茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

裏方は表に出ろ。

 裏方が表にでてくるのは見苦しい的文言をどこかで見かけたが、むしろ裏方は積極的に表にでて、責任と感動とほこりを表の人と分かち合うべきだ。映画も、ドラマも、アニメも、マンガも、小説も。

 どこでどのように表にでるか。それは表の人とは別の枠がよい。役者さんがテレビのトーク番組に出て作品を宣伝するときに、脚本プロデューサー照明特殊効果衣装云々の人が同じようにでてくるのは、それはちょっと無理な話だ。それは代表して監督が担う。
 ならばどこか? それであればよいと思うもの。

  • 業界専門の雑誌やサイト:業界の裏方を取材とかいってほしい
  • トークイベントおよびその報告サイト
  • 業界別作品のオンラインのデータベース(映画ならimdbみたいなやつ!!)

 もしかしたら映画雑誌などでは、そういうコーナーや連載記事があるかもしれないが。

 欧米には、「〜〜コン」のようなイベントがある。イベントでは俳優だけでなく、監督、脚本、美術、音楽など、様々な人が、直接ファンと話をする催しなどがあって良いなあ、うらやましいなぁと思う。そのような試みを日本でもやったほうがよいのではないかと思うのは、その業界をつぶさないため、伸びて続いていくためだ。

 マンガや小説の編集だって、裏方といっても、職業として漫画家と小説家に劣るわけではない。圧倒的な才能ばかりでは作品は世にでない。裏方の人たちだって、ちゃんと仕事をしている人ならば語れるはずだ。
 いわゆるアメリカのように俺が俺がと前へでる必要はないが、へりくだって隠れているだけでは、その仕事はなかなか外へでない。次代へ引き継がれない。住み込みだけでは、仕事は伝えることはできない。わかるひとだけわかっていればよい、ではダメなのだ。

 世の中にはいろんな大人がいて、いろんな仕事をして、ふつうにちゃんと働いている。その人たちが生み出したものを享受する人たちのなかには、もしかして送り手側になりうる人が、もっとたくさんいるはずだ。文化芸能の世界で働く人たちは、もっと外に向かって努力をしないと、小説も映画もテレビもアニメもマンガもぜんぶぜんぶ衰退してしまう。
 クリエイターがみんな専業作家になるような、精神的貧乏になってはいけない。

 受け手側の問題もある。ただそこに流れてくるから消費するだけの癖がついている。ありとあらゆるものが、「どうやって作られているか、どこから来ているのか」もっと気にしたい…。