茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

桜が伐採されて

 道沿いの桜が一本伐採された。朝からなんかやってるなーと思ってたら、木の枝を切っていて、散髪かーと思ってたら、午後も作業は続いて、みるみる縮んでいた。本体を切る音はすごかった。二重窓でも聞こえた。

 その木は斜めの地面に立っていて、根っこは太くうねうねしていた。切り株になったそれをみたら、かなり立派で、人が座ってる足みたいに見えた。もりもりの根っこは無論、歩道の舗装をバキバキにもりあげていた。

 他の木も、根本がけっこうそんな感じだ。他の木も伐採されてしまうんだろうか。まだ何年かは持つのか。

 木を切るのは大変そうだった。かつ、まだ大きい切り株がある。撤去するのにどれくらいかかるのだろう。次の木は植えられないかんじだ。位置的に無理がある。いままでよくあったものだ。

 

 東京都内はそんな桜だらけだろう。もう30年以上前、東京に来たときは、街中の桜の多さに驚いたものだが、もう続けられないはずだ。

 それは仕方ない。そもそもなぜそんなに桜を植えたのかな。

 てなときに、どこかで植えた桜が、手入れがされなくなってホニャラカというニュースがあった。

 日本国内のほとんどの木は、人が手入れするものだ。先のことを考えず、とりあえず無邪気に植えた時期もあったのね。いまはそんなことはしなさそう。

 ぐんぐん少子化が進んだら、たくさんの桜はもう間に合わなくて放置されちゃうかもしれない。全国のあちこちに、人が入れない桜の園がたくさんできるのか、それとも手入れがないと、すぐに痛んでなくなってしまうのか。もののけ姫みたいに、日本の土地のほとんどが圧倒的緑に支配される時代が案外すぐきたりする?

 

 

ミニ 新卒は4人に1人は辞めるでしょ

 新卒は4人に1人は辞めるの普通でしょ、とずっと思っていたが、大きな会社は違うらしい。
 確かに、100人とって25人もやめたら大変ですな。
 中小企業では4~5人とったら、1人はすぐやめて、もう1,2人は、数週間か数ヶ月か2年以内で辞める。それが普通だと思っていた。


 ふふ……ふふふ.....(薄暗い笑い)


 3ヶ月の集合研修は熱心にやっていた人が、現場にいったら2週間でやめたのはショックだった。ぜんぶの現場のことを知っているわけじゃないから、しょうがないけど。きつくてついていけないと思ったらしいが。本当のところはわからない。

仕事のモラル(ぐち)

 仕事のモラルが低い人はどんな仕事についてもろくな生き方はできない。
 奇跡のような出会いでもない限り、運命を覆すような努力をしない限り、人は変えられない。

 

 なんていうのは、差別かもしれない。

 でも自分がそういう事象に引きずられて削られるのは理不尽というか生存本能に反する。

 申し訳ねえ、器がちっっっっさくてさ。

 

 世の中には、大学までいっても、IQが低い人がいるというのも、最近知ってきた。ぎりぎりとか境界とか。そういう境目の人は、本人が無自覚なら、代わりに接点ができてしまった人が、尻拭い????をするのだろうか。

 バックアップするシステムがあればいいだけな気がするが、人手不足でない感じ。頭数少ないのは、いいことないねぇほんとに。

 AIが進化するならもっとがんばってくれよ。爆速で成長して仕事をアシストしてくれ。

 

 自分がどれくはいまともかどうかも、全然わからないんだけどさ。

 

 しかし私はいま客だがな。ちっくしょー

 

 

 

バスでものすごい老人がいて怒りで頭がおかしくなりそうだったが

 雨が降り出すかどうか、のような天気のとき、バスに乗っていた。
 途中で老夫婦が乗ってきて、バスの内側をむている優先席に座った。次の停留所で親子連れが乗ってきた。子供は二人、小さくて、二人とも雨ガッパを着ている。
 老夫婦のならびに、二人は座った。
 すると老人の男性のほうが、「雨ガッパは濡れているのではないが、そんなところに座らせていいのか」みたいなことをいった。母親はしっかりした感じの人で、「濡れていませんよ、だいじょうぶです、確かめました」みたいなことを返した。実際、ほとんど降っていなかったので、濡れているわけはない。
 そこで話が終わるかと思ったが、「雨ガッパを脱がせろ」と言ったらしい。もうバスは動き始めている。小さいこどもをいったんたたせて、脱がせろと。(バスの運転手からすれば、老人や子供など、不安定な状態で車内で立っている客をけっこう嫌う。)母親はそこでキレるかと思ったが、キレなかった。二人の子供の雨ガッパを脱がせた。バスに乗っている距離はごくわずかだ。


 少し離れた席で、自分はあまりのことに腹がたって怒りまくっていた。
 駅前でほとんどの人が降りた。
 親子連れには、別の同行者がいた。少し若い女の人二人だ。どういう関係だったのかわからないけど、彼女たちもバスのなかでは、だまって近くでみていた。母親は「言い返そうと思ったけどやめたわ」と二人に話していた。


 どうして子供が、子育てをしている人が、こんなめにあうんだ、と勝手にめちゃくちゃ腹がたった。あまりの怒りにその後の予定もいろいろバグってた。


 もし自分が当事者だったら、どうしていただろう。すごく想像は難しいけど、濡れていないなら別にひかなかったかもしれない。自分はバランス感覚も悪いので、自分がバスの中に立っていて、子供もいちど立たせて脱がせるようなことはできないかもしれない。「すいませんバスがもう動いているので」とかいうんだろうか。そもそも子育てをしている保護者はそんなひ弱ではない気はする。自分はレベルが低い想像しかできない。

 当事者ではないが、もっと近くに座っていたら。
 じっと成り行きにを見守り、ぎりぎりまで口出しはしないかもしれない。保護者の情緒がぶれたり、老人がよりおかしなことをいいだしたら、かってに横から入るかもしれない。何か「やばい、危ない」という線を超えたら、動くのかもしれない。
 でもそのあいだ、保護者は、その老人の理不尽で身勝手で自己中心的で短絡的で他のリスクを上げるような発言に対して、じっとこらえなければならない。たとえ周囲の人が加勢しても、その時は、じっと堪えなければならない。取り乱したりすれば、人の加勢が入ったとしても、それをよしとしない、ぐっと堪える保護者の人は多いだろう。


 なんでそんな世の中になっているんだ?
 変な老人にでくわすたびに、みんなが長生きは全然いいことないな、という思いが強くなっている。長生きする人が少ないなら、ダメな老人でもあしらえるが、数が多いと、いい老人と同様にそうでもない老人も増える。子連れに面倒くさそう中年もげんなりする。少子化で長寿社会は、なにもいいことがない。


 自分はそうなりたくない、と思っても、数十年後のことなどあてにならないし。もし子連れのマナー違反なファミリーに出会うことが重なったら、偏見をもつようになるかもしれない。(でもわざわざ意見をするのは傲慢で尊大としかいえない)


 いまのいまは何をどーすりゃいいんだろう。
 もしまんがいち、今回のようなことが目前で起きた時、冷静に、保護者の出方をみつつ、万一に備える、となんとなくイメージしてるしかないのかな。




 

ミニ リュックの持ち方というよりも

 リュックは必ず前に、ではなく、周りの状況を見ようということだ。
 余裕がある人は、持ち替えたり下に置いたり網棚においたり状況に応じて対応する。
 それが無理な人に、必ずやれといってるのではない。リュックが重いとか、届かないとか、自分が保護する同行者がいるとか、いろいろ。
 都会の電車は変な人はいるので、スマホやおしゃべりに熱中していると、トラブルに巻き込まれることもある
 正しいルールがあるとして、ルールを守っているから自分たちは正しい、安全、なわけでもない