茶ぶろぐ

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銀英伝を途中で見るのをやめた

 Amazonプライムでむかしの銀英伝がきて、30年越しぐらいにはじめて見てみた。
 みてみると、最初はふーんはーんほーぐらいだったけど、気がつけばヤン・ウェンリーの語り口にはまりかけていた。そのほかのキャストも、時代的に刷り込まれている、馴染みのある人が多くて、吸引力が強い。おそろしや。いつのまにかちょっとはまりかけていた。面白かった。ある意味面白すぎた。面白くなりすぎて、途中で
「ダメだ」
と思った。観るのをやめることにした。この先には、こういう視聴の仕方では、もうただ消費するだけで、なにもない。過去にそんな見方、読み方をしたものはたくさんある。
 とちゅうから、ただひたすらに「次どうなるのだろう」だけが頭をしめ、何を読んでいるか、みているかわからなくなってくるのだ。
 そういう作品は、もうみたり読んだりしないようにしている。作品の良し悪しは関係なく、むしろ、そう強く思わされるほど、エンタメとしてはすぐれた作品であるかもしれない。

 銀英伝アルスラーン、アニメや漫画から察するに、作者は、そういう話や展開が、職人的にうまいのだろう。それは普遍的な部分も多い。だからリメイクしたり、コミカライズして、面白さを次代に引き継いだり、その良さを広めるのはいいと思う。だがそれは、原作はあくまでも原作であある。他のメディアにする「新しい作品」をいまこれから作るときは、ちゃんと脚色、変更して、時代に合わせていってほしい。そうでなければ、「古臭い、時代遅れ」という印象が強くなり、のちに面白い部分も埋もれて歴史の一ページになってしまう。
 歴史ものの人種を、白人から黒人にして、いやそれは史実としてどのていどあれなの、ということはある。もしかして実際はいたのに歴史から消されている可能性もある。女性にしてもそうである。
 だがSF作品においては、未来をみるべきだ。古典SFをそのままリメイクして事故ってる例は他にもある気がする。銀英伝もリメイクがなければ昔のもみなかったかもしれないけど、プラスマイナスゼロの感覚がすごい。適切なタイミングで出会っていれば、はまっていたかもしれない。そもそも十代のころからずっと、作品名は知っていた。それなのに読んでいなかったのだから、ご縁がなかったのだ。アルスラーンも荒川さんは好きだけどもう売却してまうかもしれない。良し悪しではなく、タイミングとご縁だ。