茶ぶろぐ

40代のライフスタイル@TOKYOブログ

ひとはなぜパートナーを欲しがるか

 ツイッターをみていたら、そんな疑問か叫びをつぶやいている人がいた。


 ひとはなぜパートナーを欲しがるのか。一人はさみしいから、みんなが結婚するから、その他やむにやまれぬ事情によって。
 バブルの恩恵を社会人で世代ぐらいまでは、「みんなが結婚するから自分も結婚する」という考え方は自然だった。いい年になったら、ぱたぱたと結婚していた。もちろんどんな時代にもそうでない人もいるけれど、その人たちはいまよりずっと痛い針のむしろに座っていたことだろう。
 なぜ結婚したのか、それは「同じ土俵に立ちたかったから」という理由をきいたときは、驚くと同時に興味深かった。結婚しなければ、社会人やおとなと、同じ土俵に立てない。会社は社員の結婚や子どもができることを歓迎する。責任や養うものが生まれたら、熱心に働くようになるから。もちろん男性社員にとって、の話。女性社員はおめでとうとバイバイする。
 おおむね、ちょっと昔のはなし。いまでももちろん、そういった社会的外的理由でパートナーを求める人も居る。長女だから、家をつぐから、家族の面倒をみるため等々。人間は社会的な生き物だし、生きるとは「自分の気持ち」ばかりを大切にすることではない。


 いやわかるけど、そういう話じゃないんだよ。だってそもそもパートナーはすなわち結婚相手なの? 結婚という社会制度に私たちしばられすぎているんじゃない? いやいや、そういう話でもなくってさ。要するにパートナー欲しいってのは結婚したいってことだよ。幸か不幸か自分にはそういう外的要因はないんだよ。親も親戚も世間話並のプレッシャーはかけてくるけど。じゃあなんだ? なんで求めるんだ? なんで結婚したいんだ。まだ誰にも出会っていないのに!


 それは魂の問題だよ。魂が求めるからなんだよ。まだ見ぬ者を、未来の存在を。ふしぎな話じゃないかい? 知らないものをほしがるんだぜ? だから理屈なんかないんだよ。理由なんかいらないんだよ…(キラキラキラ


 曖昧模糊としたものを求めるのはつらい。だからあまりそのことばっかり考えるのは無駄が多い。何故といわれても理由は無し。しかしその想いは無駄にはならない、大切に。とりあえず学び稼いで、何かしら貯蓄しておこう。すべてジャージャーと浪費していたら、渇きだけが残ってそりゃ大変。