のこのこ茶ぶろぐ

chaoruko@HatenaBlog

『ゴースト・オブ・ツシマ』を観ている感想

 家人がいままでになくものすごく楽しそうにはまっている。がっつりゲーマーではなくて、FFとかコジマ監督とかバイオハザードとか、愛着があるものやビッグネームがでたらやるゲーマーさんなので、実は、ツシマのようなものははじめて。最初は四苦八苦していたが、慣れてくるにつれて、話もすすむし、すごい楽しそうである。


 毎度よこから観てるだけゲーマーとしても、ツシマはすごく面白い。

  • 洋ゲーの和ゲー
  • 戦闘シーンがとにかくすごい
  • 移動、風景もすごい
  • 会話シーンはエコなのだが、脚本は面白い。短いやりとりや登場時間でも登場人物の描き分けができている。
  • モーキャプはだいたい和風だけど時々むこうが思う東洋人とか西洋人が垣間見えるのが面白い
  • 翻訳には四苦八苦の工夫が伝わりまくる


 風景の美しさは圧倒的で、しかも見飽きない。見飽きないのがすごい。ふしぎ発見もみたけど、対馬にいかねばという気になる。戦闘シーンはとにかくクオリティが高い。なんだかもうわけがわからないくらい作り込みがされていて、動きも絵も一番きれい。作り手が、日本の風景や文化をいっぱいみて調べて「美しい」「すばらしい」「面白い」と感動した気持ちが、こちらにすごく伝わってきて感動的。かつゲームをやっている人に対してとても配慮や思いやりがあって、ゲーマーが楽しそう。苦労するところは苦労して、いらないところはショートカット。
 登場人物同士の会話は、基本は棒立ちである。アクションはほとんどない。主要キャラは、けっこうがんばって日本人ぽいが、そうでもないひとは、ちょいむかしの映画にでてくる東洋人みたいな仕草や表情の人がいるのがウケる。
 どこかで開発者のインタビューにも書いていたが、開発中「アクションシーンで動き過ぎていた」と気づいたらしい。会話シーンでも、棒立ちなのに、妙に動くキャラもいて、それが向こうの人が考える東洋人味がでてくる。外見がアジア系なら、動かないほうがまだ近いのだろうか?。とはいえ、視線や瞬きのタイミングにも文化や風土はでるなあ、面白いなあ、と思いながらみている。


 だがすべて、欠点や粗といえるほどではない。
 とにかくすばらしい作品。
 時代劇を作る、作りたい、復権したいと思っている人、大河ドラマを作っている人にもちょっとみてもらいたい。

2020年1月中旬日記〜三体、文句、ウツ、スーパー〜

 かくことがないまま半月すぎそうだ。
 すでになんどかブログを更新しているじゃないか。どういうことだ。みてみたら、景気がいいかんじでおでんだ。なるほど思い出した。景気がいい感じで。
 最近とまっていた『三体』をまた読み始めている。正直かなり挫折しかかっているけど、とあるキャラクターだけはずぬけてチャーミングだ。もうこの人を自分好みの人が演じてくれるなら、アニメ化も実写化も見たいくらい。こてこてのわかりやすいキャラクターなので、つくづく自分はミーハーだ。
 最近ややウツぽいのは、まあcovid-19に対する世界の無為無策のせいだ。そんなこといってもしょーがねーのだが、しょーがねーはなしに拘泥してしまっている。よかないですね。もう少し駄々をこねたら、それにも飽きるはず。気温が低くて天気が悪いと、それに拍車がかかるし、天気が悪いと、室内に強い明かりが、照明が欲しくなる。一日の光の摂取量が足りないと、うずうずもぞもぞするみたい。強い光がでる器具が欲しい。北欧にいったらすぐウツになる。
 昨夜はあじの塩焼きを焼いた。久しぶりだ。魚はほとんどさばけない。アジのぜいごをとり、えら?をとり、内臓をとり、塩をふる。三枚おろしがちゃちゃちゃとできるようになって、アジフライを家でできるようになりたいけど、まだやったことがない。アジが安くないからだ。昨日も2尾で400円。高い?安い?
 あじを買いにったらスーパーはリニューアル閉店セールをやっていた。その日がリニューアル工事のための休業前最終日とはしっていてそこへいったのだが、それが何を意味するのか、何もわかっていなかった。
 祭りである。
 全品10%セール、レジでの合計金額から10%オフは、二日間に渡って行われていたらしく、まさに、めぼしいものはあらかたなくなっていた。生鮮食料品もだいぶない。人出はおそらくピークをすぎて落ち着いたくらいであるが、人は多い。そして店員さんがめちゃくちゃ多い。他店舗から腕に覚えありな人が加勢にきてるらしいし、なんとレジがすべて2台体制になっていて!、レジが爆速で進む。すごい…。すごすぎて圧倒されてくらくらした。まったくいい年をして、知らないことが多すぎる。
 こんなときに半月ほど休業しちゃう店舗、前からの予定だったのだろうけど、どんなふうにリニューアルするんだろう。いかんせんそもそも狭い。リニューアルしてなにをどう変えられるのだろうか。楽しみだ。工事のあいだも、野菜・果物・コメは売っているらしい。肉、魚はない。みんな代わりのお店があるのだろうか。

2021年の目標

 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

 しょこたんが、Youtubeで、野望を叫びながら餅つきをしていた。次々に野望をあげていて、すごいなあ、と思って、自分もノートに書いてみたが、たくさんかけるだろうと思ったらそうでもなくて、しょこたんすごいなあ、となった。

 目標というか、ともかくもしんきくせえ話しかないので、今年のスローガンはこれに。


 なんの原動力も根拠もあらゆる資源もなくてもこれです。


年末だが何もしていないのに書くことがない

 という訴えについて書きたい。
 頭がもやもやする。気持ち悪い。気持ち悪くて、写経(お経ではなく文章)をしたら、ちょっと軽減した。面白い。手書きで短歌をいくつかとか、小説の一部とか、古典とか。
 手書きの書写しの場合は、古典がなんかいい気がする。手間がかかるからだろうか。
 古典はファンタジーに近い。空想ではなく、距離という点に置いて。ファンタジー、SF、海外の翻訳小説を読む比重が高いことと、古典はあんがい楽しいというのは、いまの自分と距離があるからかもしれない。
 現代に近い日本の小説は、まず価値観の差で気持ち悪くなる。村上春樹の女性像とかそのわかりやすい典型例なもので、故になかなか読めない。出会いも悪かったし。もっと歳をとって、もっと距離ができれば、読めるかもしれない。源氏物語とか、古典の恋愛って、要するにやりたい放題じゃん。


 最近長文を読む人がつらいという人が増えているのは、スマホのせいではなく、生活が苦しいからだ。長い小説などを読んだり生産することができるのは、太古から、「日常生活」を他人にやってもらっている人の特権だ。私たちはひろく貧乏で生活が苦しくて社会がしんどい。だから小説を読むのは無理で、しかしTwitterはできる。Twitterが現代の万葉集になる日は来ないだろうけど、短い呟きでやりすごしているのだ。

 漫画だって、最近は読めない人は多いらしい。鬼滅の刃だって、簡単な漫画ではない。コマをちゃんと追わないといけないし、文字も読まなければならない。あるコマからあるコマへ遷移したとき、そのあいだを補うことができない人は、漫画を読めない。
 漫画も時代性があるから、昔の映画が見にくいように、読み慣れない時代やジャンルの漫画を読むのは難しい。いま人気漫画を読めるのは、その読み方をしっているひとが多いと言うだけだ。
 あるいは、優れた作品は、そのジャンルに不慣れであった人をも、取り込むきっかけにはなる。鬼滅の刃の原作の売れっぷりは、そのひとつになるかもしれない。だって全然買えないんだもん。しくしく。

 現代は小説にくらべると、あっとうてきに優れた漫画作品が多い。文字のほうが頭がおかしい作品がたくさんある。文字だからこそいろんな意味でキレたことを表現できるし、それが強みではあるが。ただ漫画は、文字の文章以上に、時代を大きく内包していて、それゆえに当たるとメガヒットなのだが、時代から離れると、読解にはある程度の事前学習が必要になる。その幅は、小説と漫画では、どちらが狭いスパンになるかわからない。たとえばいまの漫画が、夏目漱石ほど時間がたっても読まれるかどうか、である。描き手の寿命も伸びている。手塚治虫の漫画でも、最初期のものをちゃんと読める自信はない。二、三百年、四、五百年、千年単位。伝わるかどうかなんて、結局時間が立たないとわからない。そこまでのこらないといい作品と言えないわけではない。解読するのに事前学習が必要になるのは確かだ。

 そうだ、年末だが、何もしていないのに、書くことがないというのは、極力いろいろやらないようにしているつもりなのだ。大掃除もクリスマスもお正月も控えめ。見栄を張らない、張り切らない。そのつもりなのに、なんだかやることがいっぱいで落ち着かない感じがしている。
 最近毎日、起きてご飯食べて、洗濯して、死なない程度に掃除して片付けて、食べるものを考えて、ご飯を買いに行ったり作ったり、食べたり、疲れて休んだり、金勘定したり、こつこつやるしかないことを、英語とか楽器とか筋トレとか、何日かおきにちょこちょこやって、そうだ、毎日やることだけで時間が埋め尽くされている感じがする。精一杯じゃないのにいっぱいいっぱいで、ちょっと何か増えるとあたふたする。

 という感覚は、渦中にいるとわかっていないから、混乱しているのかもしれない。軽く混乱した状態が継続している。あんがい、あんがいパンデミックに人はなかなか慣れないものだな。
 断捨離もしない。ゴミ捨て場がいっぱいになるから。断捨離なんてむだだ。普段から捨てられないひとはまとめて整理して捨てるとかも、無理な話なの。

小学校の卒業アルバム

 ちょっとした片付けの途中で、小学校の卒業アルバムをぺらぺらめくる。家人はすごく小さい学校を出たので、いろいろ説明がいるのが面白かった。
 田舎の、一学年が4クラスある、ふつうの学校かと思っていたが、それは自分がそこにいたから、ふつうなだけで、そうじゃない人には、違う世界なのだ。
 住む土地が変わってしまったので、当時の人たちがどうなっているのか、いまは全然わからない。誰ともつながっていない。
 そうそう、その頃から自分は不吉な顔をして写真に写っていて、笑った。ぜんぜん可愛くない。いんきな顔をしている。よくこんな顔で生きてきてるなあ。なんなんじゃろ。本人はなんにも考えていなくて考えが浅いだけなんだけどな。
 やはり家のなかに鏡を置いて暮らすべきか。