ジャコメッティ展|企画展|展示会|国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO
ジャコメッティ展 | TBSテレビ
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六本木の国立新美術館で開催中のジャコメッティ展にいってきた。12時半ごろ現地についたのだが、びっくりするほど、空いていた。ここへ来るときはいつも混んでいるから、うんざりしていたのだが、こりゃ意外である。(お盆のはじまる週だし、時間もはやかったのかもしれない)チケットは1600円。高いのか安いのか。中身的には安いが国立の美術館としてはどうなのよと毎回思うけど、入場券売り場も並んでいない。会場に入るのも並んでいないし空いている。
こどものころは、ジャコメッティの彫刻は気持ち悪くて苦手だった。どうしてこんなに細くそがれてるのだろうと、不思議だった。だが、大人になってから、たぶん西洋美術館で作品をみたら、「あれ、そんなに悪くないのでは」と思い始めた。
展覧会というのは、展示の仕方で、印象が大きく変わる。超目玉の作品があっても、全体として良い展覧会になるとは限らない。今回のジャコメッティ展は、自分と相性が良かったのだろう、とても良かった。
彫刻と絵画の圧倒的な違いは、360度からみられるし、見下ろしたり見上げたりできるし、彫刻のむこうにまた同じように作品をみている人がいたりすることである。自分がみているときに、むこうもこちらをみている。そして展示には照明がある場合、彫刻の印象を決定づける。たとえば西洋美術館のように、外にある場合、彫刻はほぼ全方向から陽をあびていて、朝や夕方よほどの時間にいかないと陰影など意識しにくいのだが、美術館のなかで照明をうける彫刻は、光と影を生じることになる。
そぎ落とされたようにみえる彫刻たちは、実は逆で、対象を見つめぬいたがゆえに見えたものを強調しているのかな、と思った。厳しさより、愛情である。一見、孤独で細く寂しく厳しいようにみえるが、ユーモラスでミニマムなのに躍動的で豊かでやさしく、観ている者、その近くに存在する者と、その場において、何かのつながりをつくる。理由はよくわからないけど、空間にあると楽しい。
今回のジャコメッティについて知ったこと
- ほそいそげそげしたものばかりをつくっていたわけではない
- ちゃんと描ける
- すごく小さい彫刻もある。マッチ箱に複数はいるぐらい
- モデルの扱いがひどい
- 弟が忍耐強すぎる。奥さんも。
- 日本人の友だちがいて哲学者でモデルをしにいく
- 友だちは少なそうだが、理解者に恵まれたらしい
愛情なくてはアホみたいに拘束されるモデルなどできないし、そのモデルから彫刻はできない。絵にかいたようなパリの芸術家だ。萌える。
ギリシャ彫刻のような美麗なわかりやすさにあふれたものではないので、わかりにくいと感じる人がいるかもしれないけど、印刷技術が進歩しても、やはり彫刻はまだまだぜんぜん、本物をみなければ、その何分の一も伝わってこない。
ジャコメッティの名を知っている人、あの針金みたいな彫刻のやつ?と少しでも知っている人は、六本木へ、乃木坂へ行こう!
一部撮影もできるけど、撮影可だと撮影に気をとられてしまうので、撮影できなくていいかなぁとも思うけど、あれは撮影してもたのしいやつだ。
『3人の歩く男たちⅠ』がよかったけど絵はがきは一人のやつしかなかったのでそれを買ってきた。彫刻だからどの向きから写真をとるかでだいぶちがってしまうよね。
犬と猫は、すごいインパクトあって面白い。
PDFのジュニアガイドが楽しい。大人にもちょうだい。
こんな本とかあるらしい。
「矢内 原伊作」じゃなくて、「矢内原 伊作」だと思う。 けど。