茶ぶろぐ

40代のライフスタイル@TOKYOブログ

はてなハイクは何が違ったのか考えた

 終わってしまった「はてなハイク」。
 はてなハイクは、自分にとっては、逃げ場所であり、休憩場所であり、ほっとする場所であり、ハッとする場所であった。なんでそんな場所になっていたのか。自分は何から逃げて、何から休憩しようとしていたのか、ちょっと考えた。それで、ツイッターのほうを整理して、自分のタイムラインを「ハイク化」することにした。
 もともと、「はてなハイク」は、自分が投稿する分にはほとんどツイッターと同じだった。気の利いたことを投稿できないから、お題に対する優れた投稿を、いいなぁ、すごいなあ、と指をくわえてみていた。


はてなハイクツイッターのちがい

  • はてなハイクは、全体数が少ないが故に、メインがパブリックタイムラインになっていた。お気に入りのひとしかみない使い方をしていた人もいたようだが、私は、パブリックタイムラインこそが、タイムラインだった。ツイッターではいまとなってはとうていできないことである。
  • はてなハイクには、リツイートがなかった。いま思えばこれはすごく大きい。ぶっちゃけその人個人の発言より、リツイートはたいていつまらないのだ。
  • はてなハイクには、公式アプリがなかった。自分も作ったりしたけど。最後まで、ブラウザで「観に行く場所」だった
  • はてなハイクには、スターがある。色もつけられる、数も自由自在。
  • はてなハイクの表示は、文章と画像がまさにミニブログだった
  • はてなハイクには、文字制限はなかった。ながいと折り曲げられていた(だいぶ長いと、だけど)
  • はてなハイクには、偉大なお絵描き機能があった
  • はてなハイクは、そもそもキーワードが主になっていた。自由でいいはずなのに、キーワードに集まるから、時差があって観に行ってもおもしろかった。(それもアクティブユーザー数の少なさの故といえば…)


 ツイッターは、情報を得るツールになっていたけど、そもそもは、個人の他愛のないつぶやきを垣間見るツールだった。はてなハイクとそこは同じだった。でもいまは、個人のことをツイートするひとは減っていて、リツイートが多くなっていた。好きなものについて語る人は多いけど、情報とか、ツイッター芸人のような文章ばかりになりつつあった。
 はてなハイクみたいに、ふつうのひとの、よかったわるかったがっかりしたちょっとおこったほっこりした、そんなことがみたいのだ、と思った。そういう人もツイッターにいるけど、少数派になっていたし、自分がツイッターではあまりそれらに関心をもたなくなっていた。はてなハイクにはわざわざそれをみにいくのに。


 だからタイムラインを整理中である。公式や有名なアカウントははずして、リストでみる。話題になっているからという理由だけでフォローしているものを外す。ながめていれば情報が入ってくるタイムラインとはおさらばだ。いろんなひとのふつうの、ぼんやりしたつぶやきをながめられるタイムラインにする。
 うまくいくか、続くかはわからないけど。
 ささいなこと、かわいいこと、別れ、季節の巡り、らくがき。はてなハイクで得たこと、教えてもらったことを、なるべく忘れずにもっていきたい。