忍たま好きでシンカリオンみていてなにいうかと言われそうだが、自分はショタ好きではないらしい。そうじゃないかと思った頃もあったが、今回ツイッターでふしぎなハッシュタグをみてその自覚を新たにした。
魔女が、幼児をひろって、それがのちのちいい男になる、という話。
三秒考えて、「ないわー」と思った。
自分が魔女なら、という仮定がそもそもかなりどうでもいいレベルが高すぎる案件だが、自分の場合なら、それは「ないわー」と思った。同じ理由で、おっさんが女児を拾って育てて云々は源氏物語から続く伝統であるけれど「ないわー」と思う。
そもそも、幼児をひきとらない。そりゃあ、魔女も光源氏も、子育ては他のひとにやらせるご身分かも知れないけど、まあそうだとしたら、育ての親でもないわけだから、イケメン美女に育てば、いいもん拾ったわと思うかも知れないけれども。
なんのはなしだコレわ。
だが自分が考えた話のネタを思い出した。「年齢不詳の不老不死?な魔女が、吸血鬼を目覚めさせて自分の手元に置いている」という話。少年という発想はなかった。なるほどなあ…。少年で吸血鬼というのは某大先生の専売特許じゃし…。
いやそもそも。
どれもこれも創作の話だし、こういう絵を描く人が、こういう設定を好む人が、実際にそうである確率は逆に低いかもしれない。
それでも、創作を楽しむという点でも、萌えないんだな…、という認識を新たにした。
魔女が、おばさん魔女が、イケオジを助けて面倒みるって話のほうが、いまなら楽しいかも知れない。切ないオチしかないけれど。しかしそもそも、魔女は人間なのか、妖怪なのか、かなり幼い頃からの謎である。
魔女は光源氏とは違うんですって。
君ら小説の強欲さをなんと心得る…?