茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

ちさ子さんはテレビのひと

 バイオリン奏者とは思えぬ凶暴キャラではじめてみたときは仰天した。それでもこんな人もいてもいいわなぁと思っていたが、結婚したときはびっくりしたし、親になったときは、またものすごくびっくりした。こんなひとでも人の親になるんだ、と思った。「こんなひと」というのは、凄まじい凶暴性である。すべてに突っかかる、怒る、楽しそうに般若になる。そんなひとも結婚するし、子を産むし、子育てする。すごい。


「約束をやぶったから物を壊す」というのは、いろいろおかしい。そんなことをするなら、そもそも買い与えるべきではない。取り上げて人にあげてしまうとか、中古品として売ってしまうとか。それもかなり鬼だけど。


 実際の「物を壊す」という行為に対して無頓着であるのは、人間性を疑われても仕方がない。どんな理由でも、意図的な破壊行為は、お行儀が悪いし暴力的行為だし、そういった行動を公に声高らかに宣言することによって、同じことをされて傷ついたたくさんの人の心を、再び傷つけることになるからだ。



 だがしかし。



 だがしかし。


 あの、高嶋ちさ子である。音楽家である。そもそも、まともな人間ではない。
 そしてまともな人間しか子育てをしてよいというわけではないし、まともな人間の親でなくても、まっとうに育つ子どもはたくさんいる。珍しくない。親がまっとうと言われ子どもがおかしくなることのほうが多いかもしれない。


 子どもは少々災難だが、20年もすぎれば親から離れるかどうかは自由にできるようになるだろう。それは本人が決めればよい。その判断力ははぐくまれると思われる。そこで子どもに執着するなら、高嶋ちさ子ブランドの崩壊である。


 ちさ子さんがどれくらいの演奏家であるのか、ずっとわからない。テレビでみかける演奏では、何も判断できない。しゃべればひたすらに痛快なほど凶暴で暴力的。テレビ越しに見る分にはいいけど、珍獣があばれるのをみる気分に似ている。あるいは不条理にコックを打ち抜くようなブラックコメディの映画。それでかまわないのだと思う。本当の人間性や、音楽性など、テレビのむこうの視聴者にはわからない。