茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

CHEMISTRYによるCHEMISTRYのCHEMISTRY

 ネタバレあり。そしてわかりにくい。

 CHEMISTRY LIVE TOUR 2019 「CHEMISTRY~Still Walking~」
 初日、カルッツ川崎。


 ど頭から、ひえーかっけーすげー
 序盤、エモいボタン連打
 そして、これ、どこまでつづくの、まだまだ続くの、どうなっちゃうの……!
 ……!!
 ………!!!!!!


 円環を描きながら、未来へ進んでいく二重螺旋。過去と、現在と、ステージと観客をつなぎながら。くるくると円舞しながら輪舞しながら、近づき、交差し、ときには並び、ときには離れ、寄り添い。


 一曲目でメンバーの紹介があって、珍しいかっこいいねこういうのもいいね、そしてそして、本編終了直後、アンコールを待つ拍手タイムからその録音音源を使い、ふたたび?!あらためて??メンバー紹介をする。
 いうのは簡単だが実装するのは難しすぎる!!一曲目のパフォーマンスが、最後の曲が終わった直後に聴いても違和感がない。最初から、音楽のテンションは最大限に振り切っていて、かつそのまま最後まで、また最後は最初につながる。音楽の時間は終わらない。この演出は、この演出のトリッキーさのためにあるわけではない。象徴的に語りやすいので語ってしまうけど、これをやったからといって、単純にエンドレスループ感が出るわけではない。(じっさいちょっと難しそうだった(^0^))
 MCはほとんどなかったがそれは全く正解でしかし怒涛のとまらない音楽の時間。ケミちゃんのMCはたしかに面白いんだけど、どうしてもCHEMISTRY的なものから一時的に注意をそれてしまう、当人たちはよいのだが、わてら凡人の観客の集中力が途切れてしまうという欠点もあった。
 セットリストは、ニューアルバムであり、いままでの曲のアレンジも、それに違和感ない形で入れ込んでいる。新規の人にも、古参の人にも、やさしい。懐かしさよりも新鮮さがまさる。いまそこで奏でられている音楽だからだ。録音録画ができても、音楽はとどめることはできない。(ずっと未来になれば録っておけるものは増えるかもしれないが、少なくとも現時点では)あの頃はずいぶん年とったふうな音楽を歌わされているなと思っていたが、長い目でみて正解なのだった。すごい…。やっぱりえらいのねえPさん。
「いつもの」アンコールを待つ拍手タイム、あの、はい休憩タイムきました的、予定された間抜けな空気はどうしてもかっこいいとはいえなかった。
 それが、そんな休む隙すら与えない、音楽は一瞬でもやまないいわんばかりに、その日のどあたまの音が流れ出す。はじまったときのその音が。
 さいご再びのバンドメンバーの紹介では、いかにもそれらしく、ライブの頭で一度呼ばれたその声に再びコールされ、本人たちが再登場する。
 ぞわぞわしすぎた。はじめてのことだし。かっこよすぎて混乱して思考がふっとんでた。ひゃほーい。
 CHEMISTRY的な世界観を、CHEMISTRYの音楽自体で表現する。当たり前だけど、わかりやすい言語的なものとか、求めがちだ、受け手は。そんなのにひるむことはない。常に最低でも半歩先だからこそ、表現者だ。


 実際、彼らの生活は、ステージの上にたつ人たちは、常に音楽とともにあるのかもしれない。それを少し体験させられたのかもしれない。まるで大気に音楽が満ちるように。すべての呼吸に、歩みに、喜怒哀楽に、音楽がある。あらゆる時間と感情と思い出と希望さえも巻き込みながら。(序盤のエッモい曲の途中でしゃがみこんでスマホみてる人がいて、なにやっとんじゃーー!!とびっくりしたけど、あまりにもエモすぎて、その驚きも一瞬わいた怒りも、ぜんぶ彼らの音楽が受け止めてくれるんじゃあ…という感覚になった)
 その日のライブが終わったからといって、会場をでたからといって、そのライブは始まって終わってたわけじゃない。日々食べるものが、運動が、学びや遊びがその人を作るように、音楽が、そこにいたすべての人の生きる一部になっている。このライブがもっと長くいつまでも続けばいいのになんて感じる必要もない。続いているからだ。全身の細胞が、心が、浴びに浴びた波動にゆれている。