茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

TOIECの点数と会話力

 TOEICの点数と会話力は正比例しないことは、広く知られた事実である。え、そうなんですよ、知りませんでした? 700点台でも簡単な会話も無理です。ぜんぜんできません。世の中には、東大で海外留学もするのに全然会話ができない、という話もあるもので、偏りはすごい。


 だらだらと勉強をし続けて、やっと、そういえば英作文ぜんぜんできなかったわ、と思い出し、中学英作文に四苦八苦。それ知らん、それそうだったの?、という話ばかり。断片的でつながらない。


 近頃、同じように英語に悪戦苦闘し続けている家人に文句を言われる。
「そんな発音なのに、聞き取れるのおかしい」
 そうなのだ、確かにそうなのだ。TOEICもリスニングとリーディングでどちらかに激しく偏っているわけではないので、ある程度はリスニングもできる(試験が変わってから受けたことがないぐらい昔になってしまったが)。それくらい聞けるのに、発音がひどいのはおかしい、という苦情なのである。


 その通りだわ。
 とくに、金のフレーズという本で、日本語から英単語を思い出そうとすると、とにかくひどい。カタカナ英語のひどいやつのレベルで、ぐいっと引っ張り出す。600点台の単語なら、英語で読んだ時には意味がわかるが、逆はさっぱりでてこないのであるが、無理矢理思い出したものの発音がひどい。
 どうしてそうなったのだろうか。
 というとき、私は中学の英語の先生たちのせいにしている。ふりかえってもひどかった。発音もひどかった。中学校の三年間、3人の先生にあたったはずだが、ひどい先生をよく覚えている...。
 発音がひどくても、通じなくても、点数がとれればそれはもう十分だったのだ。たぶんそれがまだ根っこにある。田舎だから外国人はいないし。外国人の英語の先生もまだくるような時代ではなかった。あったとしても、一年に一回一コマだけのくすくす小っ恥ずかしい変な空気、でやりすごして終わりである。


 だから私の発音がひどいのは私のせいではない。
 という主張を四十路も後半戦でいうのは、とてもやばい。
 やばいので、いまごろプチあわてて、英語の勉強をしている。


 話す機会は多分これからもすごく少ない。そもそも日本人と日本語で会話するのもすごく大変だからだ。だが海外から入ってくる情報は、英語は文章だけでなく音声や映像もたくさん増えてきている。英語ができるというだけで、それだけで偉そうにしている奴らをみるとムカつくことがある。(それでも英語でケンカができることは価値がある)だから、他人に嫉妬する程度を少しでも減らすために、ちまちま勉強するのである。
 ちまちまでは実益が見えにくくて、金にもならないのだが。
 でも、はてなブックマークで英語の記事がバズるたびにブクマするレベルは、私は卒業していますよ。たまにはしちゃうけど。