茶ぶろぐ ただのにっき

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人形劇(プロフェッショナルみた)

 プロフェッショナルをみた。
 人形操演をやっている方、なぜか以前からお名前を把握していた。一度名前を覚えると、どこにでもいるじゃねえか??、になっていたが。番組をみると、仕事量がおかしかった。さすがに密着取材されるような方である。
 再現映像も豚さんで、人形の豚さんが小さい人形を操作していて、かわいいし楽しいし、仕事しすぎじゃー。


 人形劇も演劇の一つで、自己表現の一つなのだな、と認識を強くした。文楽をそんなふうにみていたか?、というと、違っていた、反省。人形を通して、自分や、人や、世界を描く、表現する。だからたしかに「気持ち」が大事なのだが、技術の上の気持ちであることは間違いない。順番としては、気持ち→技術的な修行(かなり長い、しんどい)→気持ち、のエンドレスな繰り返しなのだろうか…。


 人形劇は世界中にある。影絵のようなものもあれば、サイズが大きいリアルなものもある。リアルすぎて気持ち悪い感覚になるやつも。リアルであるほど人間に近いというわけでもない。抽象化されているからこそ、いちど人形を経由するからこその、感情や感動が増幅されるものがある。
 うわ、それってすごいな、といまさらおもった。
 幼い頃から、人形劇をみていたけど、そのすばらしさをどれくらいわかっていたのだろう。
 でも子供だから、そんな大仰なことはしったりわからなくてもいいのかもしれない。ただこうやって覚えていることが、その感動の深さを示しているのは確かだ。人形劇は声優さんの腕の見せ所でもあるのは、楽しいところ。子供でなくたって、その下に黒子がいると知っていても、みているときは忘れている。


 人間にとっての表現、表現が他人に与える力、自分自身に与える力。いろんなものにものすごい感激してしまったし、かわいい人形劇が好きな自分、べつにそれであってんじゃん、という感動もあった。
「ちゃんとやりたい」という強い気持ちが、すごくまぶしくて、痛いほどだった。


 が、現実的な話をすると。
 何時間も同じ姿勢とか、ずっとそこにいるとか。おそらく適宜休憩はあるとは思うけど(人形を手放さずにいたが)、それだけで断念する人も多いと思う。
 常にしゃがんでいなければならないのは何故だろう。人とやりあうときは難しいが、人形しかでてこない人形劇で、人形が動くところが、人が立ち上がってやるくらいの高さではダメなのか?とか思っちゃう。
 身体的な無理を強いるのは、なかなか、なんか、むずかしいよねえ。うーん。いかにも後継者不足になりそうな、職人気質の世界だなあ、とも思った。立ってるほうが不都合があるのかも、しれないけど。簡単な話ではない。


 ツイッターでみかけた、「男性なら文楽をやっていただろう」という何気ないつぶやき。えっ、おっ、そうなの???となった。それは安易だろう、と思うし、文楽って男性だけなんですかという驚きもちろん。知らんかったわ。芸事はいろいろふしぎなことが多いのじゃの。