茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

地球の歩き方ムーの心

 だいぶまえに録画していたダークサイドミステリーの、日ユ同祖論をみた。すごい面白かった。手元にある、地球の歩き方ムーをみたら、ちゃんとさらっと書いてた。番組は細かく紹介してくれて楽しかった。


 自分はムーっぽいものが好きだが、本を買ったのは1、2度しかない。買ったあとは、怖くて買ってないw。そして長い年月を経て久しぶりに買ったのが、地球の歩き方とのコラボだった。ものすごい楽しい本。そこにあるだけで楽しい。開けると熱中できる。日本史はうといけど、日本のも買わなきゃ。


 どうしてそういうものが好きなのかな、と我ながら謎だった。そういうオカルトを信じたいわけではなく。興味をもつ理由の一つは、そういうものに騙されないため、防犯対策の一環である。全然知らないと、つるっとぬるっとだまされそうだから。知りすぎてもだめなわけだが。
 そしてもう一つ、気付いたのは、何かを理解するために、そういう経路のアプローチ、面白い経路もないと、近づけないからだ、とわかった。

  • 信仰されている不思議な物や現象、場所がある
  • 科学的に、論理的に、どうみてもおかしい
  • どういう経緯で、そのトンチキな主張や、祈りや、その物体や場所が、できあがったのか、科学的な説明はどうなのか


 というかんじ。
 なにかわからないものを理解するのに、まっすぐ科学的な、正しいアプローチをできればいいんだろうけど。好奇心とか、下世話な野次馬根性が、ガソリンになるというか。

 もひとつは、「カクカクシカジカ信じられているらしいよ」ということと、「歴史的には実はこう、科学的にはこう」という説明が、どちらも両立することだ。聖書とか神話とか「非科学的だおかしい」という理解の仕方は非常に足りない。実際に信じて、さまざまな切実な祈りや政治的な思惑があって、さまざまなことが、信じられたり、それが「正しい」とされてきたりした。その積み重ねでいまの人類があり、この先の人類もそうだろう。天変地異や伝染病の説明はできても、それを完全に未然に防ぐとか、一人として死者をださないとか、それくらいに人間の技術が発達したら、どうなるかは〜しらんけど〜。それでも、誰でも恋愛がうまくいくわけではない限り、すなわち、人の心の思うままにならないのが現実である限り、何かを祈ったり信じたりすることはなくならない。