茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

ラストで大どんでん返しがある小説はラストだけを読む。

 ラストで大どんでん返しがある小説は、最後からいきなり読みます。それでオッケーです。「最後」あたりをうまくみつけて、ばーっと読めたら、「えっへん」という気分になります。なぜそんなことをするのかというと、最後が気になって落ち着いて読めないからです。
 ミステリー小説の犯人が先に知りたいわけではありません。ネタバレされたら怒ります。コロンボさんのように先に分かっている方式は好きですが、そちらのほうがより好きだというわけではありません。謎解きに興味があるというより、「どういう風に謎を解くか」ということが読む楽しみなので、どっちでもいいのです。
 ラストの大どんでん返しのために、そこまでの文章があるような小説は、飽きます。最初はおもしろいけど、何冊か読めばもういいかなって気になるんじゃないでしょーか。
 1冊だけどんでん返し系で「うわああ」と衝撃をうけた小説はあります。筒井康隆の某作品。最初から全部読んでいくからこそ猛烈に「わあ」となります。この人のはいくつもそういう作品がありそうだけど。でも最後のほうだけ読んでもたぶんわけがわかりません。最初からちゃんと読んでいかないと、何もわからないのです。
 小説は最後から最後まで、すべての言葉にその場所で必然性があることが理想です。すべてが伏線扱い、ストーリーに振り回されているような小説やマンガは、飽きます。ホームズがおもしろいのは、事件描写以外の部分がとてもおもしろいからです。ホームズのキャラクターはもちろん、事件に関係するあらゆる人物や、場所を、とても興味深く描いてくれます。松本清張は事件の背景となるところを、非常にリアルに、しかし読ませる文章で読ませます。
 ストーリーがある創作は、ストーリーに翻弄されてはいけません。「驚愕のラスト!」なんてキャッチコピーがつくのは、映画でも小説でも、不幸なことです。
 そういう小説やマンガやアニメやドラマを読んだり見たりしている人は、消費されるストーリーを消費するだけになっていないか、お金と時間をつぎ込みすぎていないか、ふり返ってみましょう。ひたすら次から次へ新作をもとめて大量消費を続けている人は、たぶんそこにはまっています。