連日、川崎の事件が報道されている。あまりにも時間を割いているので、何か重大なニュースが隠蔽されているのではないか? という中二的陰謀説など脳裏によぎりつつ。
ぼんやり思い出すのは、神戸の事件のこと。何故かこの事件を夢に見てうなされるほどのインパクトをうけていた。すさまじい事件ではある。たまたまそのとき体調が悪かったとか、そんなことが重なって、無意識に事件について、ずーっと考えてしまっていたのだろう。
今回の川崎の事件のほうが、まだ「ありふれた」少年犯罪(少年といえるのか?)ではある。だが救いのなさは変わらない。今回はインターネットなどのせいで、もっとひどく大きな話かもしれない。
何故人を殺してはいけないか、何故人を傷つけてはいけないか。それをどうやってその人に説明できるのか。
神戸の頃はなぜか、そんなことにうなされた。
川崎の事件については、加害者のほうよりも、被害者の報道のことにより意識がむいてしまう。被害者はこんな良い人だったのに、理不尽な仕打ちを受けました、悲しいことです、とか言いたいのだろうか。いやそれでも、そこまで情報は要らない。