茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

『おそ松さん』第3期「も」?楽しいよ

TVアニメ「おそ松さん」公式サイト

「え、第3期あんのっ?」って感じで、はじまった。
 赤塚アニメはとりあえずみような世代というか姿勢なので、あまり疑問を持たず、人気声優さんたちだれらそれらというよくわからない感じで、第1期の1話からみている。ときどき遅れるけど、配信でなんとなーく、ざらーと、ときどき思い出したら、だらだらーと流しみしている。
 映画は水曜日の昼間などに、のこのこでかけていった。まあみんなイケボだしうまいし、いい音で、キャラクターたちやあれこれがスクリーンを縦横無尽に動き回るアニメは、ふつうに楽しかった。話はよくわかんねえけど、まあ、ギャグ漫画だし。

 第3期は配信があるけど、いちおうねんのため、1話を録画視聴。なぜかドキドキして笑い転げて、なつかしい感じもした。

 以下、ネタバレありである。


 声優さんたちがでてくるのは、まあいつかはやるだろうし、いつかはこれはいってもらいたい、という感じで、そこまで予想外ということはない。そのあと6つ子は再生工場におくられて、奇怪な生命体に変身してしまうのだが、変身後の姿が妙に懐かしく感心がいった。「う○こ! う○こ!」と連発する色とりどりな「う○こ」な6つ子をみていると、そうだ、

ニコちゃん大王

だ。避けて通れぬあの大ブームの大きな渦のなかにいた、あのころの声が聞こえる。ニコちゃん大王たちは「おしり」であって「う○こ」がでてくるほうですけどね。かつ「う○こ」ではなくたしか「う○ち」だ。検索すると、やはり御本家のほうが愛らしくかわいい。けれども、6つ子もとてもかわいらしかった。手足と目鼻口というミニマムな描き分け、緊張感のないあほな会話、そして救いようがない不毛な言い争い。すばらしい作画でした。


 おそ松さんをみる理由のひとつは、アニメらしいシンプルな造形が、アニメらしく自由に動きまわることだ。にゃんこ斬り!など、本家を凌駕しているといっても過言ではない。アニメらしい伝統的なアニメがみたいだけなんじゃ。
 第3期も、オープニングとエンディングの楽曲ともに映像のすばらしいクオリティの高さ。最高だ。 これならこういう新しい音楽の良さが、頭のかたいワシでもわかる、 わかるのってうれしい。


 第1期を観始めた頃は、桜井さん、神谷さんは名前と声はわかっているつもりだけど、かなりわかっていなくて、聞き分けできず(アニメにもどってきた頃だったのか)、他の人はしらないちぐはぐばらばらだった。中村さんが洋画洋ドラの吹き替えとおい同一人物かいと驚き、小野Dさんはあの好感度がとても低い低いFFのスノウか(ゲームはみていた)と驚き、福山さんは後から他の作品を知って中の人をしって、おいおい全然キャラちがうじゃんよと軽くひいた。いまだに入野さんはトド松しかわからないごめんなさい。


 シンプルなほど、声優さんは高いスキルを求められる。その際たるものは、顔が動かない人形劇だ。声優さんがかなりの部分のアニメの世界を補強するし、故により強く、印象的になることもある。だから6つ子をやってる人たちは、要するにうまい人たちなのだ。そして中年だ。いや若い人もいらっしゃるはずだけど。第3期の初回では、6つ子たちはなかみは40代のようだった。中の人たちがでてくるネタのせいだろう。2回目以降送になったら、もう少し若返るかな?


おそ松さん』は人気声優目当てのファンのためのアニメでも、若い世代のためのものでもなく、中高年が頭をカラにするのにうってつけなアニメだ。中高年向けのこんなかわいいギャグアニメがある世界、とてもありがたい。
 アニメはこの調子でといいさ、いいとも、どんどんやっちゃおう。どこかブレイクスルーが起きて、伝統を担いつつも、突き抜けるなにかがあればなおいいかもしれないが、いまのままでいい、高望みはだめだ。そういうものを求めて第3期まできちゃったのかもしれない。求めて求めてたどり着かないのも、またそれらしいじゃないの……。


『えいがのおそ松さん