茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

本人の喪中欠礼に返事を書くギリギリ

 秋ごろに、大学のサークルの後輩の訃報が回ってきた。12月の頭に、ご家族からの喪中欠礼を頂いた。本人と年賀状のやりとりをしていたので、送ってくださったのだ。
 後輩は、まじめでりちぎできちんとしていて、大学の先生になっていた。ワシはニート主婦、である。在学当時は、ちょっとクセのある後輩を、社会にでてやっていけるのかな、なんて思ったこともあるが、


 それはお前だ


 であった。
 なぜ、世の中に有用な人は、早くなくなってしまうのだろう、とか、思ってしまいますね。多少は。


 一年に一度の年賀状のやりとりだけだった。最初は、卒業して最初の頃は、そのうちひょっこり会う機会もあらーねとか、のんきなことを思っていたはずだ。それぞれの時間がすすみ、歳月が流れ、その後輩はすっかり、年賀状のやり取りを続けてくれる貴重な人、になっていた。四半世紀近く!!にもなれば、一言添えるやりとりも、非常に貴重でありがたいものだ。


 とくに社会的ひきこもり野郎にはな?


 なんというか、ちょっとした虚だ。近くにいて共に時間を過ごしているわけではないが、一年、一年を積み重ねていた人。この先、年の瀬になると、ああもういないんだ、と思って、少しずつわかっていくのだろう。なんかこういう喪の仕事はそれはそれで独特だな。


 天国には、早くしてこの世をトンずらこいた同期がいる。あの世で久しぶりにあって、話をしてみてほしい。接点あまりなさそうだけど、ワシのことをネタにしてみてくれてかまへんで。毎年変なうまくないイラストの年賀状を送ってきました、っていうてみて(こんなエセ関西弁を使ったら真面目に指摘してくるタイプ)。