茶ぶろぐ ただのにっき

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天災の自己責任

 そもそもそんな土地になぜ住んでいる、ということは、考えないことはない。せまりくる崖のした、ぎりぎりの崖の上、波打つ水辺、でかい建築物のそば(これはあとから建てられるパターンもある)。
 当事者になってみると、「まあめったにあふれないだろう」である。
 今回はほんとに、割れるとか、浸水とか、停電with断水とか、いろいろ考えすぎて疲れた。準備もあまりできない状態だったし。これがこどもがいたり、看病するひとがいたり、ワンオペだったりしたら、どれだけで心労は増すだろう。
 そんなところに住むのが悪い、と本当に言い放った人がいたかどうかは知らんけど。金持ちは地盤の丈夫な高い所に住む。それは当然。そうでない人は、低い土地に。金持ちや丈夫な土地が、人口に対してどれくらいいるのかあるのかわからない。しかしながら、金持ちがそういうところにすむのは、自己責任をある程度果たしているとはいえる。
 さてそんな金がない人は、自己責任はどうなるのか?
 病人、乳幼児、障害のあるひと、たまたまの病人、たまたま足の骨を折っている人。人の助けがなければ動けない人、そんな場合は。自己責任をとわれるのか? ばぶぅ。自己責任なんていってる人は、そもそもそういう人たちの話をしているんじゃねえよ、かもしれないけど。
 ではあるていど動ける人の、自己責任はどこまでか。
 それは出来る範囲で、というしかない。財力、体力、時の運??の可能な範囲で。
 ハザードマップをみておく(でも今回はじめてまじめにみたよ! もう少しわかりやすい閲覧システムをつくれや!!!)、三日分、いや一日分の備えをしておく(七日分は無理)。自己責任というなら、ホームレスの人にだって、一日分の用意をしておくべきじゃないか、社会が。
 自己責任というのは、「自分は平気」じゃない。自分の始末は自分でつけろ、じゃない。自分の命の判断をどうするかが自己責任である。だから署名してバンジージャンプをとべる。ホームレスのひとが自ら避難所にいくのは、立派に自己責任を果たしている。自己責任だと苦しい状況の人をさげすむひとは、そんなうすっぺらな思考にのまれ、とっくに自分の命について責任を放棄している。
 いまできる範囲ではがんばったと思う。反省は大量にあった。たまたま運が良かったから、被害はなかった。ほんとうにたまたま運が良かったのだ。もう少し雨が降っていたら、氾濫して停電して断水して、いまごろこんなブログを書いていない。
 これからの日々も、そのときそのときの、自分ができる範囲で自己責任は果たさねばならない。今回のことがあったから、次はいままでよりはもう少し範囲を広く見られるはずだ。といいつつスカっと賞味期限を忘れたりするのも人生あるあるなんだけど……。