熱い空気が入ってくる。人もふえると、あっというまにクーラーの意味があんまりなくなってしまった。
 一番熱い時間帯の、渋谷の駅は、街は、心なしかすいていた。もともと余裕をもって現地に着くつもりだったのもあって、30分ほど前には現地についた。
 だがしかし、道玄坂を上ったあとで、汗はかきっぱなしである。こんなに道玄坂に街路樹があってありがとうと思った日はなかった。試験を受ける控え室はまだ涼しくてよかったが、試験を受ける教室は、まるで長い間つかっていなかったようなくすんだ空気と微妙な空調で、汗はいよいよじっとり気持ち悪い。そんなところで、受験した。
 試験のあと、ちょっとうろちょろして、帰るとき、山手線は混雑してきたらやっぱり空調がきかなくなっていて、本当に気持ち悪くなってきてしまった。(思えば疲れた心身に栄養補給するつもりでスタバで抹茶フラペチーノをたのんだのがだめだったのかもしれない。座って休憩したかったがどこも混んでいたし、スタバはたちっぱなしだし、試験のあいだでいったんからだはひえていたのに、何年に一度ものまないフラペチーノに手をだしてしまい、しかもふだんは避ける抹茶である。美味しかったけど、状況としては不適切だった。)脳貧血のような感じ。ダースベイダーみたいな呼吸をしそうになっていた。
 品川で乗り換えるとき、ホームは上り以上に地獄で、一本みおくったのに電車のなかは暑くて品川から乗ってきたこぎれいにしているサラリーマンたちの異臭がすごかった。香水なのか、汗ふきシートなのか、服についている匂いなのか。なんでもいい、匂いはつけるな、金のAgで汗の臭いだけ極力抑えてくれ。
 駅でおりたら、がぶがぶとぬるくなっていたポカリをのんだ。それでぎりぎりもちこたえた。
 一日に何度滝のような汗をかいたのだろう。
 毎日仕事にでかける家人にえらいなあといったら、「おとなですから」といわれた。

2018年春アニメの結果

2018年春からもアニメをみている


 キャプテン翼は予想外にダークホース的に心洗われるすばらしいアニメで視聴継続中。ゴールデンカムイは忙しい家人をまってるあいだに溜まってしまった。ピアノは何故か続かず。銀英伝は主人公たちがほんっとにでてこなくて最後のほうでお手上げ。ティラミスはamazonかどっかにあるせいもあって笑い転げたけどさいごまでたどりついていない。鬼太郎はみているけど、回によってすごい出来が悪くて腹がたつ。面白いときはいいけど。ヲタ恋は沢城みゆきさんめあてで完走。カリギュラも一応完走。シンカリオンはミクあたりで大きく挫折。忍たまは楽しく継続。ワンピースは家人がみるのでツッコミまくりながら視聴させてもらっている。
 2018年のじゃないんだけど、坂本ですが? 面白すぎて、圧倒的だった。こんな面白いアニメが作品があったなんて。みおわってしまうのがおしくてちょっとずつ観てる(アホ)。


 2018年夏は、気にしているのは、進撃の巨人とバナナフィッシュぐらい、いまのところは。みのがした〜〜と後悔するのがくやしくて、先に網をはったりしていたけど、疲れるんだよな…。流行ってから観ればいいじゃん…おばさんなんだから……。