茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

ワニ、ありますか

 すごく品がないえんとり。



 ワニの話が盛り上がっている。最終回の2、3日前ぐらいに知って、アカウントをみにいったらミュートしていて、なぜそのひとをミュートしていたのか思い出せないけど、せっかくなのでブロックしておいた。ミュートをしていた可能性は複数ある。

  • ワニの連載がはじまったころにリツイートされてきたのでミュートした
  • ワニの前からなにかあってミュートした
  • しらんけど手がすべってミュートした

 どっかの日をみて、カウントダウンをみて、「悪趣味」だし「で?」となった。「で?」「で?」「なにがいいたいの?」カウントダウンで読者をひっぱるの楽しい??、といじわるなワタシが言っていた。かもしれない。
 とにかく、ぜんぜん愛着がもてない絵柄とか話で、徹頭徹尾、not for me だったのだろう。これのなにがかわいいの? である。
 死ぬまであと何日? 次の瞬間? 明日?
 よしあしではなく、not for meである。
 100日前といま現在では、一般的な日本における日常生活での、死に対する距離はずいぶんかわってるはずである。それが作者たちの誤算なのか、なんなのか。
 もしウィルスが蔓延してなかったら、ワニに対する感想や、その後のハイパー燃えまくり商法に対する反応もかわっていたかもしれない。燃えなかったかもしれない。
 だが作品の良さゆえか、ウィルス故か、死が肌感覚的にリアルになってしまっていたから、熱心な読者は「喪の仕事」を必要とする状態だったのに、テレビ出演とかグッズとかメジャーミュージシャンとのコラボとか立て続けに打ち出してきた。請われてお葬式しますぐらいのタイミングで、日常をきりとったくらいのささやかなグッズや、死を悼む歌が作られたら、そりゃしみじみとすがすがしく執り行われ、のちのち明るいグッズに続いたかもしれない。
 かもしれない。
 取らぬ狸の皮算用
 しょうがないので狸の皮に思いをはせる。なんの足しにもならない。
 読者でもなんでもなかったくせにこんなものをかく輩だ。でも誘惑にかられるなにかがある。その点で、100ワニ現象は、いんたーねっとという居酒屋で一言しゃべりたくなる作品になってしまったことは変わりない。すごいじゃん。

消えた三拍子

 20年ぶりぐらいに楽器をさわりはじめて2ターンめだが、どうも三拍子が縁遠い。どこで三拍子を把握していたんだ、むかしの自分。シンコペーションもどっかに消えてる。ほとんどクラシックも聴いていなかったから、まあ仕方ないか。聞いてたらわかるのかってぇと、それも疑わしい。バナナバナナバナナと唱えていると黄色い奴らが頭に湧いてきて踊り出すし。いやーむずかしい。

花江夏樹のどSイケメンぼいす

 下書きのままだった。一度公開したような気もするのに。


 深夜のBSで、ハライチイワイさんと宇垣さんと丸い顔のあんちゃんがでているマンガの番組があった。その回は少女マンガのドSイケメンとかの紹介で、不勉強なワタクシはふむふむと流し見。紹介をみても、ジェネレーションギャップなのか、ドSイケメンはさっぱりわからない。むかしからいるイケメンハンサムの寡黙でぶっきらぼうも好みではないので、ドSなどといわれても余計に謎である。人気マンガのシチュエーションや台詞を紹介されても、こいつ頭おかしいんじゃねえ?みたいな感じでちっともテンションがあがらない。
 しかし。真ん中に座っていて丸いふくふくもふもふ気味な若いおっちゃん、もとい、おにいさん、番組MCなのか番組をしきっているのかなんなのかもぼんやりぎみなあんちゃんが、実は花江夏樹さんというとっても売れっ子な声優さん。我が家でもタンジローとか俺はデザイナーになる男の子で近頃親しみのある人。その花江さんが、マンガのなかの、ドSイケメンの台詞を実演してみるという瞬間がきた。そのキャラクターがメガネをはずすと豹変するという設定もあり、メガネさんは都合がよいらしい。
 イワイさん、宇垣さん、花江さんという並びだったが、花江さんは宇垣さんをとばして、イワイさんを相手役ヒロインとみたてて、接近戦でドSイケメンな台詞をささやく。その台詞は先に明示されており、それをみても一ミリも萌えなかったのだが、

 花江さんが言ったらすごかった

 イワイさんも口のなかがジュルッとなったとかいってた。
 わかる。ちょっと分かる。口のなかじゃないけど、脳内になんかびゅっとでた感じがした。
 さすがである。さすが若手で、なんとなく名前は知られているような人は、すっごいなあ、と思った。その寸前までは、なにいってんだこいつ意味わかんね、とまったく響かなかった台詞が、謎の情感をどっと煽ってくるのである。
 それでその作品を読みたくなるとか、アニメ化されたら絶対みる、にはいたらないのだけど(それはこちらが対象外だから仕方がないのである)、役者さんのもつ芝居の圧倒的なリアリティとか説得力をすごく感じた。若い人やその作品が好きなひとは、自分のなかで、想像して自分で情感をもたせられるけど、興味がないひとにはなかなかそれはできない。でも役者さんというのは、受け手にとってあまり意味がない影響しにくいことばのならびにさえ、受け手になにかの感動を与えられるのである。
 とまるで作品はdisってるみたいだが、そうではなく私にはわからないだけなのである。頭硬いの中高年だし。でも花江さんがしゃべってみたら、ぐっときた。でも作品を観る気にはならないし、花江さんに落ちるわけでもない。でもすげぇなと思ってる。うまいひとは本当にいる。

キッチンペーパーの行方

 箱ティッシュ、トイレットペーパーは戻りつつあるようだが。リードとか油をとるやつはあるけど、ふつうのキッチンペーパーがやや劣勢。少し前に、紙製品が不足気味のときがあった。工場が台風で被災とか。ちかくのドラッグストアのなかには、ビニール袋など、見境なく品不足気味になっている店もあった。買いに来て、売ってなくて、他のものを買い物カゴに放り込んで帰ってるのかも。そこの店は周辺の他のドラッグストアとくらべても、品不足が激しくて、思わず買いあさってしまう雰囲気があきらかにある。

 キッチンペーパーは節約している。使いすぎだったのさ。生活するとゴミが出る。節約しても大量のゴミが出る。生きるとはゴミを出すことなのかと憂鬱に思うことは多い。

 キッチンペーパーなんて、いるのそれ?な人は多いだろう。エコに暮らしてる、とかじゃなくて、台所作業がいわゆるお母さんや主婦のように多くない人には、ピンとこないかもしれない。

 知られていないからこそ、名もなき家事が多いからこそ、キッチンペーパーが売りきれるのだ。衛生面や、手早く作業をする上では、キッチンペーパーの力は大きい。綿製品で補うには、多少いろいろ先行投資や技術や訓練がいる。普通よ簡単よという人や、勉強中だったころを忘れてるだけだ。

 薬ができなければ、この騒ぎはおさまらない。薬ができても、また違うウィルスができる。そういう長い時代になるのかもしれない。よけいにキッチンペーパーは使いたい人が増えるかも知れない。だが消毒や清潔は、家庭生活においては限りがある。病院ではない。どこらへんに着地するか難しいところだ。

 使い捨ての手袋も早く戻ってきてほしい。自宅の介護とかで使ってる人は少なくないと思う。

 いろんな生活がいろんなものに依存していることをひたすら認識にし直す日々。それは地味でむくわれにくく、小さなストレスがたまる。

 そのために、芸術やエンタメがある。自粛しちゃいかんよ、君たち。もっと働け、頭を使え、元気をふりまけ!