茶ぶろぐ

40代のライフスタイル@TOKYOブログ

『グッド・オーメンズ』クロウリーとりんご

 グッド・オーメンズで囓りたい聖書や歴史。

 Amazonプライム限定で絶賛配信中のドラマ『グッド・オーメンズ』をみはじめてから、聖書ネタや世界史ネタでそわそわしている。正確には、彼らの六千年の歩みのほうで、それは本編とはそんなにあれだったりするわけだが、ドラマが大変楽しくきっちり?と各時代を描いているので、これはあれだよねそれだよねとか、うろ覚えな知識を確認したり補強したくなる。広く浅くすぐ忘れる定めだとしても。
 幼稚園がカトリックだった、高校はいちおう世界史選択だった、程度の知識で、作品にかこつけてキリスト教や世界史を調べて、へへーほうほうほうウフフフとか書くだけの企画である。続くかどうかはわからない。
 引用する聖書はすべて新共同訳。たまたま家にあった。いつ購入したとかわからない。


 エデンの園やりんごのエピソードは、聖書のどあたま、『創世記』のなかでも、3ページめ、かなり最初のほうにある。聖書は辞書みたいに薄くぺらぺらの用紙なので、丁寧にめくらないと行き過ぎてしまう。
 
エデンの園にある木からはなんでもとって食べていいけど、『善悪の知識の木』からだけはダメだよ」
なんて、最初からあやしい、言われたほうは気にするしかない、モヤモヤするしかない条件の掟が設定される。蛇がはそこをつついてくる。ちなみに蛇は「主なる神が作られた野の生き物のうちで、もっとも賢い(創世記 3.1)」だって。嫌われているのか、愛されているの、どっちなの。

...部分は筆者が略

創世記 3 蛇の誘惑
蛇は女に言った。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」
 女は蛇に答えた。
「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない…と、神様はおっしゃいました」
 蛇は女にいった。
「...それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」

 ぜひ蛇の声は、吹替のなかのひとの声で脳内再生してください。

「なんでもOK、ただし唯一NGをのぞいて」と言われても、だ。
 そもそも「なんでもOK」という状態はかなり発生しないにも関わらず、そういう夢のような状況を設定しつつ、「でもこれをやぶると、ぜんぶおしゃかになっちゃうんだよね〜〜」という条件もつけておく。押すなよ押すなよといいつつ背中を押されて落ちるやつを、話として用意して、落ちている。

(わずかな時間と場所に限れば、自由にやりたい放題だよ!、な瞬間はひとにも現実にあるかもしれないが、実際は制限がないわけではない、というような話だろうか。飲み放題だよ食べ放題だよ、ただし飲み過ぎたら、食べ過ぎたら後で苦しむよ!、とか?? 抽象的に書かれていると、好きなように解釈するので、解釈違いでケンカしてややこしいのである)

 蛇は直接的に食べろとは言っていない。なるほど、これはたしかに誘惑だ。いわばツイッターにありがちな、拡大自己都合解釈して、かってに自分を納得させて食べるのである。
 だが誘惑された人をひきつけるものは、おいしそうにみえることだけではない。

創世記 3.6
...その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。

「賢くなるように唆(そそのか)す」ってなんだ!! 人間は賢くなってはいかんのか? ここでいう賢さとはなんなのか。女も男も、ふたりとも、けっきょく賢くなったのか、愚かになったのか。


 ドラマでの蛇(吹替版)は、わりと積極的に、「食え」とそそのかしている。クロウリーさんはわりとダイレクトに誘惑するんですかね? 
「悪魔の誘惑」といえば、極悪非道な陰謀を人の心に生じさせている雰囲気だが、「クロウリーの誘惑」というと、どうもそんな感じがしない。わたしの心はすっかり天使と悪魔で半分半分。人間だ。


 ところでエデンの園の中央には「命の木」ってのもでてくるんですが、その後これは聖書で登場するんでしょうか、いったいなんなんでしょうか(中二病




うちにあるのはこれに近いらしいNI44(2800円)だいぶむかし。

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