茶ぶろぐ

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『三体』をついにやっとぜんぶ読んだ

 劉慈欣『三体』早川書房 全5冊をいちおうぜんぶ読んだ。途中何度も挫折しかかっていて、中断も長いところもあり、とても時間がかかった。だからあんまり内容は覚えていないっちゃいない、忘れている。最初が2019年なら、三年越しぐらいなら、たいしたことないか。
 1冊目は面白くて、続きを読まないわけにはいかんだろ!、になったが、2冊目以降はぐんと難しくなった気がして、わかんないところが多くて、うまく読み飛ばせなかった。しかし、2部もぐだぐだいいつついちおう最後まで読んでしまったので、3部も買うしかない。とても時間がかかったが、3部の下巻はスピードを上げやすかった。


 自分はさほどSFを読んでいるほうではない。中国については大学受験までの世界史と、吉川英治井上靖ぐらい。そしてよく考えると日本人のSFを小説の記憶があまりない。
 この作品は、欧米の翻訳ではない、中国のSF小説だ。それだけで雰囲気はかなり違うし、それがなんとか読み続けられた面白さだといえるかもしれない。別に未来が中国語ばっかりとかダセェことはない。
 欧米中国関係なく、SFぽい科学的な理系の話になるとかなりなにもわからないが、叙情的とか文学的というのか、そういうところの描写が非常にうまく美しかった。壮大雄大で繊細、基本大雑把なところに、いきなり星屑を絡めたガラス細工のような気配や感覚になるというか。そういうのに弱い。いいなあ、と思ってしまう。
 すごく苦労して読み終わったが、後悔とか難癖はなにもない。手放しにほめられるかというと、かなりわかっていないのでなんともいへないのは仕方がない。
 わりと終盤で、「ここへ来てこうくるか!!」の長い塊があったのだが、そこが案外自分は読んでいるとき楽しくて、つくづくこういうのに弱いなと思ってしまった。あわぶくぶく。
 おそらく手塚治虫とか、萩尾望都を読んでいなかったら、こういうSF小説も読めなかっただろう。でも、読み終わって最初に思ったのは、「もしあるならば藤子・F・不二雄の憑依作家に一部でもいいからコミカライズしてもらいたい」である。そしたらきっともっと読みやすくてわかりやすい。さいきん魔界大冒険を観たからって安直安易デス。


 映像化が進んでいるようだが、中国のは見る機会がないだろうし、Netflix限定なら見る機会はないだろう。すごく気になるわけでもないし(負け惜しみかもしれない)。脳内ではわりと、懐かしい感じでなんとなく映像化されたりはしている。記憶のなかの中華圏映画はジャッキー・チェンだ、一巻はわりとホニャラカホイホイ。


 SFは多種多様な可能性を限りなく具体的に考え進めることで、人間の抱えているさまざまな問題の解決の糸口をしめすものだ。ちょっと前に話題になった「同人誌は壁サークル(質の高い人気のあるグループ)ばかりだと衰退しちゃうというやつで」、人間はつねにいろんな可能性を考えていないと、たぶんすぐに行き詰まるどころか退化して、それまで得た知識だけでなく技術も失ってしまうのである。
 だからSFが大事だと思うし、その範囲は非常にびろびろ広くて曖昧でフレキシブルだ。SFはかくあるべし他は認めんとカタクナな人も、ジャンルのなかとしては必要だし、それはSFとは言えないと好き勝手やるのも必要だ。完成度の高いものから低いもの、小説アニメ漫画実写ゲーム、いろいろ混沌としているからこそ、傑作は生まれてくる。
『三体』がどれくらい歴史的作品になるのか、現時点ですでにそうなのか、正直まじで自分にはよくわからない。いまの中国という時点でいろいろ制限をうけているかもしれない。


 だが1冊目を読み終えて2冊目を読み始めたのに止まっている人は、最後まで読むべきだぞ、読んでしまえ。がんばってまた読むのだ。わからないところは、スーーと目を進めてしまえ。
 もし迷っているなら、紙の本を買おう。場所をとるけど、読むのがちょっと苦労するものは、絶対紙の本がいいと今回とても思った。別のSFをKindleで買ったがめんどくさくてちょっとイライラしている。高いんだから紙で買えばよかったよ! 古典も、文庫本でも紙がいい。そして明るさと度数のあったメガネだ。明るいところでハードカバーの本なら、中年でも本を読めるぞ。読書灯を買え、メガネを定期的に新調しろ、がんばれみんな。