茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

CHEMISTRYとオーケストラと感想の後編

 無事に大阪公演も行われたことが感無量。よかった、本当によかった...。


 感想の後編だ。
 上野の公演は、くりかえすと「完璧ではないが最高だった」。終わったとき、多幸感とかよくわからない感動がぱんぱんにふくらんで破裂しそうなくらいだった。最近のライブやステージのものは、席に座って当日幕が上がるまでわからない、という情勢のため、始まるだけで感動マシマシ、無事に終わればもう俺たち超ラッキーハッピー!!ぐらいのテンションではあるのだが、それらとはまたちがった満足感が炸裂していた。

 では、なにが完璧ではなかったのか。

 以下に述べることは、もしまたオケとの公演があるなら、あるいは他のアーティストとオケとのコラボ公演があるなら、進化して欲しい、真剣に工夫してほしい、個人的ではあるが切実な感想と提案である

 大きく分けると2点。

  • 音のバランス
  • 曲のアレンジ


音のバランス
 古くて簡単ではない話だ。生音とマイクを通した音は、バランスを取るのが難しい。それでも、今回は、個人的な記憶のなかと比べたら、だいぶよかったほうだと思うが、ケミファン的には、「オケの音量が大きくなるところで二人のこえが聞こえない」というのが、なんともモヤモヤした。

 そもそもだ。歌唱するソリストとオーケストラの演奏、マイクのないふつう?のクラシックの演奏ではどうなのか(オケの手前に、豪華な衣装を着ている人がいたりするパターン)。その場合、独唱の人の見せ場では、オケは、音をだしている楽器の数も、音量も控えめだ。そうしなければ、いくらプロの独唱でも聞こえない。だが、全体で盛り上がって、オケもいっしょにドババババーン!、となると、聞こえないっちゃ聞こえないかもしれない。
 通常のクラシックの演奏でそうなのだ。だから、フォルテが並ぶような音量がでかいところでは、ふたりの声が聞こえないのは、しょうがないのではないか、許容すべき範囲なのではないか、などなど。音量がでかくなるたびに、モヤモヤ考えてしまった。(集中力が低いことは認める)

 たまたまケミとオケの数日後に、ネットで星のカーヴィのイベントのライブがあって、オケと電子楽器がコラボしていた。そこはさすがに地球規模レベルの大イベントのようで、オケも全員イヤモニをつけていた。マイクも全部の楽器??についていたのだろうか。配信前提の、ハイパーお金がありそうな大規模な演奏会になるとそうなるのかもしれない。
 エヴァンゲリオンの演奏会でも、オケと電子楽器、マイクを通した独唱があったと思う。バランスがよかったが、それは単にこちらがテレビ越しであったからかもしれない。ケミちゃんの今回の演奏会も、もし、テレビとか収録したあとは綺麗なのかしら?、とすると、実際の会場でのバランスがこれくらいなのはしょうがないのかしら? とわからないまま、モヤモヤする。

 率直な素人の感想や希望としては、

  • 全体の音量が大きいところでも、ケミちゃんの声は聞きたい!(最優先事項)
  • オケの響きも綺麗に聞きたい!

のである。
 マイクはオケに対しても向けられているので、会場では生音とスピーカー越しの両方のオケの音があり、飛び出して聞こえているような音もあった。それもムズムズした。
 業界の皆様、まだまだがんばってほしい。これらについては、ケミふたり、すなわちマイクを使うほうのアーティスト本人たちが、配慮したり、何かが及ぶ範囲なのか、それとも予算規模や技術的な問題なのか、ぜんぜんわからない。


曲のアレンジ
 感想が全般的に、「カロリー高い、熱い、厚い!!」と、ハイテンションなサンシャイン池崎さんみたいになった原因は、主にこれである。アレンジ自体はよかった。とくに、最初の、まさに序曲的なPIECESはすばらしかった。しびれた。小説や映画やゲームが、長い物語が開幕するような、テンションが上がった。来たかいがあった。

 それで、演奏会全体としては

  • でてくるものすべてメインのフランス料理のフルコース

 だった。
 めちゃくちゃ惜しいところだった。各曲のアレンジは悪くはないのである。一曲ずつみたときに、不満点はほぼない(一回しかきいていないからそんなにわからないけど)だが、一曲一曲の曲がもつ世界観とか音楽的展開をわりと忠実に派手めなロマン派風のオケにアレンジしたら、ぜんぶメイン料理みたいになっていた。

 クラシックの演奏会でも、2時間のあいだ、ぜんぶずっと派手なイケイケどんどんなことはまずない。途中に静かな眠くなる曲や、違う曲調のものなど、さまざまである。
 だが、今回の演奏会は、曲に忠実な故、なのか、ぜんぶ濃厚な仕上がりになっていた。そのコッテリ濃厚ぷりが、めちゃくちゃ惜しい。

 曲のアレンジをどのように発注したのか、発注したのは誰なのか、そういうことが、はっきりしているのかしていないのかもしれない。誰が悪いとかではない。オケとやるならこうするでしょう、こうするのが来てくれるお客さんのためのせいっぱいのおもてなしでしょう、と思っているかもしれない。他のミュージシャンでも、オケと共演する時、これがふつうだよ、が日本の芸能界なのかもしれない(それは、これから行われるゴスオケ公演に行かれる人ならジャッジできてしまうのだろうか)
 その偏りはどちらかというと、クラシックの側のほうに、よりもったいない話である。おそらくは普段はいわゆるクラシックをきかない層への数少ないアピールであるのに、こういう「バーン!、ドーン!、が楽しく豪華なクラシックですよ」ということを繰り返していては、もったいなさすぎる。

 率直な素人の感想や希望としては、

  • 演奏会全体として、緩急が欲しい!

 であった。曲によっては、思い切り楽器の数をしぼった箇所があるアレンジや、二人の声と、それぞれの楽器との掛け合いなどが見たかった。そして加えるなら、もう少しピアノをフーチャーしたアレンジも欲しかった(ピアノの参加はいつから決まっていたのだろうか)



 そうはいっても、どんな感じかイメージできないな、という人のために、あえて、あえて、とてもいい例を以下にリンクしておく。

Andrew Bird - Nuits de Fourvière – ARTE Concert

 日本人にとっては、一見妙になじみがある「さだまさし?」なアンドリュー・バードというミュージシャン。アメリカ人だが、この演奏会は、たぶんシカゴ。ただし、配信しているのは、フランスとドイツあたりのARTEという団体(?)なので、説明がフランス語とドイツ語しかないので、詳しくはわからない。だが、とにかく、ポップスとオケの演奏会としては、非常にいいかんじ。たまたまケミオケのライブの少し前にこれがでてきてしまった。

 この映像を見ると、

  • オケは常にみんなが全力全開イケイケドンドンに弾くわけではない
  • 歌手の声はよく聞こえる

というのがよくわかる。ただし、これも配信なので、声がよく聞こえるかどうかについては、会場はわからない。だが、アレンジのほうについては

  • 曲のアレンジは全部派手なオーケストラにしなくてもべつに大丈夫ですよ

というのがよくわかる

 アンドリュー・バードはどれくらい有名なの人か、よくわからないのだが、我が家ではわりときかれていて、バイオリンやその他の楽器と、幅広い豊かな音楽性、派手ではないが染み入るような感動をもたらしてくれる、すてきなミュージシャンである。



 そんなわけで。
 ポップスとオケのアレンジについては、そこらへんの企画を推し進めている人たちは、もうちょっといろいろ幅広い選択肢をもっていただけないかと、めちゃくちゃ、切実に思う。YouTubeでただで見られるし。


 なぜならば、この先また、そういうオケコラボを聴きに行く可能性はまあまあ高いのではないか、と思うからである。たしかしケミストリーやゴスペラーズはオケとの演奏に耐えるし映える、華やかさを増すだろう。とても楽しいわくわくする機会だ。だが、1回目は最高ではあったが、次回もまた、似たようなタイプのアレンジが並ぶなら、それがたとえ10年後でも、私はきっとこっそり凹むだろうし、ケミのお客さんのなかには、まあまあシビアなところがある層もいると思われる。


 ケミストリーのライブで、こちらの素人の期待や予想を下回っていることは基本的にはないんですけどね? クラシックなど他ジャンルがからむとき、それは自分たちだけの問題や技術の問題ではなくなってしまうけど、広い範囲の人たちと、仕事ができるというのは、単純にいい話だし、やるなら、2回目があるなら、1回目よりもっと楽しいものがいいよねという貪欲な消費者心理。


 いわゆるクラシックも、もっと身近になって欲しいという思いは日々強い(行儀のいいイメージや、服装なども含めて)。なぜかというと、現代の日本の大衆音楽は、基本は西洋音楽の流れのなかであるので、言語や文化的に完全理解は無理だとしても、もう少しなんとかならないかなあ、と思っている、願っているからである。


上記の内容とは関係がないがアルバム「fo(u)r」はもっと聞かれていいと思うんですよねという推し。