茶ぶろぐ

おとなのライフスタイル@TOKYOブログ

ギャップ萌え

 ギャップのある男の子たちとすてきなイラストをツイッターでみかけた。目の保養をさしてもらったが、どれもさしてギャップに思われない自分にショックをうけた。年をとるといろんなギャップを、現実でも創作でも、たくさんたくさんみることになるから、なかかな自分にガツーンとくるようなギャップ萌えがなくなってくるのである。若い頃の自分なら、まさにあふれでるギャップ萌えにじたばたきゃあきゃあ萌えたおしただろうに。

 いま自分がぜんぜんギャップ萌えがないかというと、そういうわけではない。あるにはあるにはある。ケミちゃんなんか毎回そうである。CHEMISTRYのふたり、あんなにイケメンなのに、ライブではもっとかっこいいのである。もっとうまいのである。そのギャップに「グアッハ!!」となるのである。
 そういえば音楽系のギャップにはむかしから弱い。「短ラン丸坊主同級生男子が実はピアノが激烈うまい」「地味暗めビジュアルなのに美声」「フワフワ天然不思議乙女系なのにバッハ激烈うまい」とか、そういうやつ。
 俳優さんでは、芸幅が広いひとはそのギャップにずきゅんとなる。田中圭さんの、一見ふわふわましゅまろひとあたりいい系やさしいお兄さんなのに、なぜかドエロいときがある、とか、ビジュアル乙女系なのに男っぽい志尊くんとか千葉雄大くんとか。


 チョロいじゃねえか


 絵やイラスト一枚では、想像力が必要なのだ。想像力がパターン化して弱体化しているから、萌えが鈍くなっているのかもしれない。慣れてきたらギャップ萌え減っているわ〜というのは、まったく逆で、単純チョロいになっているのではないか? これって特殊詐欺??

宇崎ちゃんと試し読み

 宇崎ちゃんは試し読みすれば面白いし、コラボが別におかしくないことはわかるけど、第一弾のポスターは感覚的に無理な人は少なくないだろう。世代の問題かもしれないが、絵柄や極端に強調されたバストのイラストについて、眉をひそめる反応をする人がいるのも仕方がない。世の中的にみたら圧倒的多数派だろう、この高齢化社会では。道端であのポスターだけをみて気持ち悪いと思うことは、ぜんぜんふつうなことだ。
 しかしツイッターするくらいのインターネットスキルをもっているなら、非難するまえに、作品の試し読みぐらいはすべきだ。献血のキャンペーンに起用するとき、なにも考え無しで作品を選ぶはずがない。だから試し読みを読んでみればいい。読んでみてそれでも納得がいかないなら、それを含めて個人的好みを示すのは自由だろう。


 自分は、第一弾のポスターの話題のときは、スルーしていた。考えなしのコラボではないだろうが、わざわざそれを確かめるために試し読みしにいくほどひきのある絵柄ではない。そういう界隈で人気のそういうマンガであろう。「そういう」はきわめて曖昧で具体的に言語化はできないが、それは自衛でもある。
 第二弾のクリアファイルの画像をみて、試し読みを読んでみた。コラボされる原因がわかった気がした。たしかに胸が大きい女の子でそれはそれなりに漫画的に誇張はされているが、そういうまんがではない。クスッと笑えて元気がでる。でもこの作品は、基本はそういう胸の大きい女の子を好む人たち向けのマンガなので、単純に自分向けではないので、これ以上はもう読まないだろうし、排撃することもない。作者が震災の被災者だったという話は、作者本人の個人的な動機につながるエピソードにすぎないので、それによって作品の価値が増したり評価があがったりはしないだろう、本来は。




 

良い牛角悪い牛角

 年に何度の頻度かわからないのだが、もしかしたら季節に一度くらい、牛角に行く。近場の牛角である。別の場所ではたぶんもういかない。別に良くないからだ。

 じゃあ行く牛角は良い牛角なのか? おおむねそうなのかもしれない。店はたぶん牛角にしては狭い。タイミングはやめに行かないと入れない。この牛角で店員さんが足りないと思ったことはあまりない。ないわけではないが、少ないほうだ。それはすごいことかもしれない。そして今日も店員さんたちは、おおむねまあまあ、いや、いまどきの世の標準を考えると、すごいまともで申し訳ないくらいだった。みんな若いし。えらい。

 店長など仕切ってる人が、ずーっと同じ人なのかはわからないけど、そこの牛角もずいぶん長い。いい人選が続いているのかも。

 行くたびに、メニューとかお店に置いてある皿などアイテムが変わる。それくらいのインターバルで行く。箸置きがあった時期もあったはずだが、今日はない。タレをいれる皿はずいぶんちゃちくて、こんなんだったっけ?であるが、貧乏くさいほとではない。妙に高級感があるデザインのときもあったので、それよりは良い。

 いくたびに変わるメニュー、今日は鴨のロースなんかあったりして。予想外にうまかった。焼肉屋なんだから牛を食うわいと思っているが、鶏、豚、そして鴨、ラムもあった。いろいろ試してみるタイプなのだろうか。

 牛角があらわれはじめたころは、こんなに安くて焼肉が食べられるとうれしかった。それはいまも変わりない。こんなご時世だし。ときどきブラックな話題も見かけるけど、なるべく働く人も楽しくあるとよい。行きつけ以外のところには行かないと思うけど。

有楽町をはいかいしてのち

 金もないのに有楽町から銀座を徘徊する。銀座のデパートの店員はよく教育されているので、客の値踏みは一瞬で露骨である。いしころぼうし装着状態だが、貧乏人が徘徊していると売り場の邪魔になる。というほど、平日昼間の客はいない。ウソみたいに客は少ないところに、パッとしねぇな客がうろうろしてきたら、暇なほうがまだマシだと思うくらいだろう。なんて自虐は果てしなく書けるがそれはそれでみっともない。ほどほどに。

 案外みんなマスクをしていない。中国人観光客が全然いないわけではないが、超富裕層しかいないかもしれない。着ているものが全然違うので、圧倒的財力はすぐわかる。

 銀座は超金持ちか金持ちしか相手にしていないので、ずいぶんいけすかない度があがっているけど、三越では茶器のフェア的なことをしていた。日本の高い急須と、中国茶の美しい小さい茶器が並んでいた。

 ひさびさに目の保養、美しいものみた。急須は4、5千円が数えるほど、あとは数万円。圧倒的に美しい。すばらしい。

 しかし、同じフロアの違うところに、バブルの頃でもそこまではねぇよ的なキンキラキンキンの急須、人形、焼き物が集められているコーナーがある。あまり近づけなかったが、どうも中国茶器のセットもあったような気がするのだがそれはどういうことなのだろう。

 急須を探している。前と同じものを買いたかったが、かつて購入した松屋には似て非なるものしか置いていない。毎日使うのにストレスがたまらないくらいの急須がほしい。それだけなのだが。

 ときどき近くの駅ビルに陶器の出店がでる。そこで以前に雑然と並んでいるなかに、目を引くものがあった。それらは周りが千円代からの商品のなかで、さんごーかよんごーぐらいだった。なんでいきなりそいつだけ!

 それを買えなかったことを後悔している。焼き物は出会いだ。五千円前後以下ならすぐに買うべきだった。それくらいしたお皿はずっと使っている。また来ないかな、あの急須。今日まで出店がでてたけど、いなかった。

 

東出くんと好感度

 わかりやすくいえば

「ひがしでお前もか!! お前もただのゲス野郎か!!」

 あまりの話になかなか頭がびっくりしていた。
 情報量が多い、ネタが渋滞する。どこまでほんとかしらんけど。
 ツイッターはバズり続けており、東出くんへのダメだしがすごい。いままで黙っていた人の不満が一気にでているようである。「芝居は下手なくせにちやほやされていた」が主である。

 たしかに、自分のなかでも好感度は高かった。芝居はうまいとはいえないが、そもそも大変に容姿に恵まれており、いい作品に当たったこともあって、運があって、順調にコマを進めていた。落語の番組もやっていたり、何かのナレーションもやっていた。
 それらをぜんぶ、自らちゃぶ台返しか手のひら返し、自分でチャラにするどころか、マイナス五十億ぐらいにしてしまうとは……?


 なぜこんなことをしたのだろうか。
 仕事が順調だったから調子にのっていたのだろうか? 仕事にも子宝にも恵まれて、るんるん浮かれていたのだろうか?
 単に、バカだったのだ、そこぬけに、信じられないほどバカで、思考能力が浅く、想像力もなかったのだ。
 そしてわたしは、すっかり信じ込んでいた。だまされたとはいえない。かってに信じていた。その外見のよさと、たまたまの作品のあたりの良さと、トークのうまさに。落語好きなだけあってかどうか、ぺらぺらとよくしゃべるし、よく笑う。かっこつけているより、ざっくばらんにいろいろしゃべる俳優さんのほうが最近は人気がある。東出くんも、外見の良さのわりになんでもしゃべりまくるので、妙に好感度が高くなっていた。何を信じていたのだ? それが曖昧だ。なにかぼんやりと「良さそう」な曖昧な感覚をもっていた。あんなにいかにもまじめそうな人の良さそうなひとがこんなことをする。その「まじめそう」とか「人の良さそう」とかどこからきた?


 結局は、人は見た目なのか。かつ、話術があると、好感度が上がってしまうのか。信じてしまうのか。
 これ完全に、宗教とか、サクッと簡単にはまるヤツじゃない?


 東出くんは前からクズだという人は、その人にとっては東出くんはたまたま好みのタイプではなかったのだろう。周囲がイケメンだといったとしても、自分にはピンとこないばあいは、はまりにくい。それはたまたま、運が良かっただけの話だ。運が普通なら芸能人であり、運が悪いと詐欺業者である。


 今回の東出くんの事件で、自分の人を見る目や価値観について、じんわりショックをうけている。
 不倫なんか信じられないわ、もう作品みないわ、なんて思わない。プライベートを気にしだしたら芝居はみられない。面倒臭すぎる。作品の外については、外見がいい人は警戒しよう。最近の芸能人は外見の優先度が高いのでほとんど該当してしまう。美男美女がいい人なわけがない。だからこそ芸能界にいるのだ。芸能人じゃない普通の人も、警戒するだろう。こぎれいにしていて自分にとって好感度が高い人など、自分をだましにくる相手である。若いならなおさら。そんな出会いの予定は微塵もないし資産もないけどな!


 昔から謎だった。
 好感度で商売しているような人が、なぜ、リスクが多い、損害が多い、不倫や浮気をするのだろうか。
 好感度が高いほどダメージは大きい。三倍返しのように本人を長期にむち打つ。それでもなぜ、するのか。東出くんのおかげで、この謎について一つの解答を得た。「外見がいい」から浮気をするのだ。顔とスタイルが良くて身長があって、かっこいい服をきていてヘアスタイルが決まっていて、良い匂いがしたら、浮気をするのだ。イケメンじゃなくても浮気する人もいるが、代わりにお金があるとか、すごく気配りができるとか、何か他の男性よりも何かぬきんでて女性にアピールするところがある故なのだ(性別は関係ない話)。ともかく、容姿が恵まれた人は、もうそれだけで、浮気をする、と断言しておく。浮気をしないとしたら、無意識か偶然に、容姿の良さを減らすことをしている。ファッションはヘアスタイルがイマイチなら、それだけでもう十分だ。モデル出身で芸能人の東出くん、ぜんぜん無理。


 東出くんは、仲直りして家庭に戻っても、その恵まれた容姿があるかぎり、また浮気をするだろう。そういうものに価値の重きを置く人は集まってくる。よってこられてよいしょされたら、許されると思ってしまうだろう。二度と浮気をしない、不倫をしない、という誓いをたてたとして、それが証明されるのは、死ぬ瞬間である。まだ若いから、10年20年30年浮気をしなくても、誓いは証明されない。一度も浮気をせずに最後まで死ねたら、やっとそれは証明される。
 そんなことはしかし、判断するのは、現時点で配偶者である奥さんだ。浮気をする前提で家族でいるのか、浮気はしないことを信じて家族でいるのか。東出くんをクズと罵るツイートは多くても別れろという意見はわりとみかけない。そこはゆだねられている。


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