脊髄反射でオブラート

chaoruko@HatenaBlog

当事者にはなれないけども

 だいぶむかしに読んだかなり短い短編小説集のなかに、当事者の話があった。短編なので何の当事者かははっきりと説明されていない。その当事者の近くにいる者と当事者のことが、簡潔に記述されていたと思う。


 ある我が家にふりかかった大きな出来事のときに、私は当事者になったのだけど、本当に悪銭苦闘して問題に対処していたのは、自分の保護者たちであって、自分は当事者であり当事者ではなかった。


 重い病気とか、難しい病気とか、金銭や人間関係のトラブルや、子どもがいるとか、いないとか、いろんな当事者に誰もがなっている。「〜〜じゃなきゃわからない」という人は、相手を拒絶しているか、甘えている。いわれたほうは、つきあいをつづけるか、どうつきあうか、それはそれぞれ別の当事者である自分で決めればいい。だめなときはとりあえずサスペンド


 当事者でなければ分からない問題、不便なことを表明する意味は大きい。言わなくて我慢した人は、他の当事者の話も聞けなくなる。いいあらわせば、もしかして解決するかもしれないし(本人に問題がある場合でも)、解決しないかもしれないけれど。誰かひとり、ふたりの身近な人に話しても愚痴でおわって塵芥になってしまうので、インターネットの大海に投げるのがいい。


 いろんな当事者が発生したら、当事者の意味も変わってくるかもしれない。あなたはあなた、わたしはわたし。そんなふうな区別が曖昧になる時代もくるかもしれない。