茶ぶろぐ

40代のライフスタイル@TOKYOブログ

crochet 業界の Afghan とはなんなのさ

 日本の編み物業界もほとんど知らぬが、crochet業界ももっと謎が多い。そもそも伝統的なものの世界だから、技は合理化されていても、なぜそれそういう名前なのかについては、理由や由来が謎なものが多そうだ。


 そのなかのひとつが、 Afghan アフガン。アフガンて…。辞書としては、アフガニスタン人、アフガニスタン語、アフガニスタン人の、なのだが、なぜかそこに「毛織りでカラフルな模様の掛布団」とか混ざってくる。いろんな画像をながめて、なんとなくまとめると、

  • 掛け布団、ブランケット
  • 編み物
  • 模様がある

 だいたい上記3つは当てはまるようである。カラフルかどうかはデザインによるが、模様は必ず入っている気がする。でも最低限アフガンと認識されるのは、最初のふたつで「編み物の掛け布団」かもしれない。でも掛け布団のイメージが日本人だともう少し厚さのある掛け布団を思い浮かべるかもしれない。アフガンは、編み物なのでそんなに分厚くないし、大きさは作る人の根性だと思うが、寝るときに本当に使うかどうかわからない。ちょっと昼寝とか赤ちゃんをくるんでおくとかそんな感じ。ベッドでは飾りで使うとか。


 それでややこしいのは、「ブロックアフガン」「アフガンブロック」「アフガンスクエア」などがある。ブランケットは大物なので、はしから順々にあみあみしていくのではなく、四角い部品をつくってつないでいって大きくしていくような作り方が主流のようだ。たぶん、その模様の一つのかたまりという意味で「ブロック」とか「スクエア」などといっているのだと思う。でもそれだけを作る楽しみ方もあるようだし、でこぼこしていないなら、コップのコースター?、にしかみえないというか、生地と編み方によってはそういう使い方もできそうだ。
 四角いものといえば、「グラニースクエア」というのもある。これもなんだか用途が不明。「ドイリー」は花瓶とか食卓を彩るのに一応用途があるが、糸の太さとか編み方によっては、グラニースクエアと見分けがつきにくかったりもする。グラニースクエアは確かにスクエアで、特徴はあるにはある。でもアフガンのブロックやスクエアとも、見分けがつきにくい。


 たぶん欧米文化圏のひとは、それぞれ違いやニュアンスがわかるのだろう。だと思いたい。


 あと、たぶん日本ほどまじめじゃなくて、「欧米」と地域もひろいので、それぞれの人が勝手にやっているところもある。ルールがあるわけではないから、好きにやっていいのだ。だから複雑な編み方には長い名前を付けるのではなく、その都度「〜〜クラスタ」とか適当な略号をつけて、編み方の先にそのかたまりの説明をしておく。だからオリジナルの編み方とか無限大である。だから

  • ch チェーン くさりあみ
  • sc 細編み?
  • hdc 半分の長編み?
  • dc 長編み?
  • sl st 引き抜き編み

 ぐらいわかってりゃいいんじゃねーかな。あとは説明してくれてるし、ぐぐれば親切サイトがわかりやすい図や動画で説明してくれている

 意外とわからなかったのが

  • yo 「yarn over」でなんのことはない「糸をかける」だけのこって


 ずっとわからないのは、表と裏にあたるらしい Right Side と Wrong Side 。スターウォーズか? 違う。どっちが 表 Right なのか、それは未だにわからない。ふぁじい。

CHEMISTRY LIVE 2017 -TWO- 3/1にいってきた

81.3 FM J-WAVE : EVENT ARCHIVES
CHEMISTRY! 素晴らしかった再始動ライヴ!ライヴ写真とセットリスト


 ケミ復活ライブにいってきた。
 いく前はいろいろゴネでいたのだが、いってみたら、あの那覇のお通夜はなんだったんだ茶番かと笑ってしまうしかない感じになっていた。あと、二日間で最大1万人、少なくとも5千人のケミふぁん…君たち、どこにいたんだ、いままで?


 だが、CHEMISTRYとソロ活動は、同じ人がやっていても、違う音楽なのだ。CHEMISTRYCHEMISTRYをやっているあいだにいろいろ音楽がかわったけど、でもそれはケミの範囲のわけで。


 ちがうのよ。
 ちがうから、無理(?)に応援するこた
 なかったのよ


 と妙な反省をしつつ。


 ソロのほうが劣るとか、そういうわけではなく、単に「ちがう」のだ。似ていても違う。
 ふしぎです。



 席は10列目の中央ブロックで、ずっとふたりの表情をみることができた。

 ほとんどずっとニコニコしていた。
 あんなにずっと笑顔で歌っているCHEMISTRYを、私はいままでにみたことがない。


 選曲がぜんぶ笑顔!、というのではなく、ほお骨がずっとあがってる感じ。常に笑う寸前リーチ状態なので、片方が歌っていてるとき、客席のほうをみたら「ニカッ」と目を開いて笑う。


 すごい。
 あんなにずっとずっと自然で幸せそうなふたりを、はじめて見ました…(ノД`)


 歌詞のまちがいとかわりとあったようですが、ライブ全体のグルーヴ感が失われず、心地よかった。すごいことだ。


 まあ個人的主観的な思い込みが多すぎたのだ。
 一日目の情報は多少ははいってきていたけど(ツイッターで皆さん自粛していても、メディアの量がすごかったから)、それでもまっさらで新鮮な気持ちで素直に音楽が楽しめた。


 彼らの真価は、ライブにある。どんなに録音録画技術がすすんでも、すすんでも、彼らの歌声はその先へいくからだ。技術がすすめばすすむほど、現実の場所の価値が高まる。最近のライブの流行りは、そういうことなのかなぁと思ったり。普段バーチャルなものに触れすぎてて、リアルを体験したときの感動がすさまじく大きくなっているのかもしれない。



 つぎに彼らのライブをみられるのは、もしかしたら一年後かもしれない。かつては、だいたいそれくらいのスパンでしか、ライブをみることはできなかった。テレビにたくさんでていても、ツアーは一年に一度もやらないし。
 今後は一年か二年に一度くらい、全国15〜20カ所ぐらいで、ライブをやってくれないかなと、思った。3ツアーぐらいかけて、全国47都道府県をまわってほしい。全国の人が、幅広い年齢層で、男女関係無く、楽しめるライブ。ケミの曲しらないなあ、と言う人も足をはこんで大丈夫。ぜんぜんだいじょうぶだから。


 彼らがSNSが活発じゃなくて、よかったなぁ、なんて、思った。
 彼らは現実の、むげんの音が鳴り響く世界で、常に生きているのだ。そのわりにはイケメンすぎるけど! な!!!



 いまさらだけど、neonよりface to faceの写真のほうが、いいねぇ。ふたりがむきあっているから。



CHEMISTRYが復活?する

 超イケメン超実力ボーカルデュオCHEMISTRYが活動を再開する。本当? 復活? マネージメント事務所は別のまま? だってソロの楽曲がすぐに配信されるし、ソロのライブも決まっている。


 ライブを二日間やるよ、というだけで、


 イチミリも信じていない。


 信じていない、って何だろう。そうなのだ、不信感だ。活動再開とは名ばかりで、一年に二日間ぐらいライブをするだけの、そういう活動の仕方をするのかな、という不信感だ。


 でも、根拠なく信じていることはある。


 戻ってきて、戻ってきて、オリンピック関連で、歌って。どこかで歌って。ちゃんと歌える人、踊れる人、動ける人が、どんだけでも必要なはずだから。もう個人でそれぞれででてもいいくらいと思っていたけど。CHEMISTRYやるなら、CHEMISTRYで、どっかにでてほしいな。ヒッキーもなぜかソニーに来るし…。


 待ち時間がながくて、ソロ活動をうまく応援できなくて、電池切れの状態。
 ライブをみて、やっぱりCHEMISTRYは最高だと思えたら、次のライブも行くかも知れない。ケミについていこうという気になるかも知れない。そうだ、いまはなってないのだ。


 いや、あんなにおっかけまがいのことをしていたほうが、ずっと頭がおかしい、異常だったと思うけど。


 生きる糧や現実逃避にしてはいけないのだ。


 これでライブが終わったら、最高 of 最高!! とか、浮かれていたらいいんだけど。

マッツの『ハンニバル』吹替でいまさらみはじめているけれど

 ストレンジ先生のおかげでハンニバル吹替をちゃくちゃくと消化している。もともと家人はレクター博士が大好きなのだが、映画とはだいぶ雰囲気は違うのもあって自発的積極的ではなかったが、見る気になったのは『ドクター・ストレンジ』がおもしろかったせいである。あとローグ・ワンも。わたしはマッツも、バロックや6〜70年代?と現代、未来的なすぐれた意匠がいりみだれる意匠やインテリアなど、画面の雰囲気はとても好きだが、ごっつびびりなので、グロテスクな画面はツッコミをいれながらでないと見られない。うるさくしないと耐えられない。それでももうep5まできてしまった。ゾンビとちがって、げろりんちょな絵がじっとながく画面にうつっていたり、ウィルが憑きものシーンになるのが怖くて怖くてたまらん。ふれっしゅな内蔵は小道具の人は何で作ってるんだろう!!とか考えまくってつっこまないと見てられない無理。一緒に見るひととしてはかなり違う行為だというのは分かる。


 吹替でもレクター博士がしゃべるたび繊細でごっつこわい。他のキャストも、あんなに絵画のような静かな画面で、会話が多いのに、吹替でも猛烈に面白いので、脚本も吹替もハイレベルだなぁとうならされる。レクター博士はそもそも相手によって態度が露骨に違うのがおかしいのだけど、話し相手になっているほうはたぶんレクター博士がとても魅力的だからそれにあまり気付かない。そんな博士も、ウィルがきたときはウキウキルンルンな口調で声のトーンが違う。井上和彦さんすごい。ちょっと顔を下にむけたときとかも声がちがう。どうやってあわせているんだろう。ウィルはいつも挙動不審で、過呼吸なのかお前がいっちゃんあぶねえよと素人視聴者は思います。


 それにしてもウォーキング・デッドハンニバルに、ゲーム・オブ・スローンズに、怖いもんばっかり見てるじゃないかい。絵的にぐろいのはハンニバルで、ゲースロはなんだかわからんけどおもしろくてじわじわきて、ゾンビは最近は脱落している。だって話がすすまないんだもん。提督あたりは怖い怖いと文句をいいながらみていた。あれは怖かったわ。
 ゾンビは字幕でみていたが、あまり苦労はなかった。たぶん台詞が少ない。推理ドラマ同様、ハンニバルやゲースロでは字幕は無理だろう。フォイルの吹替もいい。ゲースロは吹替のレベルもめっちゃくちゃ高くて大変見やすい。大変大変大変に見やすいし、ドラマの魅力を倍増する。


 午後ローにときどき襲来するとんちきなB級映画ですら、オリジナルの英語だとへったくそなのがわかって見られない場合も、のりのりの吹替キャストによって楽しい娯楽作品になる。それだけ声の演技は大事なのだ。当たり前だけど。だから、わざわざ吹替作るなら、ちゃんと声がでてるひと、演技ができるひとを、配役してくださいお願いします。


(マーティンの某吹替のドラマは森川さんじゃないやつがマジか…! というほどで、そっと閉じた…)


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売り切れてるけど。

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 動画配信もあるのにやはり売れるのだなぁぶるれいぼっくす。

『沈黙』とかくれキリシタンのうたと内的必然性

 むかし『沈黙』を読んだ。すごすぎて読み終わったあとにう〜おぉ〜ええぇ〜〜〜とうめいていた。それからつづけて遠藤周作の作品をいくつか読んだ。


 大学のとき、合唱団で、柴田南雄の、かくれキリシタンの賛美歌(オラショ)を元にした歌を歌った。(最近テレビで柴田南雄の曲をやっていて数年ぶりに名前を思い出した…)


 柴田南雄『宇宙について』


 大人数で演奏して、曲ごとに分担もあった。その一曲が、かくれキリシタンに伝わった賛美歌、オラショから、作曲家がメロディとことばを譜面におこした、というような作品(だったと思う)。所属していた合唱団では普段バッハやその他ラテン語キリスト教の宗教曲も歌っていたが、さあこれは、どうなのか。原形をほとんどとどめていない。ふしぎな音の動きと、ことば。


 全体でへんな曲ばかりで、みんな苦戦していて、わからないのがたくさんだと、集中力を欠いて、だらけた、なまけた空気にももなる。そのとき指揮者が「内的必然性」の話をした。曲の全部はわからない、わかることはできないかもしれない、でも内的必然性をもって、一音一音、その音をだす、歌う、音楽を奏でる。そう「しなさい」とはいわずやんわりと学生たちに話した。それはもっといろいろもう少し長いことばだったけど、覚えていないけど、それは効果覿面で、みんないっせいに集中力をとりもどした。一つ、その音をうたう、ための、その瞬間の、自分の内側からの、必然性。心から、身体から、どこか内側からつながったべつのところからの? ともかく内側からの、必然性。(と自分は解釈した)


 合同演奏曲の歴史 | 東京六大学混声合唱連盟 <=ここで記憶をえぐった。(すごいサイトだえらいぞ…!)


 いろんなタイミングでひとは心がうつろな状態で何かを為そうとしているときがある。そのときふと「内的必然性…」と考えるのだ。


 この手のいわゆる難解な現代音楽は、演奏しているほうがずっと楽しい。阿波踊りと同じ。卓越した演奏者なら、聴衆にも同じ感動を与えられるのかもしれないが、当時はどうだったであろーか。


 映画の話題でむかし読んだ本を音楽を思い出す。音楽はどうしたことか、かかわったのはほんの短いあいだなのに、そのときの感覚や(衣装は上が白で統一されたっけなとか)、本番のステージでソロの人が肝心なたくさん練習したパートをすっとばしてもったいなかったなあ…とか、思い出す。


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