茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

バチェラー4の世界で君も誰かの世界のコマにならないか

 Amazonプライムがおすすめしまくってくるので、洗濯物を畳む時のBGVにバチェラー・ジャパンを再生した。バチェラーの男子は、前回は女性版だったときに、さいごのほうまで残った人らしい。撮影のインターバルはどれくらいなのか、短期間のあいだに、真実の愛を見つける旅に舞い戻ってきたというわけである。いかにもお金持ちそうで、良くも悪くも育ちが良さそうだ。
 舞台は今回はプーケットらしい。そうだよ、そうでなくっちゃ。日本国内のロケなんてつまらねえ。高級リゾート地に閉じ込めてなんぼだろう。さっしーも喜んでいたし。


 エピソード1を流し見しているあいだに、すぐに妙な違和感と確信がわいてきた。
 この企画には台本がある。いや、台本はない。
 具体的な台本や脚本は、実際にはないのだろう。
 だがこんな異常な精神状態の人間を誘導するのは簡単だろう。良くも悪くも皆十分に魅力的で育ちが良い。
 登場する女性たちは、まるで、それぞれ用意してきたようなセリフをまくしたて、キャラクターを演じる。もしかして本当に脚本がある人も混ざっているかもしれない。設定だけあって即興でしゃべっている人もいるかもしれない。すごい能力だ。
 いや、そんなことはない、これはすべて自分で決めて、自分で努力して、ここへ来た、というかもしれないが、しかし今回はバチェラーが誰かふせられていたという。相手を判断せず集まる人たちにおいて、相性がいい確率はどれくらいだろう?
 自分の意思で来た、自分の思考で発言し、行動している、というなら、なおさら怖いな、と思った。


 マスク着用が求められる世の中になったとき、どうしてもそれを拒否する人たちがいた。飲み会などの自粛を求められても、飲み歩く人たちがいる。ワクチン接種もどうしても拒もうとする人がいる。
 そのある一定数の人たちは、自分の命を犠牲にして、そんなふうにふるまっている。どうして彼らがそんなことをするのか。それがどうしてもわからない。
 それは「集団があれば、何割か、何%かは、そういうふうにふるまってしまう」である。本人の意思にかかわらず、その人はそういう思考になり、そういう行動をとってしまうのだ。それは生物全体の防衛本能でもある。皆が本当に同じことをしたら、その種は存続しない。


 候補者たち、バチェラーも、発言や行動は、漠然とした形のない誰かに操られているようにしかみえないが、それが視聴者、消費者の興奮を煽る。まったく理不尽な理論的でない話だが。
 まあまあ上品にみえたバチェラーや明らかに標準よりは美しいとされる女性たちも、アルコールが入ったり、脱いだり、水着になったり、環境に酔ってくると、そりゃもうなんだか動物的な気持ち悪いことになる。その生々しさに対する拒否反応には個人差があるのでしょうがないが。カメラを据えられてしゃべるとき、あれは完全にカンペがあるのだろうか。あるといいな。