茶ぶろぐ

40代のライフスタイル@TOKYOブログ

映画『映画『君の名前で僕を呼んで』鑑賞メモ

 レディースデーに日比谷シャンテで観てきた。うっかりしてたがアーミー・ハマーさんの映画をみたのもここだった。座り心地が悪くて二度とくるかと思っていたはずなのに三歩歩けば忘れる頭なのでまたきてしまった。
 映画が始まる前から、すさまじい拷問がはじまった。大音量でくっだらねえ宣伝番組の上映だ。逃げ場がない「大音量」である。東宝シンデレラに対する印象は地に落ちたどころかマイナス1000m。いぶりだしてどっかに追い出したいイメージをめでたくうえつけられた。
 拷問が行われていることを知っている人が、予告編から始まってから入場してくる。予告編が長すぎるのを知っている人が、本編終了間際に入ってくる。たくさん。
 映画館から客が逃げるのは、映画のせいではない、東宝のせいだ、という新たな認識が確立した。でかいビルたててうかれてばあいかね。シャンテの内装は放置かね。あのすごいトイレとか。ミニシアターの雰囲気ガーというなら、まずは大音量の拷問映像流すのをすぐに止めるんだ。


 という非情なコンディションで本編開始となったのも運が悪かったかもしれない。
 以下かなり口が悪い、ネタバレありです。



ツイッターで話題になっているほどのものではなかった」という率直な感想である。ツイッターで何が褒められているかというと、「ティモシー・シャラメの美しいこと」であるが。そりゃ確かに美しいし演技はよかった。だがしかし、インターステラーの出番が少ないお兄ちゃんや、この本編の前に上映された映画の予告編のほうが、魅力的に思えた。アーミー・ハマーも、ジャコメッティのほうがずっとセクシーで不思議な調和的な官能的な魅力があった。
 ま、こんかいの映画はそういうキャストの魅力だけが話題の映画ではない。
 じゃあ、どういう映画なのかというと、そこがよくわからなかった。
 前情報をいれずにいったら、設定がだいぶわからない。教授と学生ぽいのはわかるけど、学生なのか講師?なのかとか、年齢や雰囲気がわからない。これは一般的な常識不足によるところではあるとは思う。なんで北イタリアなのかわからないし、ホームステイする家が、どうしてこんなに金持ちなのか、料理人とかお庭番みたいなひともいて、どれくらいのステータスとかよくわからない。タバコを吸い続ける美人の母ちゃんが貴族様とかお金持ちなのか? とか考える。Wikipediaによれば、インテリジェンスな家庭にそだって、エリオ少年は知性と教養豊からしいが。
 そもそも6週間、あのひとたちはどこで何をしていたのか。お父さんは教授というがいつ働いているのか。そう、休暇だ、休暇なのだ! 6週間の夏休みなのだろう。それはわかったけど、あの家が毎日暮らしている家なのか、別荘なのか、わからなかった……それがずっと気になった。
 くだらないと思うだろうけど、条件が悪いときは、集中できなくてどうでもいいことが気になってしまうのだ。


 そして謎は深まる。(「モーリス」をみたときもちょっと思ったけど)こいつらいつ恋に落ちたのか。心が近づいていく描写が、うすらとんかちな私の理解力では、かなりわからなかった。そしてひかれつつも、エリオは女の子にも手をだして。
 そんなんじゃさあ、思春期の肉体的衝動が偏見差別なく全方向に発揮されている!、というふうにもみえなくもなく。相手は誰でもいいのか、美形なら誰でもいいのか、とツッコミ。
 そういう肉体的衝動についての是非はまあしょうがない。そこも映画の評価とはあまり関係無い。価値観の問題だから。


 暑そうな北イタリアで避暑でもなくだらだらすごしていて、おおむねパンイチでほとんど脱いでいるのに、全裸はなしで(全裸がなければならないってわけじゃねえけど、最後のほうとかとく、直前にたまたま「眺めのいい部屋」を観たあとだと、逆の違和感すごかった)、自然描写は美しいけど、あんまりしゃべらない頭はいいらしいが何考えているかわからない思わせぶりな美男美男がたらたらと……時代背景とかもわからんしそこまで知らんし。


 みたいな。「モーリス」と何が違うか考えた。台詞の量だ。こういう文藝系の映画では、台詞が多いほうが、自分は好きみたい。圧倒的な映像で…!というほど観る目が無いし。
 また、みるほうに、時代背景とか、そういうやつの知識が足りないのだ。80年代のイタリア? アメリカの、同性愛とかに対する見方を知ってるか知らないかで、だいぶ印象は変わる。「モーリス」だって、その時代だと犯罪として捕まるとか、上流階級のイメージとか、全然ないとむずかしいはずだ。でも「モーリス」ははっきりそういう描写があるけど。


 いいと思ったのは、おかあちゃんとおじいちゃん。美しいと思ったのは、おかあちゃんと彼女。女性の美しさのほうが目がいってしまった。少年の美しさに萌えなかったのは何故だろう。萌えると思って、それを目当てでいったようなものなのに。肉体的すぎて気持ち悪いわけでもなく、十分美しい、魅力的だと分かるけど、「自分にははまらなかった」である。


 あと気になったのが、言葉の問題。
 彼女がしゃべってるのフランス語じゃね? とか、とこどころフランス語まじってね? と気になると大混乱だった。設定としては、イタリア語と英語が基本で、アメリカ人であるオリバーはイタリア語も少々しゃべっているけどぜんぶはわからない、エリオたち家族は、両方ぺらぺら、と思っていたのだが。マルシアはフランス人の設定でフランス語をしゃべっているのか、マルシアに対して英語でしゃべってた?? イタリア語?? フランス語? どういうことなのか??
 気になるとなんだか気持ち悪くてこまった。
 そんなこんなでぜんぜん映画に集中していないので、映画のながさもしんどかった。最初のうちはきれいだけど、同じような場面ばっかりで、場面の種類的にはこの2時間超えの尺でこれはないわ!、とキレ気味にはなる。撮り方もいまいちなのかわからん。
 場内、レディースデーなので女性、おばさまが多かったけど「寝ちゃった」といっているひと、ちらほらいた。
 もしかして若い人にはドッキドキではじめてみる美しいものばかりであっというまなのかもしれないけど、アラフォーごときでも、「なんかどっかでみたわー」な感じが多く、「こういうジャンルよねー」というわけでもなく。ティモシー・シャラメが美しいことはわかるが、あまりにもそれに頼りすぎでは感もあり(ややこしいことに主演ではないらしい。ダブル主演なのか。謎だ)。


 そういうことを前提として、観に行けば、十分楽しめる映画だ。情緒はある。
 最近映画の前情報はなるべくいれずにいっていたけど、あまりにもないとわからないときもあるんだなと思った。Wikipediaによると、話の途中の映像化のせいもあるかもしれないけど、誰のどこのなんのための映画なのか、よくわかなんなかった。すいません。