茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

教授、坂本龍一の私的思い出

 子供の時は、坂本龍一はみんなしっている人だと思っていた。YMOだし、バラエティにも出ていたし。だから、坂本龍一の名前はみんな知っているし、教授の作品について何かしら歌えるとかタイトルを知っているものだと思っていた。日常生活をおくっていて、その音楽を避けて通るとは思えなかった。いまはどうなんだろう。
 はじめて「坂本龍一」という個人や、「教授」と呼ばれているということを知ったのは、おそらく中学一年生のときだ。担任の若い美術の先生がファンで、そういうことを教えてくれた。アルバムも借りたかもしれない。そして教授の似顔絵も、どこかのタイミングで描いてくれた。思えば、推しの似顔絵を描く、というムーブ(?)は、そこではじめてみたかもしれない。美術の先生なので当然うまい。


 よく聞き込んだアルバムがあった。きょうだいがよく買っていたのだと思う。そのアルバムがなんだったか、サブスク配信で検索しても、ぜんぜんわからなかったので、びっくりした。あんなに聞いたのに。記憶が曖昧すぎるが、たぶん90年代の何枚かである。美貌の果実、じゃなくて、美貌の青空、とか、らしい。
 東京に来てからは、ライブにもいった。のちにYMOの東京ドームへのライブにもいった。教授単独のライブでは、大島渚監督の雪舟の話とかしていたのだが、「あんまり面白くないかな」といって話をいきなりやめて次の曲へいったのをずっと覚えている。その後そういう映画は実現しなかったような気がする。私的ピークはそこらへんだ。
 地雷除去とかのアルバムとか、振るとカラカラ種の音がするアルバムがあった気がする。


 教授は、いろんなタイミングで生活にあらわれた。ゲイシャガールズのCD、どこかにあるぞ。
 最近(最近とはいつなのか)、見かけるのは、映画音楽とか、そういうのだと思う。本人のアルバムとか、も、だしていたのだと思うけど、追うほどではなかった。そんな時代のほうがながかった。


 ラストエンペラーは80年代で、自分が映画をみたのは、90年代に入ってからだ、おそらく。PG12だし。子供がみるもんじゃない。当時はレーティングはなかった気がする。すごくエロいとかすごく残酷ではないけど、はじめてみたときいかんものをみている感じでドキドキしたし、その後何度かなんとなく見ているが、創作は多いようだが、驚きのシーンはいろいろだ。冒頭の西太后が死ぬところも、宦官がでていくところも、まああれやこれや、はっきりとは思い出せない、機会があればまたみよう。


 昨晩むかしきいた曲をさがして、『SMOOCHY』の『美貌の青空』(そんなアルバムの名前だったっけ? ジャケ写もみた記憶がない。他のアルバムできいたのだろう)をきいたら、若い、リアルに若い感覚に、きゅんきゅんきた。若い時のほうが、教授とか細野さんとかきいていて、バブルが終わったあとに、ケミちゃんがきて、ケミちゃんばっかりきくようになったわけだ。(それはおかしいことなのだろうかと思ったが、そんなわけはない。ひらたくいえばCHEMISTRYは歌がうまい。いまを生きている人の最高の歌声を聴いていたいと強く思った、思っている。良い音楽とボーカルについて、思うところはあったのかもしれない。10代の時にいい音楽をきいたから、自信をもって迷わずCHEMISTRYを応援し続けている、その礎を築いてくれたのだと......知らんけど)


 教授とかの音楽をきいている自分、ちょっとおしゃれで音楽をわかってる風、な謎な優越感みたいなものはずっとあったのかもしれない。ちょっといいものを身につけているぞ、みたいな。そんなたいしたことじゃないけどね。おかしいけど。笑っちゃうけど。でもいい音楽をあびていたのはいいことだ。


 ジョン・ウィリアムズは91歳で、たぶんまだまだ現役らしい。すぎやまこういちは90歳でなくなったが、80代はばりばり作曲していたはずだ。手塚治虫は60歳でなくなった。美空ひばりは52歳で!。
 優れた人は長生きしてほしいなんてちっとも思わないが、病気は人を選ばない。どんなに優れた人徳がある人でも、それゆえのように、早くになくなる人はたくさんいる。長生きしても、何もできないで生きているのは、考えさせられることだ。71歳で作曲家としてばりばり仕事中の人としては、なんともはやくて、なんとも、なんともしがたいけど、細野さんには80代は現役で90過ぎたらご隠居とか......なんて、適当な単に自分にとって都合のいいことを願ったりする。本人がどのようにいつまで生きることを希望しているかも知らんことだし、それは本人でも決められないことなんだが。


 社会的にも個人的にも、影響力が大きい存在って、なんだかよくわからなくなる。手塚治虫萩尾望都の漫画を読んでそんなことを思うことはないんだけど、おそらく両方とも実際の摂取は大人になってからだからだろう。教授はまさに多感な時期の自分をゆさぶっていた。