のこのこ茶ぶろぐ

chaoruko@HatenaBlog

はじめてたこ焼きを作ってみた

 いろいろうろうろ迷って考えた結果、イワタニのマルチスモークレスグリルが我が家に導入された。


 画像はAmazonより。

 有名なのは「やきまる」なのだが、これはそれのアップグレード版というような商品であり、たこ焼きプレートもついている。我が家での通称はやきまる。そりゃそやな。
 とりあえず焼き肉やった。それについてはまた後日いつか。
 そして生まれて初めて自宅で自分でたこ焼きを作ってみた。2回目もやった。

 やってわかったこといろいろ

  • 最初にみつけたレシピにまた出会うのは難しい
  • しゃぶしゃぶだとふわとろだがなかなかやけないし、失敗するとひたすらにたこ焼きは縮小を続ける
  • ヘタでもうまい
  • 回すのはむずかしい
  • もう暑くなってきたやばい
  • 竹串で回すのは暑い
  • 紅ショウガはあったほうがいいし小さく切ったほうがいい


 粉とだしの割合は、たこ焼き器の大きさなどと相性の良い比があるのだろうか…


 たこ焼きというのは、お好み焼き以上になぞの多い食べ物だ。いつごろから食べられるようになったのだろうか。
 おたふくのたこ焼きソースのパッケージに、卵焼き器で作るたこ焼きの作り方があった。カクタコ焼きだったかな。うまくできるのだろうか。でもほんと、へたくそだと全然くるりと回ってくれない。お世話するひとがいるよね。たこ焼き番長が。たこ焼きは焼き肉より手軽にできる。
 焼き肉は焼く肉によると思うんだけどね〜〜!!!



プログラマってえらいの?とか

 プログラマってなんでらえらそうなの?

 なんて言われてるの?

 時代はかわったなぁ。かつては職業として認知されてなかったのだろう。いまはだいぶ知られたようだ。かといって、成熟したとは言い難いのは、定義やイメージや待遇は人によりすぎるからだ。

 たとえばむかしのゲームを作った人とかだと、ほぼぜんぶ作ったとか、場所を覚えてるとか、そんな伝説的なやつ。そういう系統の人は確かにいる。ハイレベルなやつ。

 いっぽう、兵隊とか駒みたいにいわれるやつで、そこはもう、レベルが安定しない。新卒で会社に入って三ヶ月研修ではじめてプログラム作りましたの人から、仕様書にきちっと従う人、落書きみたいな仕様から実装するための仕様書を作りつつコーディングできる人や、口頭で世間話して仕様書なしに作っちゃってしかしあとは知らんな人や……

 レベルが違う、というのも難しい。下の人も上の人も、自分と違うレベルの人のことはあまりわからないし、想像できないから。

 プログラマは職業というより、その仕事での役割をかなりあいまいに指す言葉であり、仕事ごとに、何をどこまでするかという範囲と金銭をきっちり決めておかなければもめにもめる。そこがずっとそんなにできてない気がする。だからトラブルしか起こさない人や、神の手な人がずーっと両方いる。あんまり神の手だと、頼むほうがいろいろきちんとするよね。なんでもないふつうの人は、おかしなプログラマとつじつまあわない営業と頭真っ白な顧客の面倒をみるのに忙殺されて疲弊していく。

 

 とりあえず何か作ってみようか、の問いが理不尽に思うなら、やはりやめたほうがいい。むいていない。プログラムの理解度は低くても何か作りたい人は、がんばればしばらくは食えるかもしれない。えらくはなれないけど。だれがなにもいわないうちに、自然に本を開いて何かを作ったりネットの海を漂い英語もそこそこ話せないけど読めるような人が、プログラマにはまだ向いてる。でも神の手にはなれない。まぁみんなが神の手にはなれないけど、なるべくそこを目指さないと、疲れるだけなんだよねー。

 自分はプログラマにもSEにも対して慣れなかったが、しばらくコーディングをして給料をもらっていたのは確かだ。プログラムを作ることは楽しかったけど、客の話をきくサービス業にはやっぱり興味が持てなかった。

 神の手とか関係なく、プログラマは、情報産業はサービス業なのだ。神の手だろうが、お客さんのやりたいことを実現する手助けをしているだけだ。

 だから誰かに何かしてあげたい、お客さんから感謝されたらうれしい、という人も、まぁまあプログラマになれるかもしれない。でもお客はなーんも考えてない人が多い。そこのストレスものりこえなければならないので、サービス業はほんとつらい。

 でも、今回のぱんでみっくで、少し変わるかもしれない。これしなきゃ!、これいる!、これいらない!、が少しでもはっきりした人がふえるかもしれない。

 えらいプログラマはめちゃくちゃえらくて、そうでないひとはそうではないのである。

 

なにが大事だったか忘れてしまう

 さいきん日常生活のタスクの時間が、世間や政治のイライラが多すぎるのか、やはりすこし多めなのか、なにをやっていたか、なにが大事なことだったか、すぐに忘れてしまう。
 間違ってるとはいわないが、ちょっとおかしい気はする。
 ほんらい大好きでがんばってつらぬこうとしていたことを、阻まれている人たちは、小さな子どもから大人まで、たくさんいるだろう。もともと自分はぼんやりぐだぐだしているから、以前もすぐに忘れがちだったが、今回は特にすごい。
 頭をからっぽにしていたい欲求が強くなって、ずっとぷよくえとかオペラオムニアをやったりする。ずっとやるのは、なんでもよくない。
 しかしcovid-19はさておき、政治のストレスはどうにもこうにも怒りが強くてコントロールが難しい。国がどんどん弱っているあいだに、政治の中枢が異常なものに蝕まれていたというのは、ヒトラーと同じだ。そのうちcovid-19で死ななかった分を補うような死者がでるかもしれない。
 なんて大げさだと思うだろう。
 その当時のあの国の人たちだって、あの地域の人たちだって、みんなそう思っていたはずだ。見逃していた些末に見える悪意が、日常生活にすっかり染み渡って人の神経や心を蝕んでいる。「変わらずに信念をもって続けている」ことが尊ばれているあいだに、すっかりたくさんの人は変わっていた。

買い物は三日に一回を聞くたびに腹が立つ

 買い物は三日に一回とか、ひとりで行けとか、必要な量だけ買えとか。
 つじつまあってねえだろ貴様!、と怒りが湧いてくる。
 三日に一回、量が多い、ひとりじゃむり。
 三日に一回、必量な量だけとはいえ先になるほど保険は増える。そんなに誰もが三日に一回の「社会的に正しい効率的な献立」なんか建てられるわけないっつうの。


 いまでは自分がいくスーパーは落ち着いている。みんな三日分も買っていない。買い物カゴはふだんより余裕があるほど。自分が人がすいている時間帯に行くようにしているせいかもしれないが。
 三日分なんて買い物は、レジに時間がかかるし、スーパーのなかに長くいるし、けっきょく余計なものをたくさん買ってしまうのだ。
 こまめにぴゃっといってぴゃっと買えるものを買う。スーパーのものの値段は日々変わる。三日分の買い物なんてほんとばかばかしい。


 そもそも、世の中にはいろんな条件の人たちがいる。
 車で買い物に行く人なら、大きいスーパーでカートを転がして買いものできるなら、毎回三日分ぐらいが普通かも知れない。
 徒歩でカートを使うと逆にじゃまなスーパーに行く人は、一日か二日おきに行くのがちょうどいい。三日分も買って持って帰れない。


 それぞれ事情が違うんだよ、けっこうね。東京でも広い。いろんなライフスタイルの人がいるし、冷蔵庫が一晩ででかくなるわけがない。
 そういうところを無視して「三日に一回」とか言われたのは、めちゃくちゃむかついた。まあみんなそんなに守ってる感じはしないからどうでもいいけど。
 だが。
 小さくもないまあまあでかい邪魔なだけのかったるそうについてくる子どもとか、たまの買い物で偉そうに口をだすおっさんとか、口はださないが面倒くさそうについてくるおっさんとか、そういうのはせめて店の少し離れたところで待たせて欲しいし、せっかくいつもものがいっぱいの店が店内通路を広くしたのに、若いのにどうみても元気なのにカートをつかう若者とか、そういう人同士で店のなかで「ひさしぶり〜」とか道をふさいで立ち話はやめてほしい。

『12人の優しい日本人』オンライン

12人の優しい日本人を読む会 - 12人の優しい日本人を読む会

 ツイッターで情報をみかけた。「え、うそ、ほんとに??」
 舞台はみたことがない。世代的に行けたのかも知れないが、ぼんやりしたこどもだった。映画はたしか映画館に観に行った。その後何度か観る機会はあったが、だいたいはテレビかな。

 zoomはつい最近オンライン飲み会をやって、なんとなく雰囲気はしっている。「読む会」だし、タイムラグがある朗読会になるのかしら、と思いきや…、始まってみれば、舞台寄り。もともとの内容が、密室であり、会話や議論であるので、zoomにむいているのは間違いない。
 演じ手の環境は様々だ。比較的画質や音質がいい人もいるが、ぎりぎりな人もいる。だがしかし、予想していたほどのタイムラグはほとんどないのが、序盤の驚きだった。それぞれ回線速度やマシンスペックの違いはあるだろうに、なぜこんなにあうのか。いったいどれくらい練習したのか?? 練習してなんとかなるのものなのか?(NHKのリモートドラマの収録をみると、土日はうまくいったが月曜日になるとだめになったという話があったので、休みの日にやったのはよかったかもしれない。)
 何度か観ているから話は当然知っているし、なぜか覚えている説明も多い。なのに、それなのに観てしまう。いやもうどあたまから、すぅ〜〜と引き込まれてしまった…。


 この引き込まれは、やがて独特の得たいのしれない興奮のるつぼにつながっていく。前半見終わった時点は、熱中しすぎて疲れた。どのように画面をみるべきか、きくべきかを、こちらなりに試行錯誤していたかもしれない。区切ってくれてよかった。後半の前半はすこしながらになってしまったが、終盤ははりついた。高まっていく物語と登場人物たちの感情と、見ている自身の感情の渦。あの渦のさなかの、おそるべきピザ屋。2号さんの涙。
 脚本すごい、役者さんすごい…。すごいすごいとツイートしてたら、bot扱いされてとめられてた。
 終わったあとは、まるで本当の舞台を観に行ったあとのような興奮を味わっていて、そのことにもまた興奮した。


「うまい台本とうまい役者がいれば、なんとかなる」というおそろしい現実も垣間見てしまったが、これはかつての名演をほぼ当時の人たちが、また集って演じるということも、謎パワーを持ってしまった理由だろう。観ているほうも、初見よりはなんども観ているひとがおそらく多くて、舞台の興奮も思い出したり、映画の興奮を思い出しながらみる。そりゃもう感動は深くなる。
 でも、始まるそのときまでは、そこまでならないだろうなと思っていた。もっと朗読ぽいものだったり、タイムラグとか音声や映像の不良で、ぐだぐだだったりを、もう少し落ち着いたテンションで生ぬるくみるようなものを想像していた。
 ところがどっこい。
 冒頭の「飲みものだけですよ」注文をとる時点でもうおかしい。笑ってしまった時点でもう舞台に引き込まれていたのだろう。
 脚本とzoomの相性がよかったといえる。はじめてあった見知らぬ人同士、最初はちょっと会話に遠慮がでているのが当然だ。タイムラグがあるのが自然。だから後半になって議論がにつまっていくところは、どうなるのかしらと緊張感が増した。しかしそもそも芝居というのは、台詞がかぶることはあんまりないんだろうな。うまくできてる。


 芝居はやはり、生がいい。収録なら一発で。映像の編集や加工は要らない。
 リモートであることにシチュエーションとしてこだわる必要がないことは、今回示してくれた。向き不向きはあるだろう。人物の多少の入れ替わりはできることもわかった。リモートなのに受け渡しもできる。小道具はシンプルに抽象化していい。
 もしあればいいなと思ったのは、ワイヤレスマイクだろうか。そんな商品あるのか? 多少カメラから役者が遠のいても、音声が一定だったらいいなあと思った。それができれば、後ろに広い空間があれば、引いたりよったりもできる。離れたときはしゃべらないでも、いいかも。それはカメラの性能にもよってくるので、じゃあ回線の太さとか機材とかいいだすと、ハードルが上がって面倒くさくなる。


 なにがあればいいのか。いい台本といい役者か。
 むっずかしー!
 演出もだいじだと思うけど、それがすごくさりげなさすぎた。今回の裏方さんたちのインタビュー記事、でないかなあ…。


 自分はもともと西村まさ彦さんが好きだったり、ツイッターは2号の相島さんをフォローしている。相島さんは映画版でも2号を演じている、非常に重要なキャラクターだ。他にもよくテレビでおみかけする人が多すぎるわ!の豪華版だったが、つくづく世の中のテレビドラマは、こういう人たちに支えられているのだなと思う。2号については語りだすとキリがない。今回西村さんの9号がみられてうれしかったけど、若いときは若いんだよねえ。映画版の9号はいまの西村さんぐらいのイメージだが、若いときはどうだったんだろう。観ることはかなわないけど想像するのも楽しい。Wikipediaの情報もありがとう。

FF7Rのヒーローでヒロインはクラウドで

 FF7Rのヒーローでヒロインはクラウドだ。もっとも美しくもっともかっこよくもっともかわいくどうも様子が変でかっこつけでモテるのに非モテである。
 その絶妙な奇妙奇天烈なバランスを、絵や光や動きや声、すべてにおいて全力で表現されており、宝塚のトップスターのごとく光を集め照らされて自ら輝き、それだけで、いや、それこそが、FF7を再度作ることの極みであり、かなりの高レベルにおいて実現されているところが、とにかくすごい。櫻井さんはあとからのキャスティングだというけれど、高い技術、表現力がエンジン全開で惜しげもなく?絞りきれるだけ表出されており、これを要求しつづける制作陣と、まさにプロのなんでも屋ご本人に深く感謝したい。声の芝居については、クラウドだけではない。バレットもティファもエアリスもすごい。圧倒される。台詞の内容も量も、世界は無限大である。いままでアンチャーテッドメタルギアのものすごい台詞や言葉の量に圧倒されていたけど、それ並ぶ上回る勢い。むろんそれぞれベクトルは違うけど。


 ゲームは意外と語る、言葉の世界でもある。むろんそうでないゲームもあって、どっちが主流か分からないが、殴ったり撃ったりぶっ放したり釣りしたり虫をとったりアクション、動きが中心のゲームもある。と当時に、凄まじい量の言葉があふれて物語を紡ぎ上げるゲームもある。ゲームの世界は広く深い。
 オリジナルのFF7はそぎ落とされた最低限の言葉とアクションであの物語世界を紡ぎ出したところがまったくすごいのだが、今回はそれを無限に盛るぞといわんばかりのエネルギーで、しかも、いまのところ、破綻していないのが、すごい。
 ゲームってすごい、FF7ってすごい、ゲームを作る人たちのエネルギーはすごい、と圧倒されている。そして半日時間単位??で実況プレイするしょこたんもすごい。おそらくたくさんの熱量のすさまじいゲーマーたちの存在もあるから、今のFF7Rも存在するのだ。


 って、完全に観ゲーマーですけど。
 やはり優れたゲームは絢爛豪華なオペラやミュージカルに似ていると私は感じる。色も形も動きも音楽も声も言葉もあらん限りに洗練されながら盛りに盛る。ゲームでは観客は操作する人となり、世界に加わる。まったく贅沢じゃ…

Twitterは一日何時間まで

 Twitterを一日3時間みていた。さすがにやばいと1日1時間にしようとしているが、すぐにこえてしまう。気がつくとじっとみてしまう、何か書いてしまう。書くならブログでもいいはずで、むしろブログのほうがマシだろうと思うが、はてなブログのアプリの入力欄の文字が小さすぎるのも問題だ。こういうところWebも同様にまったくユニバーサルではない。もしかしてフォントサイズ変えられる?

 つくづくはてなはどうやって存続しているのか謎だ。広告収入かにゃまさか。お世話になってるけど。