茶ぶろぐ

40代のライフスタイル@TOKYOブログ

ごはんを作って片付けたあと

 ごはんを作って片付けたあと、たいてい気の抜けたようになる。だからけっこうな時間をぼんやりすごしてしまう。そういう時間をすぐに何かに使って積み重ねていけば、何かを得られるのだろうけど、なかなか難しい。朝はたいしてご飯をつくらないからまだいいが、昼や夜は時間をさく。作ることから、食べること、片付けるのまで含めると、昼でも2時間、夜はもっとかかる。もっと効率的に短縮したほうがいいのではないかと思う。
 ふりかえれば、いまはだいぶ時間がみじかくなっている、これでも。以前はもっと長かった。買い物も、何を作るか決めるも、作るも、大変な時間を要していた。いまは作るのはだいぶはやくなった。それでも長い。
 効率化の方法はいろいろある。そもそも昼は、買いに行けば良い。夜もデリバリーがいまはいろいろある。買いに行くのは気晴らしになるし、デリバリーは楽しい。
 でも、お金はかかるし、食べたいものが食べられるわけではない。おいしいものでも飽きてしまう。冷凍食品も、近所で買えるバリエーションがそんなに多くないから、けっきょく飽きてしまう。きっちり同じすぎるのだ。
 おそろしく食い意地がはっている。やることはいろいろあるのに、作っておいしいものを食べたいと思ってしまう。いまはとくにそういう時期なのかも。
 covid-19の時代は、すぐには終わらず、ゆるやかな長い変化になるだろう。いつか自分も、自分の料理を作る腕前の上達の停滞に気付き、ある日いきなり作ることに興味がなくなるかもしれない。それはすごく嫌なのだが。
 自分がおいしいものを食べたいという思いが強いあいだは、それに執着してもいいんじゃないかと思う。たぶんこのさき、あと20年くらいだ。もう四十代半ばだから。六十代の半ばにもなれば、味覚も動き回る感覚も、だいぶかわっていることだろう。料理など自分で作るのはぜいたくな時代になっているかもしれないディストピア
 でもあまりにもほかのことをやる時間がないというのは、考えものだ。1時間、2時間と3時間として、そんなにメシに時間を割いていいものだろうか。6時間? いやそれまじおかしいけど、買い物も含めたらそうかもなあ。ダメ人間だ。毎度。会社勤めのときはどうしていたんだろう。そりゃ晩ご飯は買ってくることが多かった。