茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

高校のときの創価学会の人

 自分は高校から東京にきた、がちで田舎出のぼんやりしたやつだった。東京の宗教事情にはかなり詳しくなかった。学会なんて全国規模ですけど、田舎で子供でも見えるのは、モルモン教徒の金髪碧眼のお兄さん二人組ぐらいだったから。
 

 高校のときに創価学会の人がいた。そのAさんは、かわいくて、はきはきして、それなりに面白い人だと思っていた。
 学会が破門された?というニュースのとき、Aさんが学校を休んで、「そうなんじゃない?」という冗談めかして言っている人がいた。なにもしらない自分は、
(たまたまじゃないの〜?)
と、思うくらいだった。
 あるとき、Aさんから、
「10代の人から宗教に関するアンケートを集めている」
といわれて、イラスト入りの紙を配られた。自分は、
「宗教についてなど学校でアンケートをしていいの??」
 などと、一人できょどって戸惑ってしまったが、その場にいた周囲の人たちは、極めて警戒で軽いノリで、大喜利みたいに適当なことを、あるいはらくがきを、サラサラと書いて返していた。
(すごい! このように対応するのか……! みんなおとなだ!!)
と、当時非常に感心していたものである。みんな百戦錬磨だったのかな。
 Aさんは、創価学会系の大学に進学することになった。もっと偏差値のいい大学に行けるんじゃないか、と思ったが、「私はやっぱりそこへ行きたい、もっと深く理解したい」というようなことを、Aさんは決意を込めた表情で話していた。
 卒業後はどうなったか、全然知らない。


 その人に限らず、あまり高校の同級生の動向を知らない。それは、自分がただのものぐさで非コミュだからであって、Aさんと積極的に絶縁に及んだなどというわけではないのだが。


 という話はさておき。


 いまふりかえると。
 Aさんはただの高校生だった。10代のまだ子供だった。自分の判断や思考で、宗教を選んでいたわけはないだろう。そのときは自分もそれがどういう団体なのか知らなかったし、いまでもそんなに詳しくはない。自分が手に負えないレベルのものについては、警戒しつつ距離をとれ、が基本だからだ。


 書いているうちにぼんやり思い出してきた。
 Aさんと自分が距離を近づけるきっかけになったのは、Bさん、C,Dさんたち。A〜Dさんが同じクラスで、自分はB,C,Dの3人と知り合いだった。3人とも、Aさんとはふつうに接しつつ、自分には、Aさんはそうらしいよ〜と時々匂わせるように話をしてくれた。
 そういえば、Bさんは、別の友達Eさんが信じている現代の宗教についての、話もしてくれた。まひかりとか、手をかざすやつ? むかしはときどきビラなどをみたが。
 Bさんは、Aさん、Eさんともども、自分に対してフラットにかまってくれたのかもしれない。Bさんは、ちょびっとだけ姉御肌だったかもしれない。高校生のころからやさしい人だったのだ。


 自分も、やさしいといえばやさしい。知らんかったから、Aさんに対して先入観がなく、差別的態度にでることはなかった。「そうらしいよ」と聞かされていても。しかし、ガチで勧誘されたりしてたら、どうしていたんだろう。大学に入っても縁が続いていたら、勧誘されたりするのかな、とか心配したような記憶はある。だが幸いなことに、自分はまず一浪したし……。「そうらしい」を自分のなかで確定情報にしたのは、Aさんがその大学に行く、という話をしてくれたときだ。遅い。危機管理的には遅いわ。


 あれから30年ぐらいたっているけど、まだ私たちはたぶん生きているし、この先も平均的にはまだまだ長い。どこで人生が交錯するか知らないが。少しでも、みんなが幸せだといいけれど。