茶ぶろぐ

40代のライフスタイル@TOKYOブログ

洋画が公開前に邦題にケチをつけるのはやめよう。

 海外映画のファンは口うるさい。すべての人がそうだとは言わないが、うるさい人は多い。そりゃもう、インテリで、うるせぇwお前wwって人が多い。私はその人たちを尊敬しつつ、恩恵にあずかりつつ、しかし時折訪れるお約束のようなそれには、いいかげん、あきてきた。

 日本で公開が決まらないことに、呪詛を吐くのはまだ良い。だが、公開が決まって邦題が発表されるや否や、怒濤の品評会はええ加減にしろやと思う。その少なくないマイナスの感情は、映画という娯楽に、水をさしているだけじゃないか?

 もちろん映画ライトユーザーからみても、すっとこどっこいな、そりゃないわー、な邦題はある。しかしほとんどが、しょうがなくダサイ、ものである。その良さと悪さについて、あれこれ言う権利には、映画ファンにはある。消費者のぼやきとして、無くは無いだろう。

 だが、公開前に、よってたかって言うのは、いい加減やめろよ!、と声を大にして叫びたい。なぜならば、「邦題にケチをつけるたびに、映画にもケチがついていくから」だ。わかっているんだろうか、そこんとこ。「邦題にケチをつけているだけで、映画には何もいっていない」じゃない。ネット上でぶつくさいうのは、それだけ、その映画に無駄なケチがつくことなのだ。

 その映画の公開を心待ちにしているくせに、どうしてそういうことするのだ?

 よってここに私は提案する。

  • 映画の公開前には、邦題にケチをつけるのをやめる
  • どうしてもケチをつけたいときは、一回千円を、赤十字とかあしなが育英会とか、ベネディクト推奨の団体とか、どこでもいいから、募金する


 映画が公開されて、映画をみたあとなら、その映画の感想もろとも、おまけのごとく邦題にケチをつけてもかまわない。

 たしかに、日本の海外輸入の映画の、タイトルの付け方や、宣伝の仕方は、いまは地獄のようにどん底のように惨憺たる状況ではあると思う。だが、その映画を愛する人までも、そこに身を投じる必要はない。ひたすらハッピーな気持ちで映画の公開を待とう。そして見てから、ネタばれに配慮しつつ、思いの丈を叫ぶのだ。