茶ぶろぐ

40代のライフスタイル@TOKYOブログ

好感度の高さとバッシングの強さ

 不倫問題でみそくそに叩かれたことなんて、今回の話にくらべたらぜんぜんマシでどうでもいい話だが。
 好感度がめちゃくちゃ高い人がけっつまずくと、その叩かれる強さは、好感度の高さに比例して激しいのだな、と感じた。
 今回は犯罪だし、グループだし、アイドルだし、レギュラーも多いし、ツッコミどころが多すぎるけど。持ち上げていて叩く側のすなわち一般消費者の心理とは、「可愛さ余って憎さが百倍」のひとつだろうけど、そのほかにも、別に好きでもなんでもないけど、いままで目立っていてみんなから好かれていたやつがやらかしたから関係者もろともぶったたけ、というのも交じっているのだろう。
 世の中には、被害者のほうを叩く一派もいるらしい。あまりの悲劇に、出来事をまともに受け止めきれないかもしれない。気持はわからないでもないが、それを匿名だろうが、口にだして外に出してしまったら、自分も、好きだった気持も、ぜんぶドブに捨てることになりはしないだろうか。
 自分自身のなかにも、よどみのようなものは生じている。朝の番組はみないが、DASHもetvも観ていたから。顔がてらてらしてニヤニヤしてるなあとか、あぶなっかしい雰囲気は漂っていたけれど、からだを動かしている様子は頼りがいがあった。
 それがこれである。裏切られたとか、なんてことしてくれたんだとか、悲しみと怒りと憤りといらだちと……、ほとんど「憎さ」ではないか。やはり憎さが強くなる。
 ともかくはやくこの嫌な「もやもや」が発生しない状況になってほしい、マスコミやツイッターから話題が消えて欲しい、と思うけれど、かといって、事件がごまかされて隠されてしまうのも腹が立つ。
 つぐなえるのか、どうやってつぐなうのか。個人や組織は、働き方や生き方は、変えることができるのか。変わらなければまた同じことをしてしまう道しかないから、変わらざるをえないのだけど。