茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

世界が勝手に変わった

 世界が勝手に変わって、おそらくは異常なライフスタイルがデファクトスタンダードになった。ふしぎだ。自分は何も変わっていないのに。
 世界が変わらないから自分を変えるしかない、とはよく言われることで、だから人はなかなか変われず大変なのだが、世界がこうも勝手に劇的に変わっちゃうときも、たまあにはおこるのである。むろんぜんぜん望むような変化ではないが。


「人と会うな、家にいろ」
 社会的ひきこもりとしては、おーけーまかせろ、いつもとかわらぬ、なのだけど、いやところが案外そうでもない。バスにのってちょっと遠出の買い物ができない、ドトールにいけないのがつまらない。ストレスだ。そのていどのことだが、そのていどのことでバランスをとっていたので、それが侵害されるのははなはだ心外だ。
 だれもわたしの行動を制限するな、おれは常に自由だ、なにものもこのわたしを束縛するんじゃねええ!、となぞの雄叫びをあげる。


 問題は、本当に、こもっていたら生きていける、かどうかである。マスク、トイレットペーパー、ハンドソープ。目立って欠品しがちなのはそこらへんだが、キャベツもずっと消滅している。春キャベツはひとたま298円。君たち、どこへ行ってしまったの。大根もずっと高い。
 きゅうりはちょっと安い。なすはまだはやいのか高い。じゃがいももたまねぎも、すごく高くはないが、安くはない。
 遠くの美容院に通っていたので、行けない。シャンプーとかも買っていたので、じきになくなる。店内を客一人にちしているようなので、近かったら行くのにな。
 いままで「欲しいと思ったときに買いにいけば買えたものが買えない」というすごいストレスと不安。トイレットペーパーは本当に憂鬱だ。でももしかしたら、簡単に手に入る社会は、ずっとずっと戻ってこないかもしれない。


 世界は変わってしまって、もう戻らない。
 戻るようなものは変わったとはいわない。
 はやく元の生活が戻るように、などと望んでいる限りは、望んでいる間は、戻らないのだ。次の世界でいかに快適にいかに楽しくいかに死なないように生きるか、それを考えなければならない。

FF7Rがとにかく楽しい

 FF7Rが我が家にも来た。本当にこんな日が来るとは、現実味がない、いろんな意味で。
 プレイするのは家人なので、毎度いまのところ横でながめているぼんやり子ではあるが。とにかく面白い。
 こんなに面白いなんて想像していなかった、期待していなかった。
 体験版もプレイしたから、クオリティとかはおおすげえええはすでにあったけど、そういう技術的なことより、いろいろ面白い。面白すぎてゲームをする人のとなりでわーきゃーのたうちまわってる。

 ネタバレいちみりもいやなひとはこの先は読まないでね。

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誠実さとゆらぎ

 矛盾したことだが、二つは共存していていいらしい。
 誠実でありたい。多少の嘘はつくけど、誠実でありたい。ダメなものはダメとすぐにいってしまう。だが境界はあいまいで常にゆらいでいる。
 なにが正しいのか、なにが悪なのか。
 断罪されるべきものは、徹底的に世界から排除されるべきなのか。救済はあるのか、本質的に。


 なんて、なんだかよくわからない。


 自分がすでに社会のシステムに加担している気がするからだ。そしてそこから脱することは、怖くてできない。不可能である。

 

公募に応募した

 三月末が〆切りの賞はいろいろあったはず、そのひとつに応募した。規定枚数ぎりぎり満たすぐらい。今回久しぶり??にゴールまでたどり着いて発見したこと。

  • 自分はかなりアナログ
  • パソコンの推敲は変えて戻している可能性がけっこうある
  • 最初に書いたことが結局キモというか、現実というか、それはそんなに超えられない

 もう人生折り返しだけど、はじめてちゃんと書けた気がした。レベルはもちろん低いけど、自分的に全体を把握しているというか。

 で次は、次のめぼしい??近い賞は枚数が300枚以上からとか。絶対無理ゲーだけど、どうしたら書けるか。まずはこんなブログを書いている場合ではないような気もするが、これは要するに小説とはぜんぜん違っていたのさ。それだけのことさ。
 書くときに、文章として正しいとかそんなことを考えているとだめらしいことはわかってきた。説明もだめだ。ちゃんと書こうとか思ってるとだめだ。意識せずに書けないと、だめっぽい。自分の場合は。走る人が走るときに筋肉をどう動かして〜〜とかいちいち意識しないのと同じかも。基礎トレは読書だろうな。ツイッターばかり読んでる場合ではない。
 有名な作家さんが、推敲をほとんどしないモーツァルトみたいな書き方をするひとがいるらしいが、それはある意味あっている。最初にぱきっとかいたことがつながってないと逆につじつまがあわない人なんだろう。もちろん普通ではない。
 covid-19で読書がオススメされているけど、書くともっと時間が経つのが早いですよ。能動的になるし。みんな読んだら書けばいい。世界のことを忘れられるぞ。

いっすんさきはまっしろ

 23日にワニについてなんか書いているけど、そんなのかいているばあいじゃねえ!な未来になっている。
 すごいわ…一寸先はまっしろけ。なにがなんだがみえない。
 闇と思わないのは、まあ、そんなことをいってもしょうがないからだ。闇なら何もしないで寝るしかない。
 ならば、身辺整理をしておくべきか。タンスの引き出しのなかを整理整頓しておくべきではなかろうか。いつでも入院にぱんつもっていけるように。ぱじゃまもかわなきゃ。そんなひまないかしら。いやそもそも、そのときには病床がないかもいしれないよ。
 もう知らぬ間に感染してれば、抗体ができていればいいのにな、なんて乱暴なことを考える。そんなに都合よくはなかろうよ。

 ウイルスが出現する意味なんてないだろうけど、出現されたほうとしては、けっこう世界が変わってしまう。いままで当然だったものが当然ではなくなる、ものの価値が変わる。
 なにかうちにあるもの、自分がもっている能力??で、金になるもんないかなー、と思ったけど、いまのところ発見できてません。