茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

ビッグフットと雪男は違うんだっけ

 テレビでYouTubeの動画をみていたら、建物の壁面に描かれた大きなシルエットがでてきて、それをみて
「雪男だ」
といったら、
「ビッグフットだよ」
と家人に指摘された。ビッグフットと雪男は違うんだっけ? 違うの?


 薄くて軽い万年オカルトライト初心者ユーザーなので、知識は非常に中途半端だ。


Wikipediaによると

ビッグフットアメリカ合衆国で目撃されるUMA(未確認動物)、または同種のUMAの総称である。」

雪男「雪深い山中にいると言われている人とも獣ともつかないUMA(未確認動物)の総称である」「ヒマラヤ山脈のイエティ、ロッキー山脈のビッグフットなどを指すことが多い。日本国内では中国山地ヒバゴンも雪男とされる。」


だそうです。

 ビッグフットは、似たようなものをひっくるめる雑な総称としての雪男の範疇には含まれないこともないが、見ていた動画はアメリカの動画なので、ビッグフットがより正しいのであろう。


 ビッグフットが雪のシーズン以外にも現れるなら、雪男の範疇にいれるのは、あまりよくないんじゃない、と思う。雪男より、より上位の分類する言葉があるなら、それには含まれるかもしれないが。世界中で似たような概念があることが確認されるのはよいが、それらを同じ言葉で安易に表すのは危険がともなう。


 なんてことをちょろっと考えたら、満足して終わるので、いつまでも初心者。
 


 シルエットをみただけで、「あれだ!」となる感覚がちょっと面白かった。



 

『ダンダダン』のアニメも原作も

原作
第1話 ダンダダン - 龍幸伸 | 少年ジャンプ+


アニメ
anime-dandadan.com


 原作は絵がうまくて描き込みがすごい。ダイナミックで動きがある。アニメに向いている。でもすごく難しい、たぶん。なので、アニメになったらいいけど、なかなか難しいからしないほうがいいのかな〜〜、とあれこれ思っていたら、アニメ化が発表され、なんとサイエンスSARU。


 夢かと思った。我が目を疑った。そんな幸運あるのかと思った。


 オンエアのずいぶん前から、予告編とかでて、豪華すぎるキャストも発表されて(田中真弓で勝利が約束されたッ……!)、放送日はずっと先で、長い間待ってるあいだに、期待しすぎたり、期待値がどうにかなるんじゃないかと思っていたが。

 原作も、更新されるたびに、没入感があるのだが。
 アニメがはじまってみれば、完璧なぶっちぎりの別格アニメになっていた。毎回すごすぎて、大好きすぎて、見入ってしまう。


 いろんなすばらしいアニメがあっても、自分の好み、あうかどうかもある。『ダンダダン』は吸引力がすごい。オカルトネタは好きと言えば好きで、地球の歩き方ムーぐらいは買ってしまう程度のライトユーザー、という大前提は大きい。加えて、絵が独創的でうまい、かわいい、漫画として誌面がうまい、目が吸い寄せられる、そして、ラブコメッ……!!


 この数年、正反対な君と僕 - 阿賀沢紅茶 | 少年ジャンプ+と、ダンダダンで胸キュン成分を補充していた。君と僕のほうが終わってしまうので、たのむで、ダンダダン。


 まんが的ラブコメに年齢性別は関係ない。アニメのきゅんきゅんターン、良すぎて感動した。


 いちいちいろんなシーンが、自分にささるというか、染み込んでくる。しみしみる幸せ。楽しい面白いアニメを見ている幸せ。こんなにいろんなアニメが世界にあってよかった、ありがとう、て感謝したくなる。いろんなアニメがあるから、この作品もあるのだと、心底から思う。



 

日本音楽コンクールのバイオリン部門本選を観てきた

第93回日本音楽コンクールバイオリン部門本選
主催は毎日新聞社NHK、協賛は三井物産イワタニ、インペックス


 ピアノ、バイオリン、声楽、作曲は毎年で、そのほかいくつかの楽器は3年に1度。


 国内では最高のコンクールだと思われ。しかし賞金が少なすぎて、ぜんぶ3年か4年に一度にしたらいいんじゃないすかねえ、と思うど素人。イメージとしては、名誉はあるが保証はもっとない芥川賞だろうか(どちらもたいしてしらない)


 人生ではじめて、こんなものを聞きいった。事前にチケットを買うつもりだったのに、いろいろあって当日券チャレンジ。15時からの発売で、15時10分についたら、30分並んだ。現金のみだった。あわてた恥ずかしい。

 なぜ聞きに行ったかというと、うっすいご縁のある人がファイナリストになったからだ。難しいことはわからんが応援!、である。
 いくらちょろっと、初心者に毛が生えた程度バイオリンが弾けるとはいえ、こんなレベルになると、なにがなにやらよくわからない。わかるわけがない。



【第93回日本音楽コンクール本選会】バイオリン部門の出場順・演奏曲目 | 日本音楽コンクール

バイオリン部門 | 日本音楽コンクール 課題一覧



 課題曲一覧をみると、メンデルスゾーンブラームスがないのがちょっと。ちょっとなんで??って感じ。素人なのでな……。


 自分が応援しにいった人の順位は当てたけど、他はまちがってた。
 一位の人は弾き方も外見も癖が強い第一位だった。弾き方はかまわないが、あの髪型は、あれですわ、フィギュアスケートの韓国の選手のちょっとまえの。どれくらいになったら、外見のチューニングはじめるんすかね? 女性はあんなの許されないと考えると、相変わらず男女差別すごい業界だ。
 女性陣の衣装は、おひとりは多分プリーツプリーズでめっちゃよかった。ふたりはドレスだけど色も形も落ち着いていたと思う。
 以前どこかでみた音大生のピアニストのぶりぶり原色くそださドレスの記憶があまりにも強くて、クラシック業界のセンスは大丈夫か?の印象はいまだに強い。
 この西洋クラシック音楽業界における、ヨーロッパにおいても、激烈苛烈な男女差別はいつまで続くのだろう。違う服装の、男性ソリストとか、指揮者もいるけど、すごい少数派。面倒臭いのかな?。でもオケの人もみんな男性は上着をきていて。女性のバイオリンはノースリーブが多かった。ものすごい運動量というのは知っているけど、冷房強すぎて、アタイは坐骨神経痛が発動しました。


 もうクラシックの演奏会とか行きたくない。行けない。しょんぼり。


 演奏はすばらしかった。4個もバイオリン協奏曲が聴けて、感動した。でも演奏会は4時から6時40分まであった。休憩が20分入ったけど、長いわ。長いわよ。無理だ。もー、むり。腰とか痛くなる。ウールかカシミヤのストールをもっていくべきだった。そういうことをわきまえている人だけが行く場所なのだ。くやちい。
 ヨーロッパなら、気温も湿度も低めだろう。こんな湿気た国で、彼の地の音楽をやるというのは、正気ではない。


 演奏会の冒頭で、以前に一度だけ見に行った、フィギュアスケートの世界選手権を思い出した。競走ではあるが、自分がミスなくベストを尽くすことが大事な競技だ。ピアノとバイオリンは、一部のスポーツ同様に、幼い頃からの訓練がやはり重要で、過酷な、異常なほどの時間とリソースを注ぎ込む。長くプロでいるには、勉強と訓練が必要で、肉体と精神の加齢に伴う変化にも対応しなければならない。


 そしてどちらも観衆はタフだ……。ワイはもう、スポーツもクラシックもしんどいわ。競技場の椅子とか超ちっさいし。ふつうのコンサートホールでの立ったり座ったりできるライブのほうが、ずっとずっと楽っすよね。と言いつつ立っている時間が長いのも死にそうだよCHEMISTRYのファンの皆さん、なぜ、あんなに、立っていられるの???


 どんな未来が、長い長い音楽の人生が、あるのかな。彼らは若くて、もう何年も常ではない努力をしてきて、まだかろうじて入口に立てたかどうか、ぐらいだ。なんて過酷で、深く広い世界。



最近はまってるチャンネル。


www.youtube.com

服のサイズは合うものを着よう反省

 楽をしたくて、サイズを大きめの服を着ていたら、やたらと疲れることがわかった。ボトムスは特に。

 サイズは合うものを着たほうがいい。

 トップスもオーバーサイズの流行りが続いているけど、

  • オーバーサイズやシルエットが大きいもの
  • サイズを上げる

この二つは、同じではない。気がする。

 

 中年なので?、ウェストや腰回りがはいらねぇ問題はあるが、入るものぎりぎりをはいておけ、ということであるらしい。その上で腹を引っ込めるのだ。そのほうが良い。はず。

 

 ナイキの通販サイトに、ヒップサイズが入るものを選びましょう、とサラリをと書いてあって、やっと合点がいった。ナイキなどスポーツ系のアパレルは、体に近いこともあって、サイズ感が最初はぜんぜんわからなかった。腰が入らないと入らないのである。そしてウエストがぶかぶかであるというわけでもない。ナイキのトップスはまだよくわかっていない。

 

 基本的に日本のアパレルのサイズは、袖丈が短い傾向がある。身長もLで162センチが上限だったりする。

 え、まだ?おや?

 高身長ではないが標準??の範囲でもない165弱。服がいろいろ買いにくい。外資系は袖丈も長いが、細いものは鬼細い。痩せたら色々解決するの?

 着物は合理的というか多様性がある着物なんだなぁ。トップスぐらい着物みたいな服が現れないかな?? 欧米の人は、服をお直しするのが前提なのか、その余地が服にあるのか。日本での洋裁の伝わり方が未だ未熟なのか?

 

 こういう不合理、ふにおちぬ。

 

カーネーションちらちら観

 朝ドラ『カーネーション』をたまにちらちら観る。いまのところは、やっぱり面白いなぁ、となる。

 尾野真千子小林薫が、三、四人分くらい、うまい。西田敏行もそうだが、多少平凡な脚本でも、うまく演じられる俳優さんがいる。そういう人が、より良い、かつ、ハマるような脚本だと、何人分かの働きをする。

 尾野真千子は朝ドラのヒロイン、という役割を演じつつ、物語の主人公を演じる。いろんな瞬間が、セリフもない時も、とにかく良い。小林薫もいちいちうまい。セリフのないときもうまい。

 セリフのないとき、というのは、どれくらい脚本で指示されているかわからない。演出家によるものもあるかもしれない。

 そういう箇所で、うまい人は、とぎれたりダレたりしない、逆に、印象に残るシーンになる。

 カーネーションは、そんなに百点満点の脚本なのか?、わからない。たとえば糸子を、他の朝ドラの女優が演じていることを想像する。最近の伊藤沙莉だと、またそりゃすごいことになりそうだが、そうではなくて、ふつうのひとで想像する。となると、もたなさそうな痛いシーンもある。

 カーネーションは、どうしてこのドラマは、自分にとって面白くて、鑑賞に耐えるのだろう。

 そしてなぜたくさんの人気ドラマは、自分が見ても、わからん、が多いのだろう。カーネーションは人気があるが、最近の人気の脚本家さんのだとわからんの多い。虎翼はいいんだけどなんか変だった、とか、それくらいはまだぜんぜんいいほうで。

 日曜劇場のほとんどは、ドラマというより、エンタメのショーだ。話の展開の仕方、うまいひとがわざわざ大袈裟にせりふをいうことが、それを成り立たせているようなものばかりだ。カーネーションと同じ、ドラマというものなのか、謎になる。でも、両方で仕事している同じ役者さんもいる。片方でしかできない人もいる。

 

 もう少し、カーネーションみたいなドラマが増えてほしいなと思う。脚本が過不足なく、役者の腕がなり、キャラクターの言葉がちゃんと聞こえる。そういうふつーのドラマ。